北谷津ゴルフガーデン代表土屋氏インタビュー。なぜ北谷津ゴルフガーデンはジュニアゴルファーの聖地となりえたのか。[タクミのカクゲン]
EVEN 編集部
- 2022年09月02日
ゴルファーのために活躍するゴルフ界の匠から、それぞれの仕事に賭けた誇り高き言葉を頂く月刊ゴルフ雑誌「EVEN(イーブン)」掲載の連載企画。今回は、ジュニア育成を推進する練習場の代表が登場。※本内容は2022年6月発行の「EVEN2022年7月号」に掲載されたものに一部加筆したものです。
北谷津ゴルフガーデン代表取締役
土屋大陸 Hiromichi Tsuchiya
遊びの天才を型にはめないだけ
たとえば、稲見萌寧というプロゴルファーが2021年の” 東京大会 ”で銀メダルを獲得し、さらに同年の国内ツアーで賞金女王も射止める大活躍を見せると、彼女の周囲までも注目されることになる。それは当人の責任範ちゅうを越えた、世間のごく自然な興味の流れだ。
その周囲から拾い上げたトピックとして、北谷津ゴルフガーデンが紹介された。記事の多くは、「千葉市にある18ホールのショートコースを備えた練習場」、「練習拠点とするため小学5年生から家族と共に移住」、「現在も通っている」などの文脈で稲見の出自に寄り添っていく。より掘り下げた文章では、同施設でジュニア育成に尽力した千葉 晃プロの名前を挙げ、指導を受けた者の中には池田勇太や市原弘大などのツアープロがいることを明らかにしていく。
たいがいの情報はそこまで。それが一般的な興味の限界点と言わんばかりに。けれど視点さえ移せば、プロゴルファーを生み出す源流にたどり着くような、また別の景色が浮かび上がってくるのではないか?
それを見たくて北谷津ゴルフガーデンの土屋大陸をたずねた。こちらが言う源流に立つには、彼の言葉に代えればゴルフを楽しむ子供たちの未来を創るには、場所・指導者・道具という3つの要素をすべてそろえなければならなかったという。
17歳の誕生日に開業したショートコース
父が所有していた山林にショートコースが開場したのは、土屋が17歳を迎える当日の1970年9月10日。ゴルフ未体験ながらオープニングセレモニーに駆り出された。
「ゲストの佐藤精一という日本プロを優勝した人が、右手一本でワンオンさせたのを目撃したときはドキドキしましたね」
しかし、その光景だけではゴルフに興味を抱けなかった。むしろ土屋は、元来慎重な父親がコース経営に踏み切った先々を心配したという。それを振り切るようにして自分の道を歩み始める。学生運動で閉鎖気味の大学に関心が持てず、東京のアングラ劇団に傾倒。舞踏の第一人者だった麿 赤兒(まろ あかじ)の弟子となる。ひたすら表現活動に身を捧げ、15年を経て故郷へ。自ら潮時と見極めたが、後ろ髪を引かれ続ける思念の満ち引きもあったそうだ。
「東京にいる間、何度も戻ってこいコールがあったんです。それがずっと引っ掛かっていた。実は本当の父親ではなく、早くに亡くなった実父の弟。だから育ててくれた恩義もあり、自分は長男だし。父親は食えなくなったから戻ったと言っていたらしいですよ。反論しませんでしたが」
その時点で34歳。コース管理を含め、芸能しか知らなかった身に練習場経営の基礎を叩き込んだ。そうこうしている2年目、ある人物を紹介される。会うなりその人は「ジュニアに興味はないか」と切り出した。
「その頃、近くの県立泉高校ゴルフ部に練習場を解放していたので、高校生ならやっていますと答えたんです。そうしたらこう返されました。『もっと小さい子。想像してみて。日本の子供が世界中の子供たちと楽しくゴルフをやる姿を』と」 それが千葉 晃だった。
ショートコースから始まった練習場
