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シクロウネ創業!勝利のマシン、三連勝創成期|伝説のフレーム「三連勝」【中編】

東京2020の前の東京オリンピック、1964年の自転車ロードレース出場をほぼ確実なものにしておきながら不幸な事故により代表を逃したレーサー「今野義」。大学を卒業後の丸石自転車では競技者としても活動し、半ばセールスマン、半ばレーサーという立場だったようだ。
その後、1970年に丸石自転車と連盟のコーチを退職、母校だった法政大学自転車部の監督を務めることになる。しかし監督の給料はわずかだったため、生計を立てるため自転車屋を開業することにした。これが後に三連勝を生んだ「シクロウネ」だ。
自己流でビルディングを学んだ義。師としたのは東京オリンピックで目にしたチネリのフレームだ。のちに多くのプロトタイプなどを製作。試行錯誤しつつ、三連勝のフレーム理論を築いていった。

シクロウネ創業から三連勝が生まれるまで

自己流でビルディングを学んだ義。師としたのは東京オリンピックで目にしたチネリのフレームだ。のちに多くのプロトタイプなどを製作。試行錯誤しつつ、三連勝のフレーム理論を築いていった

材料集めの達人、義

ケルビムやミユキの立ち上げは世田谷の実家、みゆき荘が舞台となった。60年代後半、みゆき荘にはフレームを作る工具はあったが、パイプやラグなどフレーム素材、フラックスやロウ材が圧倒的に不足していた。
材料の入手が最大の問題だったが、これらを集めるのに一役買ったのが、当時、丸石自転車にいた義だった。メーカーにいたことから、自転車関連の取引経路を把握していた。また持ち前の行動力であらゆる材料を手に入れてきた。

当時、パイプやラグなどは工場向けの大ロット販売で、数台分の工房など相手にされない。それでも、今野家の挑戦に好意的なメーカーもあった。国産チューブメーカーの石渡製作所(現カイセイ)などは、利益抜きに小ロットで販売してくれた。
ケルビム&三連勝と石渡製作所の関係は深く、後のアメリカ進出もいっしょに果たすほか、シクロウネは石渡パイプのスペシャリストとして名をはせた。

シクロウネ創成期

ケルビムサイクル柏支店のころ。当初は東大和に本店があり、ベッドタウンの柏へは支店として進出した。当初は元社員だった丸石自転車も扱っていたようだ

実家にあったケルビム、ミユキとは対照的に義は実家を離れ、1973年東京の東大和に店舗「シクロウネ」を立ち上げる。メキシコオリンピックで井上三次が乗ったことで注目を浴び、軌道に乗った兄のブランド、ケルビムの販売店としてのスタートだった。

製作は長男の仁、企画は次男の義というスタイルだった。このころのブランド名が「ケルビム・シクロウネ」だ。義らしい斬新なアイデアを盛り込んだ意欲的なレーサーが特徴だ。6㎏を達成した超軽量モデルなども作られた。

珍しいケルビム・シクロウネ時代の一台。かなり際どい軽量化が施されている。サイドプルブレーキはフレームに直付け。スタートした当初は時代の流れとして、軽量化が大きなテーマだったようだ

しかしケルビム&シクロウネの関係は長続きしなかった。義のリクエストは難度が高く、また仁も自分のブランドで精一杯の時期だった。2人とも理想の自転車への情熱が熱く、ジオメトリーのことなどで意見が食い違うと、最後にはケンカになってしまう。叔父さんが来ると目の前を皿が飛んでくるのも日常茶飯事だったと、仁の息子でケルビムを継いだ真一が当時を思い出す。

兄弟コラボ時代のヘッドマーク。上にケルビム、下にシクロウネとある

兄との共同製作は、あっという間に終了。1974年には千葉の柏に支店を作り、翌年には工房を立ち上げ自社生産に取り組む。独学でフレーム作りを学んだ義が、まず徹底的に分析したのはチネリだ。64年の東京オリンピック以降、日本ではチネリがほかのすべてのレース用フレームの判断基準だった。日本チームが採用したチネリの現物を多数所有していた義。理想的なフレームを再現するプロトタイプの開発と改良に2年以上を費やした。

東大和店と柏支店が統合し、柏本店となった。ここで本格的にビルディングが始まった

三連勝ブランドの誕生

初期の三連勝スタッフ。左から2番めが後にM・マキノサイクルファクトリーを立ち上げる牧野政彦、中央が渡米しアメリカチームのフレームも作った山口幸一、その横が義

フレームは「CYCLONE」(シクロウネ)というブランドで製作を行っていた。しかし国内パーツメーカーのサンツアーから「CYCLONE」(サイクロン)を変速機の製品名に使いたいという相談があり、義は名前を変更する。サンツアーとも友好的な付き合いがあったゆえのようだ。
1978年、競輪の登録製造業者にもなり「三連勝」というブランド名が誕生する。シクロウネは社名として残った。
競輪の開催期間は3日間、3日間のレースにおける予選、準決勝、決勝のすべてを優勝で飾るこの上ない名誉がまさに「三連勝」だ。義らしい挑戦的なブランド名といえる。競輪選手なら、すぐピンとくる名前だが「三連勝なんて恥ずかしいから、シクロウネと入れておいてくれ」という依頼も当初は少なくなかった。

世界に負けないという強い思いもあって、ブランドロゴには日本を強く打ち出す漢字も使われた。その書体は書道の師範であった今野家の祖母、登代により書かれた。登代は「商売の字は女が書くもんじゃないのよ」と気が乗らなかったらしいが、実家で清書された。

エアロフォームを追求した初期のトラックレーサー。前傾を生むためにフォークコラムの下からステムが出るという斬新なデザイン

 

続く「世界に羽ばたいた三連勝」の記事は7月11日(日)に公開!

 

幻の「三連勝」をその手に!復刻オーダーフレームを限定販売

三連勝のフラッグシップ「カタナ」。今野製作所によりこのモデルをオマージュしたフレームが限定再生産される

今野製作所により三連勝が復活。バイシクルクラブのECサイトでの10本限定生産の三連勝オーダーフレームが実現した。工房に残っていた当時のラグセットを使った貴重な限定モデルかつて三連勝のカタログにあったフラッグシップモデル 「カタナ(KATANA)」の仕様をベースに、復刻。今野義のポリシーも受け継いだ今野真一が作るサイズフルオーダーの三連勝はまさに一生物だ!

10本限定生産の三連勝オーダーフレームの詳細はこちらをチェック!

幻の「三連勝」をその手に!復刻オーダーフレームを限定販売|今野製作所

幻の「三連勝」をその手に!復刻オーダーフレームを限定販売|今野製作所

2021年06月21日

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