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『自動運転車に轢かれたら、誰が責任を取ってくれるのか?』日産のエンジニアに聞いた

日産のブロガー向け試乗会に参加させていただいた。追浜の工場に併設されたグランドライブという試乗コースで、EVのリーフや、ノートe-POWER、エルグランドや、フェレディZ、GTRまでさまざまなクルマに乗れるという試乗会だ(試乗のメモはこちら http://blog.sideriver.com/flick/2018/07/gt-r-b55a.html)。

そこで、日産のクルマのインテリジェント化にかかわるエンジニアの方にお会いできたので、普段からクルマ好きとして疑問に思っていたことを聞くチャンスがあった。

完全自動運転のクルマが我が子を轢いたら、誰が頭を下げてくれるのか?

試乗の前の技術説明で、EV技術開発本部の渋谷彰弘さんがお話しされていたテーマが、私の疑問にピッタリと当てはまっていたので、あとでランチタイムに渋谷さんを捕まえてお話を聞いてみた。

現在、日産は『ニッサン インテリジェント モビリティ』という課題に取り組んでいるのだそうだ。

『ニッサン インテリジェント モビリティ』は3つのテーマから成り立っており、『インテリジェントドライビング』は自動運転などの運転のIT化によるサポート、『インテリジェントパワー』は化石燃料のエンジンの代わるパワーユニット、『インテリジェントインテグレーション』はナビゲーションやスマホなどとの連携をはじめとして、高度なIT化をすることによって、便利で安全でユーザーがワクワクするような体験を実現しようとしているのだという。

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私の疑問は、まさにこの3つのテーマ、それぞれにあった。そこで順番に渋谷さんに聞いてみた。

まず、自動運転に関して。

近いうちに、自動操縦でクルマは動くようになる。それは間違いないと私も思う。

多くの人はテクノロジーを肯定する。曰く、『人間が運転するより安全』『自動運転が増えたら死亡事故は減る』『そのうち危ないから自分で運転するような人はいなくなる』などと言う。

それも、否定はしない。ディープラーニングなどの進歩によって、ほとんどのことをコンピュータは人間より上手に行うようになるだろう。それは間違いない。

一方、事故は絶対になくならない。

私は、アメリカの荒野をバイクで走っている時に、物陰から飛び出した鹿に激突したことがある。反応速度を越えた距離で飛び出されると、ブレーキに指をかける間もなく衝突して転倒するということを体験した。これが、人間の子供だったら……と思って、ぞっとした。これは多分自動運転のクルマでも避けられない。

すべてを絶対に避けようとすると、我々はノロノロと歩くような速度でしか走ることができなくなるだろう。だから、ある程度の小さな可能性には目を瞑って、我々はある程度のリスクを背負ってクルマを走らせているのだ……ということを身をもって体験した。多分、自動運転のクルマでも事故回避には限界がある。

では、自動運転のクルマが轢いた子供に対して、誰が責任を取るのだろう?

それがたったひとりだったとしても、おろそかにはできない

「現在、高速道路の単一車線だったり、複数車線の自動運転が可能になりつつあるところです。法律上自動運転車は『自動』とはいえ、ハンドルを握って前方を注視している必要があります。つまり、現状の法律上では、自動運転車とはいえ事故に関する責任はドライバーにあります」と渋谷さん。

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ドライバーが教習所で習うのは、運転の技術もさることながら『責任を負う』ということが中心だと思う。エンジンをかけてクルマを動かし始めたあとに起ったアクシデントは、程度の差こそあれ、運転者が責任を負う。これは鉄則だし、毎日、クルマに乗って走り出す時に、自分でもあらためて認識することでもある。

しかし、もしクルマが完全に自律的に走るようになった時に、起った事故に関してドライバーが責任を負わなければならないというのは理不尽ではないだろうか? 操作をしていないのに、責任を負わされるというのは奇妙だ。自動運転のプログラムを作ったメーカー、もしくはクルマを開発した企業が責任を負うべきではないのだろうか?

しかし、現実の社会で何百、何千と起るかもしれない事故に関して、自動車メーカーが責任を負うというのはどういうことなのだろう?

たとえば、死亡事故の賠償金が3000万円だったとして、1000人の死亡事故が起こることが予想されるなら、300億円を用意しておけばいいというのだろうか? リスクをお金に換算するならそうなる。企業としては予算化さえできるだろう。しかし、それは許されることではない。

そんなことを計画する企業があればフォード・ピント事件(車両の欠陥に対して、改修するより賠償金を払った方が安価だと判断して欠陥を放置した事件)のような問題になるだろう。これはやはり現実的でない。

謝って済む問題ではないが、「私が轢いた。私の責任だ。本当に申し訳ない」と頭を下げ、責任を取る人がいて、はじめて交通事故は解決に向かう。

では、『完全自動運転車』が発売され、事故が起った場合、誰が責任を取るのだろうか?