1970年に開場した北谷津ゴルフガーデンには、最初に完成した18ホールのショートコースと、総天然芝×幅100m×2階建ての打撃練習場を完備。ジュニアを始めとする各種レッスンを積極的に行っている。冒頭本人ポートレートの背景からもわかるが、至るところ子供の写真で埋め尽くされたゴルフ施設は極めて稀だ。https://www.kitayatsugolf.jp/
異能同士の邂逅となった熱く語る指導者
写真2列目中央の黄色いセーターが在りし日の千葉。その右隣は、千葉の後継者として北谷津ゴジュニアの指導に当たっている篠崎紀夫の若い頃。こうした記念写真に経営者の姿が少ないのも、土屋なりの矜持かもしれない。
土屋より8年早い1945年生まれの千葉は、1974年にトーナメントプレーヤーテスト合格。1984年に日本プロゴルフ協会インストラクターA級を取得し、土屋が実家で働き始めた1986年に日本ゴルフ協会のジュニア指導員資格を得ていた。すでにジュニア育成に取り掛かっていた千葉は、直面している壁の大きさを土屋にこぼした。
「子供が練習できる場所がないと言うんです。それはそうだろうと。高校生ならまだしも小学生ともなれば、安全に受け入れる体制を整えるのが難しい。それにバブル絶頂期でしたからね。ウチの当時の最高記録は、ショートコースに約400人。打ちっぱなしに約1000人。そんな時期に子供のために時間を空けたいと父親に相談したら、一蹴でしたよ」
だが土屋は、誰もが浮かれる好景気の渦中で「このままでいられるはずがない」という言いようのない危機感を覚えていた。その正体を知るために立場が異なる千葉の話を聞いたのか? いや、経営的な直感以前に、土屋には熱く夢を語る異能同士の邂逅が必要だったのではないかと思う。彼はこう振り返る。
「実現できる道を探って何度も話し合い、何回も酒を酌み交わしました。千葉さんはゴルフ界を語り、僕は舞踏による精神論を語った。異なる世界なのに通じるものがありました。千葉さんの考え方でもっとも感銘を受けたのは、ゴルフは楽しくやるもの。長く楽しくプレーするには、子供時代から個性を尊重しなければならないこと。その理念が浸透して、結果的にウチから何人ものプロゴルファーが生まれましたが、プロの育成が目的ではないところが素晴らしかった。それを実践するためには、自分に続く指導者も育てなければと」
モミジみたいな手でも振れる特注のクラブ
数年をかけて語り合った夢は、異常景気が鈍り出した90年代に入り具体化し始めた。土屋は、どこも手を出し切れていないジュニア育成を今後の生き残りという切り札にして、ついに先代を口説き落とした。その上で、実現できるならボランティアでも構わないとした千葉の申し出を断る覚悟を持った。千葉と同等でいるための矜持だったのだろう。
「主催はあくまで北谷津。施設を整えるのも自分の役割。それは譲れなかった。だから最後まで足らなかった子供用のクラブも、千葉さんの紹介でつくってもらいました。5歳から8歳まで年齢別で3パターン10セット以上。だってモミジみたいな子供の手じゃ、長さを詰めただけのクラブは振れないでしょ」
部室と呼ぶ練習場2階のミーティングルームから土屋が掘り出したそのクラブの、楊枝みたいなグリップの細さに驚いた。これが不可欠と千葉に説かれ、土屋が特注した一品。
「もっと大事にしておかなきゃね」と彼は笑った。
上の土屋写真で本人が握っているのがオリジナルのジュニアクラブ。子供用のクラブと言えば大人用のシャフトを切り詰めた改造品をあてがうのが主流だった時代に、土屋は千葉の伝手を頼って専用品をクラブメーカー(フォーティーン)に特注した。グリップは大人の小指ほどの細さだ。
自分の誕生日にオープンした場所。志のある指導者。そして無理なくプレーさせるための道具。未来を創るために欠かせない3つの要素がすべてそろった1994年の夏、レッスンを主体とした『千葉 晃のジュニアゴルフミーティング』がスタートした。同年の秋にはショートホールを利用した競技形式のイベントを開催。ミーティングと称したのは、土屋と千葉の二人が誓った「楽しいゴルフ」を示すためだった。
