NIKE/AIR MAX’95(ナイキ/エア マックス’95)1995|ランニングシューズの礎を築いた“名作”たち
RUNNING style 編集部
- 2020年01月20日
既存のモデルと全く異なるデザインコンセプトが業界を震撼させた
人体からインスピレーションを受けた大胆なデザイン
1987年にリリースされた初代エア マックスは、スポーツシューズ業界において初めてテクノロジーの視認化に成功した記念すべきランニングシューズだ。その名のとおり、エアの容量を最大化するためにミッドソールの両サイドに窓を開け、この意匠が着地時に変形したエアバッグをサイドに逃がすという機能的なアプローチからこのテクノロジーが完成したが、このビジブルエアというデザインは同時に、ナイキエアを店頭で確認できるという販売促進効果をも与えることとなった。
シーズンごとに軽量化、エアの容量の増加に成功したエア マックスは、1995年になるとさらなるスペックアップに成功する。それが前足部のエアのビジブル化である。それまではヒール部分のナイキエアだけが視認できたのであるが、同年にリリースされた通称エア マックス’95ではミッドソール前方にもウインドウが新たに設けられたのだ。
そして、なによりもこのシューズがランナーを驚かせたのは、アッパー部分を始めとしたその大胆なデザインにあった。ナイキのデザイナー、セルジオ・ロザーノはエア マックス’95をデザインするにあたり、人体からインスピレーションを受けたという。アッパーサイド部分の盛り上がりは筋肉と骨の隆起を、アウトソール中足部のクリアパーツ部分は背骨を表現しているというように、従来のエア マックスシリーズとはまったく異なるデザインテイストのシューズに仕上がっていた。
アッパーサイドにはあるべきスウッシュはなく、グレーのグラデーションカラーとネオンイエローのシューレースループのコンビネーションからなるアッパーデザインは、それまでのどのスポーツシューズともデザインの共通性がないほど独創的でランナーを驚愕させ、ストリートシーンでも「マックス狩り」と呼ばれる、このシューズを強奪する事件が起きるほどのブームとなったのである。
ストリートシーンでも社会現象を巻き起こす
こうしてランニングシューズマーケットにいまだかつてないほどの大きなインパクトを与えたエア マックス’95だったが、展示会段階での受注状況はそれほど芳しいものではなかったという。多くのスポーツ店のバイヤーは「ランニングシューズに見えない!」「いままでのエア マックスのデザインを引き継いでいない!」といった理由であまりオーダーを入れなかったらしく、実際に販売されてからしばらくは売れ行きもあまりよくなかった。
そんなエア マックス’95がのちにスニーカー史上屈指の人気モデルにランクされることとなるキッカケのひとつが、そのアグレッシブなデザインに注目が集まり、複数のストリートファッション誌において集中的に紹介されたから。それにくわえ、著名クリエーターのお気に入りアイテムとして紹介されたことも大きな追い風となった。
それまでのスニーカートレンドはアメリカから発信され、それが若干のタイムラグがあってから日本へと到達するということが一般的であったが、このエア マックス’95はアメリカでも話題になったものの日本ほどではなかった。その証拠に、日本ではすぐに完売となってプレミア価格が付けられたセカンドカラー以降も、筆者が’95年の年末から’96年の年始にかけて訪れたニューヨークでは、希望小売価格で購入可能であったことでも証明されていた。
column
その高い人気から現在も復刻モデルが続々と登場しているが、近年特に話題となったのはミタスニーカーズなどでリリースされた、プロトタイプを現代に蘇らせたモデルだ。
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ランニング初心者から、サブ4を目指す中級者まで楽しめるランニング専門マガジン。トレーニングやアイテムの紹介、トレイルラン、イベントまでさまざまな情報をお届けする。
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