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荻窪圭のマップアプリ放浪「台風19号の被害とiPad地図アプリ。地形と歴史で知る水害危険度2」

2019年10月の水害を期に、住んでる場所や勤務地など身近な場所の土地を知ろう、それにはスマホかタブレットとアプリがひとつあればいいシリーズ第2弾。また多摩川沿いになるけど、今回東京近辺で目立つ被害が多かったのは多摩川沿いなので、そこは避けられない。武蔵小杉と平瀬川河口付近である。もう少しこの話にお付き合いを。

ちょっと話題になってしまった武蔵小杉

まずは土地勘がない人のために全体像を。アプリはDAN杉本氏による『スーパー地形』だ。

まずは全体像を。多摩川の中流域。中心が二子玉川近辺。オレンジの枠が前回俎上に上げた場所。赤い枠が今回の場所。

武蔵小杉の場合、川の水があふれたわけではなくて、あふれた水を多摩川に排水できなくなって(多摩川の水位があがっちゃってるから)、それがマンションの地下設備を壊したという話だ。じゃあ武蔵小杉はどんな土地だったのか。いろんな人がかまびすしく言ってるけれども、ちゃんと地図で土地の履歴を見れば、それらが適当な言説なのか何らかの根拠があるのか一目瞭然というわけだ。

(左)今の武蔵小杉あたり。白い○がJR南武線や東急目黒線の武蔵小杉駅。古地図を見たときの目安として打っておいた。
(右)明治時代の同じ場所。当然ながらまだ鉄道は通っておらず、周りは一面の水田だ。そして旧流路と思われるあたりが低い。

上に配置した地図は、左が現代地図、右が明治時代後期のものだ。合わせてどうぞ。どちらも『スーパー地形』のスクリーンショットを加工したものだ。

この2枚から分かることはいろいろある。まず駅がある場所は水田だったということ。つまりもともとは低地だ。もうひとつ、駅の東に『玉川向』という地名が書かれており、県境がぐるっと川崎側に大きくはみでてる。『玉川向』って地名は、東京側から見て『多摩川の向こう』という意味に取れる。当時の県境も合わせると、昔多摩川はここで大きく蛇行していたってことがわかる。

もうひとつ、この地図は標高で色分けされた地形図に重ねてある。武蔵小杉駅の東側、かつて旧流路だったと思われるあたりがちょっと色が濃い、つまり少し標高が低いのだ。もし水があふれたとすると、それは少しでも低いところに集まる。

もともとは水田だった。悪くはないが対策したい

ではほんとに旧流路だったのか。『スーパー地形』から『治水地形分類図』を開いてみよう。これは治水対策を目的に河川流域の詳細な地形分類を盛り込んだ地図。

(左)地図メニュー『その他』から、そもそもどういう土地だったのかを知るために『治水地形分類図』を選ぶ。
(右)武蔵小杉駅周辺の『治水地形分類図』。右に凡例を表示してみた。こうするとわかりやすい。

色分けされてもどれがどれか慣れないとわからないが、右下の『凡例』をタップするとブラウザが開いて、凡例の書かれたページが開く。

iPadならマルチウインドウにして、そこに凡例を表示させてやれば非常にわかりやすい。iPadありがたやである。

そしたら、予想通り。あのカーブは多摩川の旧河道だったことがわかるではないか。ちなみに『黄色』は『自然堤防』。河川が上流から運んだ土砂が堆積してできた『微高地』。ちょっとは安全だ。

その証拠に、明治時代の地図を見ると集落(斜線部分)があるのはすべて自然堤防の上である。昔の人は自然堤防の上に住居を構え、低地を水田にしていたのだ。

そして水田は『水を得やすい』『広大な土地を一度に確保できる』というメリットがあるので、工場がいくつも建てられ、その工場が撤退した跡地に高層マンションが建ったというわけである。

高度成長期の武蔵小杉周辺。かつての水田はすべて住宅地と工場になったのがわかる。水田だった場所は水利がよくて、広くフラットだから工場向き。

まあそういう場所に住んではいけないってことではない。よほどのことがない限り支障は無いし、低地は起伏がないので徒歩や自転車での移動もしやすい。ただいざというときのために、一戸建てなら玄関を何段か高い場所に置きたいし、マンションも浸水の可能性がある地下には対策を施しておくべきってことだ。