それから28年。ジュニアゴルフミーティングは300回を越えて現在も行われている。
「競技形式の第1回目に地元千葉の子がいてほしくて、おじいちゃんと練習に通っていた小学3年生の勇太に声をかけたんですよね。萌寧は東京に住んでいたけれど、11歳で家族と近所に引っ越して練習を続けた。努力の子ですよ」
望まれた指導者もミーティングの中から育った。18歳で北谷津ゴルフガーデン所属となり、2021年にシニア賞金王となった篠崎紀夫は、千葉の後継者として子供たちを見守る存在になった。
理念や理想を貫くのは美しい。しかし経営視点に立てば、不変を維持するコストは相当ではないか? そうたずねたら、土屋は苦笑いを浮かべて答えをはぐらかした。
「変わらないものは他にもありますよ。日本のゴルフ事情はジュニア育成を阻害し続けている。勇太たちの活躍で方々の団体から視察の申し込みが増えても、実現に動いたところは少ない。ウチだけが頑張ってもダメなんです。アメリカのファーストティ・プログラムのように社会的な支援が整って、裕福ではない家の子供にもチャンスを与えられる仕組に変えなければね」
それは最初に千葉が土屋に語った夢でもあった。その千葉は2018年に他界した。これは北谷津ゴルフガーデンのジュニア育成でほぼ唯一の変化と言える。
「なぜプロが育つのか、まるで魔法があるような聞かれ方をしますが、そんなものないんですよ。ただ、子供たちは遊びの天才じゃないですか。持って生まれた才能を型にはめないだけ。それを北谷津DNAと呼べばいいのかな。そうして生涯に渡るゴルフ愛好家を増やしていく……」
それが目的?
「目的と言われたら、違うなあ」
何となく答えを渋る土屋にしつこく迫った。
「3つの要素をそろえた俺たちはジュニア育成の創業者なのだと。だから続けなければ。千葉さんとはそんな約束めいた話をしたんですよ」
たぶん、これが源流の景色。
それからもう一つ。午後の2時間を越える取材中、“現在も通う”プロは練習場にいた。その光景に触れただけで、この場所に流れる清らかなものを感じ取ることができた。
練習場2階に設けられたミーティングルーム。部室と呼ぶにふさわしい雑然とした雰囲気が妙に落ち着く。ジュニアレッスンの日はここで宿題する子もいて、まるで学童保育のようだという。
ジュニアゴルフミーティング
千葉 晃との出会いにより、自身が経営に携わる練習場の特徴にすべく取り入れたジュニア育成。『千葉 晃のジュニアゴルフミーティング』と題したイベントは、1994年に始まり、千葉が他界した現在も続いている。第1回の競技形式会で優勝したのは小学6年生の市原弘大。リザルトには小学3年生で6位タイになった池田勇太の名前が残っている。開会式登壇者の中にはウルトラマンが。招いたのは(役者時代のコネクションをもつ)土屋のアイデアだった。「和気あいあいとした雰囲気づくりに必要だと思ったんですよ」
お問い合わせ
北谷津ゴルフガーデン ☎043ー228ー1156
住所:千葉県千葉市若葉区北谷津町282
営:夏季 AM8:00 ~ PM10:00 冬季 AM8:00 ~ PM9:00(冬季営業 12 中旬~3月中旬) 年中無休
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PROFILE
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スタイリッシュでアスリートなゴルファーのためにつくられたマガジン。最旬のゴルフファッション、ギア、レッスン、海外ゴルフトリップまで、独自目線でゴルフの魅力をお届け。
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