ツール・ド・フランスが中止になったら何が起こるのか?
山崎健一
- 2020年07月12日
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UCIより“仕切り直し”の2020年度ロードレースカレンダーが5月5日に発表され、チーム、選手、ファンもシーズン再開幕の8月に向けて心と体の準備を整えている真っ最中。いよいよレースが帰ってくる。
しかし、UCIによるレースカレンダーはあくまでもUCI+レース主催者の希望日程であり、実際に開催されるか否かは、やはり7月&8月の各国の新型コロナ感染状況に依る部分が多々ある。
そこで、仮に世界中の自転車ロードレースファンが最も待ち焦がれている「ツール・ド・フランス(8月29日~)」を始め、主要レースがコロナ禍の影響で結局開催出来なかった場合、世界自転車界に何が起こるのか?
UCI(国際自転車連合)の代理人山崎健一さんがリアルな考察をしてみた。
※カバーフォト A.S.O./Pauline BALLET
ビジネスとして成り立っているプロロードレースは
ほんの一握りという現実
A.S.O./Thomas MAHEUX
ツール・ド・フランスの誘致(スタートorゴール)にあたって自治体は主催者に少なくとも3,000万円、平均的には5~6,000万円を支払っていると云われている。グランデパールともなれば更にその額は大幅に膨れ上がる。
サッカー等のスタジアムスポーツの様に、観客へのチケット販売等による固定収入が無い自転車ロードレース主催者収入の大黒柱は自治体等からの補助・誘致金とスポンサー収入が典型例です。
自転車レースのおもな収入
- 「自治体等からの補助・誘致金(観光客増加を狙った自治体PR目的)」(~約50%)
- 「スポンサー収入」(~約50%)
PHOTO:ASO/Alex Broadway
その他、「テレビ放映権収入」、「マーチャンダイジング(グッズ)販売収入」、「レース名を冠した一般参加サイクリングイベント(例:ツール・ド・フランスのサイドイベント<レタップ・デュ・ツール>)収入」も存在しますが、その額が運営費用の足しになる規模のレースは、全世界で開催される年間約420のUCIレース(2019年例)中、我々が名前をすぐに言えるぐらい有名な約38程度のUCIワールドツアーレース&局地的に人気があるHCクラスレース程度。それ以外の大半のレース(UCI 2~HCクラス)では、そもそもTV放映が無かったり、仮にあってもTV放映権収入は微々たるもの(全収入の5%以下)です。
『大規模UCIレース』 vs 『中小規模UCIレース』の収入構造比較
大規模UCIレース(全体の約1割)・代表例:「ツール・ド・フランス」=総収入は約160億円 |
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約50%(約80億円) | レース開催自治体等からの開催誘致フィー&補助金。 |
約30-40%(約50億円~75億円) | 国際企業スポンサー&国際TV放映権収入。 |
約10~20%(約16~32億円) | マーチャンダイジング(グッズ販売)、サイクリングイベント(レタップ・デュ・ツール)参加者収入等 |
中小規模UCIレース(全体の約9割)・レース総収入:約1,500万円~3,000万円 |
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約50%(約750~1500万円) | レース開催自治体等からの補助金。 |
約45%(約675~1350万円) | 地元企業スポンサー。 |
約5%以下程度 | その他(TV放映権収入など) |
このように、ツール、世界選手権、モニュメント級クラシック(ロンド・ファン・フラーンデレン、パリ~ルーベ、ミラノ~サンレモなど)の様なビジネス化した『大規模UCIレース(全体の1割)』と、プロレースカレンダーの90%以上を占めるUCI2~HCクラスの『中小規模UCIレース』の経済的構造は根本的に異なります。
では、具体的にどの規模のレースまでが
ビジネス的に成り立っているのか?