平瀬川が氾濫した場所は危険地帯だった

多摩川沿いシリーズの最後は平瀬川河口。ここはちょっと、息を呑んでしまう場所だ。『スーパー地形』の『ハザードマップ全国版』で該当する場所を表示してみた。

平瀬川河口付近のハザードマップをスーパー地形で表示。白い四角が被害があった場所だ。赤くなっている。

二子玉川から多摩川を挟んで西。白い四角で囲ったところが特に赤い色が濃いけれども、このハザードマップ的に危険度が高いとされていた場所が平瀬川があふれた場所だ。多摩川の水位があがり、平瀬川の水が多摩川に流れずに河口付近で人家のある土地にあふれてしまったのだ。

この平瀬川、よく見ると流路は不自然である。だって、地図の赤い枠を見るとわかるように、山の中を川が貫いてるのだ。実は、元々はもっと南を流れていたのだが、洪水対策や農業用水として利用するために、トンネルが掘られ、今の流路になったのである。ではこの河口付近の明治の地図を見る。明治後期だけど、多摩川の流路がヤバい。めちゃ蛇行してるし、旧流路の名残も残っている。

明治期の地図。まだ平瀬川は今の流路になっておらず、蛇行する多摩川とそれを防ぐ江戸時代からの堤防が描かれている。

ここで注目は水があふれたエリアの南側。両側がケバだってる道路が描かれている。これ、盛り土をして高くした道路、昔の多摩川の堤防だ。

次が戦後の、平瀬川が今の流路になってからの地図。多摩川の旧堤防のすぐ北に平瀬川が流れて多摩川に注ぎ込んでいる。最後に、今の航空写真を見てみよう。江戸時代からの旧堤防と、戦後に作られた平瀬川の間に家が何軒も建ってるではないか。

戦後すぐの地図。平瀬川が今の流路になり、古い堤が近くにある。つまり、新設された川と古い堤の間に土地が存在する。

これはつまり、平瀬川が河口付近であふれたら、あふれた水は江戸時代の堤との間にたまるってことである。

先ほどと同じ『治水地形分類図』を開くと、平瀬川の南に旧流路、その南に『旧堤防』を表す茶色い線が描かれている。まさに旧堤防が残っているのである。

平瀬川河口あたりの『治水地形分類図』。これによると『氾濫平野』もしくは『旧河道(不明瞭)』となっている。

このあたりが危険なのは以前から分かっていたので平瀬川の水を強制的に多摩川に流すポンプも設置されていたが、ポンプが稼働しても間に合わなかったようだ。

航空写真。平瀬川と旧堤防の間の旧河川だった場所にいくつも家が建っている。危険なのはわかっていたが、想定以上のことが起きた。

ハザードマップを見れば危険な土地かどうかはわかるけれども、こうして古地図や地形図を合わせると、なぜそこが危険かが地質の専門家じゃなくても『ああそういうことだったのか』と腑に落ちるんじゃないかと思う。『腑に落ちる』とリアルさが増す。それが大事なことだ。

普段は気にする必要はなくても、100年に一度の豪雨、という言葉を毎年のように聞く昨今、土地の歴史や地形を知っておくのは悪いことじゃないのである。

今回紹介した地図アプリは「スーパー地形」

『カシミール3D』を開発したDAN杉本氏が手がけた地図アプリ。地形や各種地図を重ねて見られる他GPSログ機能もある。
「スーパー地形」
販売元:Tomohiko Sugimoto 取材時のバージョン:4.0.6
価格:無料(App内課金、機能制限解除980円)

■App Storeで「スーパー地形」をダウンロード
■Google Playで「スーパー地形」をダウンロード

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(この記事は『flick! 2020年1月』に掲載された「荻窪 圭のマップアプリ放浪」を再編集したものです)

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PROFILE

荻窪圭 

flick! / ライター

荻窪圭 

老舗のIT系ライター、デジカメライターなるも、趣味が高じて『古地図と地形図で楽しむ東京の神社』(光文社知恵の森文庫)など歴史散歩本執筆や新潮社の野外講座『東京古道散歩』講師なども手がける。 https://ogikubokei.blogspot.com/

荻窪圭 の記事一覧

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