「会社としてではなく、私個人の意見になりますが、まだ答えは出ていないと思います。これからみんなで考えねばなりません」と渋谷さん。「だから弊社のプランでも完全自動は202X年となっているのだと思います。どういう責任の取り方なら実現可能なのか? 社会的合意も必要ですし、法整備も必要だと思います。」

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私は安心した。日々、自分や家族の命を危険にさらす交通社会の一員として、ここを安易に考えてほしくないと思っていた。「これからみんなで考えねばなりません」という真摯な姿勢に、安心した。さすが歴史ある自動車メーカーだと思った。

たしかに、現在年間3694人(2017年度)の死者が、自動運転を導入することで1/10の369人になるかもしれない。しかし、そのうちの一人が自分の子供だったらどうだろうか? 死者が減って良かったと喜べるだろうか?

「それがたった一人だったとしても、絶対におろそかには出来ません」という渋谷さんの言葉に、命をあずかる自動車メーカーの矜持を感じた。

中古EVやハイブリッド車は、中古車として価値はあるのか?

次に気になるのがEVやハイブリッド車に使われるバッテリーの問題だ。

恥ずかしながら、筆者は新車を買うほど余裕がないので、クルマに乗り始めてから20年。中古車しか買ったことがない。ちょっと古いクルマを修理しつつ乗るクルマライフも悪くはないものだ。

自動車メーカーにとっては、顧客でさえないのかもしれないが、新車を買った人がそれを売る時のリセールバリューを支えているのだという考え方もできる。

0505 (EVのリーフ。3年、4年経った後の、中古車としての価値は?)

しかし、バッテリーセルの状態のわからないEVやハイブリッド車の中古を買うのは恐ろしい。かといってハイブリッド車のバッテリーセルを全部交換すると、100万円を超えるという話も聞いたことがある。中古車に追加で100万円以上を投入するのはなかなか難しい。ということは、EVやハイブリッド車にはリセールバリューがなくなってしまうということなのだろうか? 我々中古車派が乗るクルマはなくなってしまうのだろうか?

「まさに今、初期のハイブリッド車などがそんな問題に直面しています。セルが古くなると航続距離が短くなるし、かといって交換するのは高価。ましてや、市販のバッテリーセルを集めて、街の修理工場が交換するということも不可能でしょう。そこで考えられてるのは、コンディションの良い中古のセルの再利用です。ちょうどパソコンの整備済み品のように。これなら中古車の修理部品としても現実的な価格で提供できそうです」

なるほど! 中古車を愛する者として文句を言うばかりで、こんな視点では考えていなかった。

「また、自動車の古くなったセルを家電や、蓄電池などに流用したり、また逆に他の用途で使われた状態の良いセルをチェックして中古車用のセルとして再利用するなどいろいろなカタチでの再利用を考えていきたいと思います。」

そうなると、我々中古車派としても嬉しい限りである。

初代ZやGT−Rから50年。では2018年モデルは50年後も走れるのか?

最近のクルマは電子化が進んでいる。特に自分の体感としては2000年ぐらいまでのクルマは、『街の自動車修理工場』で安く修理してもらえたものだが、最近のクルマは『電子部品が悪いようで全交換です』なんて言われることが多くなっている。

最近の多くのクルマは、正規ディーラーのコンピュータに繋ぐと、修理履歴や走行のログなどが見られるようになっているが、古いクルマの接続性はいつまで担保されるのだろうか? たとえば、繋がる側のコンピュータがいつまでも存在するとは限らない。どんなコンピュータを繋ぐのかは知らないが、たとえば20年前のクルマに繋ぐコンピュータのOSがウインドウズ98だったとしたら、もう動かすことは困難に違いない。

クルマを文化として考えた時、フェアレディZのZ30(1969年)やハコスカGT-R(同じく1969年)が約50年を経て、ちゃんと整備さえすれば走るということはとても大事だと思う。

しかし、現行のZやGT-Rは、20年後、走ることはできるのだろうか? 電子部品が供給できず走れなかったり、接続するコンピュータのOSがアップデートされなくなり整備不能……なんてことにならないのだろうか?

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(およそ1200万円、570馬力を誇る日産GT-Rプレミアムエディション。50年後も整備して走れるのか?)

10年以上経ったクルマが走り続ける必要性は、ビジネスとしてはないのかもしれない。しかし、クルマが文化だというなら、50年前のクルマは走れるのに、20年前のクルマが走れなくなるというのは文化としての後退な気がする。

「我々も自動車メーカーとして、できる限りお客さまに長く乗っていただくために、部品供給時間を長くとっていきたいと思っています。しかし、たしかに電子部品に関しては、そういうことが起るかもしれませんねぇ」と渋谷さん。

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もしかしたら、自動車業界にはもっと大きな変革が起るのかもしれない。自動運転ばかり、EV車ばかりの世の中になるのかもしれない。そうなると、古いクルマへの愛着。自分で運転することを楽しいと思うことなんて、なくなるのかもしれない。

しかし、渋谷さんのクルマ愛に満ちた回答を聞いていて、そんな世の中が来ても、きっと日産の人たちは僕らクルマ好きの思いを汲んだクルマを作り続けてくれるのではないだろうか? そんな気がした。

(出典:『flick! digital (フリック!デジタル) 2018年8月号 Vol.82』

(村上タクタ)

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