MIZUNO(ミズノ)を歴史や名作、テクノロジーから振り返る|ランニングシューズブランド名鑑
RUNNING style 編集部
- 2020年03月14日
世界中のランナーに愛される“ミズノウエーブ”「MIZUNO(ミズノ)」
戦後の日本スポーツシーンをリード
1906年に水野利八が弟の利三と大阪北区で「水野兄弟商会」を創業したのが、ミズノの原点。当初は洋品雑貨のほか野球ボールなどを販売し、翌年からは運動用衣類のオーダーメードもスタートさせる。1910年に店舗を大阪梅田新道に移転。同時に「美津濃商店」と改名。1913年からは販売だけでは飽き足らず、野球ボール、グローブといった運動用具の製造もスタートし、翌1914年には堂島工場も開設し、製造を本格化させる。
1942年に美津濃株式会社に社名変更。第二世界大戦後のスポーツ人口の急増とともに、同社の地位は上昇し、日本のスポーツシーンをリードする存在となった。そんなミズノだが、具志堅用高(ボクシング)福本豊(プロ野球)といった着用選手を抱えながら、スポーツシューズに関しては、国内外のライバルブランドと比較するとラインアップに欠けることが小売店とユーザーの両方から指摘されていた。
スポーツシューズにおいての転機は1982年に誕生したランバード
1982年、ミズノはスポーツシューズのより一層の拡充のために新たな試みを行う。それがランバードである。それまでのミズノのシューズはMラインがアッパーサイドに配されていたが、ランバードでは全く新たなストライプを採用。それとともに新機軸のシューズがいくつもリリースされ、スポーツシューズのカテゴリーにおいてもミズノの信頼性は大きく向上することとなる。
ミズノを代表するクッショニングテクノロジー“ミズノウエーブ”
そんなミズノのスポーツシューズにおいて忘れることができないキーワードが、1997年にリリースされたウエーブライダーに初搭載されたミズノウエーブである。その名のとおり、波型の合成樹脂をカカト部のミッドソール部分に配したテクノロジーで、当時は難しいと思われていた衝撃吸収反発性と安定性を両立したことが、大きな話題となった。
それは当時のスポーツシューズ業界の常識では、クッション性を高めると安定性を損ない、安定性を高めると十分なクッション性を得られないといわれていた。そのため、多くのブランドがさまざまなテクノロジーやパーツを開発し、衝撃吸収性と安定性の両立を目指したが、ランナーが本当の意味で満足するシューズはなかなか登場しなかったからである。
このテクノロジーは、1985年にリリースされた「マンチェスター」というランニングシューズに搭載された独自の波型プレートであるマジカルクロスをベースに開発がスタート。マジカルクロスが追求した衝撃吸収性、安定性、そして横ブレに対する剛性が、ミズノウエーブの完成によって大きく向上した。
ミズノウエーブは、その後も進化を続け、現在ではミズノを代表するクッショニングテクノロジーとして、ランナーに愛される存在となっている。最近では昨年末にリリースされたウエーブエアロ18に採用された長距離を走る上での、適度な屈曲性と反発性を重視し、安定した走りをサポートするためのウエーブデュエルプレートの登場も話題に。特に中足部から前足部の着地のランナーにマッチした構造で、従来のミズノウエーブとは異なった感覚の高反発をランナーに提供することに成功している。
MIZUNO(ミズノ)ランニングシューズ名鑑
1997|WAVE RIDER(ウエーブライダー)
“ミズノウエーブ”を搭載し、革新的なシューズとして脚光を浴びた
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PROFILE
RUNNING style 編集部
ランニング初心者から、サブ4を目指す中級者まで楽しめるランニング専門マガジン。トレーニングやアイテムの紹介、トレイルラン、イベントまでさまざまな情報をお届けする。
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