PHOTOASO/Alex BROADWAY
ツール・ド・フランスのASO社が主催し、TV放映もある著名プロレースである「クリテリウム・ド・ドーフィネ」(UCIワールドツアー)では、開催総予算(約2.8億円)から開催経費などを引いた“純利益”が1~2%程度となっており、この大会よりも大規模か否か?が、世界のレース主催者業界における損益分岐(ビジネス的な利益が生まれるか否か?の境界線)の大まかな基準となっています。
つまり・・・世界中の多くのレースは、利益を生み出すビジネスになっていない場合が多いのです。
ロードレース界が依存している
自治体・行政マネーの縮小必至
いまでは国境を越えた移動が許されるようになったが、6月中旬には成田空港はほぼ無人の時期があった
「世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)」が4月に発表した予測によると、コロナ禍の影響で世界的に一気に縮小した旅行・観光業界では、2020年に全世界で約1億人の職が失われ(うちアジアが約6,000万)、世界全体のGDPが約300兆円減少する見通し。つまり、この先数年は旅行&観光業界が冷え込むことが予想されます。
これが自転車ロード主催者業界にとって意味する事は、収入の大黒柱としていた行政マネーの減少です。
行政や自治体は、レース開催による直接的な経済効果(レース関係者+観客が宿泊し、買い物・食事をする等)や、我が町PRを通じたインバウンド観光収入増加の目的(または名目⁉︎)で予算を確保し、レースに予算を注入して来ました。
しかし世界的な観光業不調が予想される中、今後レースへの出費額を減らすのは確実。
つまり、今年レースが予定通り開催されるか否か?に関わらず、自治体や行政の予算に頼るロードレース業界へのダメージは不可避であり、業界再編に向かう事は避けられなそうな流れです。
参考資料:WTTCが4月に発表した「全世界での旅行業従事者数推移+2020年度予測」
2019年時の世界旅行業界従事者数は約3億2900万人。
2020年度予想
楽観的シナリオ:約9800万人の失業
現実的予想シナリオ:1.21億人の失業
悲観的シナリオ:約1億9700万人の失業
ツールの開催如何に関わらず、
多くのレースが淘汰されるリスク有
PHOTO:ASO / Timothé RENAUD 2019年3月にニースで行われたツール・ド・フランス、グランデパールのプレゼンテーション
自転車ロード界へ入ってくる資金減少による影響は、「大規模UCIレース(全体の約1割)」と「中小規模UCIレース(全体の約9割)」の間で更にくっきり明暗が分かれそうです。
大半の『大規模UCIレース』の主催企業は自転車レースのみを収入源にしておらず、財政難時の“保険“が効いています。
例えばツール・ド・フランスを主催する仏ASO社年間総売上高(約260〜270億円)の50%以上はツールによるもので、それが中止となった場合のダメージは当然甚大。しかしASO社は、アモリ―・グループと云うフランスの巨大メディア企業グループ(スポーツ新聞「レキップ紙」、サッカーメディア「フランス・フットボール」等を所有)に属しており、仮に今期売り上げが絶不調だったとしても、1年ほどは耐えられそうな財務の堅牢さを持っています。ツール以外の欧州巨大レースについても、マーケティング企業、大手新聞社などがレース主催者である場合が多く、仮にツール中止によって他のレースが「ドミノ倒し中止」となったとしても、「大規模UCIレース(全体の1割)」主催団体は、経営的に持ち堪えられる可能性が高いのではないでしょうか。
さらに「大規模UCIレース」の場合、一般的に行政や有志による警備&ボランティア協力などのサポートが望めるため、警備人件費などの運営諸経費も押さえられます。結果、大規模レース主催企業の年間“純利益率”は一般的に15~20%と比較的高く、手持ち現金(内部留保)を年々膨らませることが出来、より強靭な企業体制を作り上げて来ました。
さて、問題は「中小規模UCIレース」の場合です。
大規模なTV放映が望めず、ローカル色が強いレースは、毎年自治体やスポンサーから入ってくる資金を文字通り自転車操業の如く廻しつつ、熱意あるボランティアや有志に頼りながらレース開催へとこじつけています。
もともと手持ち現金(内部留保)が少ない主催団体企業が多く、仮に1年間のみの大会中止が決まった場合でも会社維持が困難に。スタッフやスポンサーセールススタッフの一時解雇も大いに有り得、レース再開に向けてのハードルが困難になります。
結果、全世界プロレースの恐らく90%程度を占めるであろう“クリテリウム・ドゥ・ドーフィネよりも小さい”「中小規模UCIレース」は、行政やスポンサーからの予算縮小の煽りを強烈に受け、一気に経営破綻へと追い込まれるリスクがあります。
“職場”であるレースが減る事による、チーム&選手への悪影響は云うまでもありません。
世界ロード競技界構造の改革は必須
このような、自転車ロードレース競技界の経済基盤の弱さは、長年の間多くの業界関係者に指摘されてきました。
具体的には
レース開催の行政・観光マネーへの依存過多
スポーツ・エンターテインメント・ビジネスの根幹である「魅力的な競技コンテンツ販売による収入」(チケット販売、TV視聴料etc)だけでは成り立っていない業界構造。行政や公的な補助金への依存が強い。
多過ぎるレース数・長すぎるレースシーズン
選手の大半がシーズン中2~3カ月程度しか“体調ピーク”を作れない競技特性の割にレース数が多過ぎるため、お金を産むエンターテインメント・コンテンツになり切れていない消化・調整レースが多い=勝ち組・負け組の差が顕著。
ブラック“な業界就労体質
ロード競技業界規模(予算規模・雇用枠)に対し就業者・希望者が過多なため、世界的に格安で働く選手・スタッフも多く、長期的に安定した人材の確保・育成が困難。ビジネス体質を強化して業界規模を拡大し、健全な雇用体質を促進するか?または労働実態の監査を強化し、業界の身の丈に合った姿(いわゆる“ブラック“雇用の禁止)を模索すべきでは?
この際、コロナ禍で不本意に起こった“強制リセット“を逆手に取り、世界的にも競技界キャスト側(レース主催者、選手、チーム)の熱意、そして行政マネーに過剰依存した他力本願なビジネスモデルを、一気に見直す時が来ているのかも知れません。
出典:WTTC、the Guardian, Le Monde, l’Equipe, Les Échos, etc.
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