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薬師岳と室堂を繋ぐ灼熱のダイアモンドルート

薬師岳と室堂を繋ぐ通称「ダイヤモンドルート」は、静かな北アルプスを満喫できるロングルートです。2泊3日でも踏破できるこの行程を、至るところで道草を食いながら、4泊5日かけて一人のんびり歩いてきました。シルバーウィークの山行計画の参考に、なりそうでならない旅の記録をご覧あれ。

文◉池田 圭 Text by Kei Ikeda
写真◉矢島慎一 Photo by Shinichi Yajima
取材期間◉2018年8月1日~5日
出典◉PEAKS 2019年8月号 No.117

40ℓパックで歩く、4泊5日の山旅。

「真ん中が薬師岳山頂」

乗客がまばらな、朝の富山地方鉄道。乗り込んで来た年配の女性は、なぜか僕の目の前のシートに腰を下ろした。

「どっこいしょ。もうやんなちゃう、やんなっちゃう」

ああ、これは明らかに「どうしたんですか」待ちのサインだ。声をかけてみると、「どうしたもこうしたも、今年の暑さはひどいでしょう」と堰を切ったように話し始めた。

太郎平までは序章の序。

曰く、おばちゃんが暮らす立山の麓では、常願寺川を流れる雪解け水の上を吹き抜ける風が、例年は天然のクーラーの役割を果たしてくれるそう。しかし、今年はその風が生温く、あまりの暑さに初めてクーラーを買ったのだとか。

駅前の再開発でお気に入りのレストランがなくなり、東京に行った息子があまり連絡をよこさず、うちよりお隣さんのゴーヤが大きく育って……。「やんなっちゃう」と連呼しつつ、おばちゃんは楽しそうにおしゃべりを続ける。有峰口駅で降りるまでには、僕はすっかりおばちゃんの住む村と家庭事情について詳しくなってしまった。

飲んだそばから水は汗に変わる。去年の夏は標高が関係ないくらい暑かった。

思い返してみてほしい。たしかに、去年の夏は異常に暑かった。標高もそれなりだしという淡い期待に反し、折立の登山口は話に聞いたとおり蒸し暑かった。例年よりずっと早く梅雨が明けたというのに、森はすでに濃い緑の夏の装いを整えている。加えて、あたり一面を覆う草いきれに、もう山が夏を受け入れていることを感じた。

薬師峠ではキンキンに冷えたビールが売られていた。しかもモルツ。わかってらっしゃる!「今日はビールが美味そうだ!」

首に巻いた手拭いは、吹き出す大量の汗を吸って、早くも元気なくしなだれている。身体が山になじんでいない登り始めは、いつだって苦しい。このしんどさを考えると、山に行こうかどうしようかいつも躊躇してしまう。

しかし、巨大なブナやミズナラが熱気を閉じ込めていた原生林を抜けると、景色は一変する。視線の先には、広々としたたおやかな尾根に登山道が延び、左手には巨大な薬師岳の塊が出迎えてくれた。

北アルプスにはたくさんの絶景があるが、僕はここから太郎平へと続く景色が大のお気に入りだ。

登山者を山の懐に誘うような優しい勾配を、涼しい風が吹き抜けるこの場所まで来ると、先ほどまでの鬱々とした気持ちは山の魅力にあっさりと吹き飛ばされ、やっぱり来てよかったなといつも思わされるのだ。

登山に慣れても、いつも登り始めの樹林帯はゲンナリする。

今回は4泊5日の日程で、折立から室堂までのロングルートを歩く。2泊3日で歩き抜ける強者もいるらしい。が、せっかく長くとった夏休み。天気次第では涼しい沢で釣りなぞ楽しみつつ、5日間を贅沢にフル活用して、のんびりこの山域の歩き旅を楽しもうって腹づもりだ。荷物は40ℓサイズに収めること、手を抜かずおいしいご飯を作り続けることと、ふたつの試みも計画に加えた。

薬師岳が内包する3 つのカール群は、特別天然記念物に指定されている。写真は北東面に広がる金作谷カール。

旅の始まりは、薬師峠に連泊することに決めていた。移動日の1日目を経て、2日目は小さな沢に入り、冷たい水に足を浸しながらイワナを釣ったり、草原でお昼寝をしたり、勝手に考えた地名をMAPに書き足して自分だけの地図を作ったり。のんびりと、ひとり遊びを満喫する。

だれもいない河原に、気持ちのいい風が吹き抜けていく。沢音に混じって、カヤクグリやイワヒバリの囀りが黒部の森に響いている。

彼らは、冬のあいだは低山に居着く鳥だが、夏は山の上まで避暑にやってくる。鳥も人間も、考えることは同じようだ。

1夜目

初日はキャベツや卵を贅沢に使って、お好み焼きをたっぷりと。材料をすべて袋に入れてモミモミし、フライパンで焼くだけの簡単レシピ。

初めて北アルプスに登ったときは、今日とは対照的に凍えるように冷たい雨が降っていたことを思い出す。W杯の日本戦を深夜のラジオで聴きながら、山の先輩たちと上高地へ向かった。山歩きの経験がほぼなかった僕は、やっと残雪の涸沢にたどり着いたころには疲労困憊で、攣りそうな足をさすりながらへたり込んでいた。すると、アミノ酸のサプリを優しく差し出しながら、先輩が一言。

2夜目

キャベツの残りに、富山名物ホタルイカの素干しなどを入れたカタ焼きソバ。
これもお湯を沸かしつつ、乾物が戻れば完成。簡単でしょ?

「今日泊まるのは、ここじゃなくて北穂だから」
指差す先にあるのであろう北穂高岳は、真っ白なガスと雪に覆われていて、あとどれだけ登ればいいのか想像がつかなかった。そのあと、どうやって上まで登ったのか、記憶は定かではない。

変わらない山の景色を見て身の回りの変化を思う。街じゃ考えもしないけど。

その後、予報に反して雨は激しさを増し、僕らは北穂高小屋に2日間閉じ込められた。諦めて下山した日も冷たい雨が降り続け、あの道を戻るのかと思うと、いろいろな意味で震えた。

天気が悪いと、当然だが山の景色は楽しめない。でも、このときに学んだのは、天気が悪かろうが、山でのおいしいって食事は裏切らないということ。小屋で食べた揚げたてのトンカツは、たいそううまかった。

3夜目

3日目からは乾物中心で構成。たっぷりの乾物をトマトペーストといっしょに煮て豚骨ラーメンをプラス。海鮮トマト豚骨ラーメン也!

また、小屋泊まり山行だったが、あのときは40ℓのザックがパンパンだった。キノコ図鑑(雨だったし、そもそもキノコの季節でもなかったし)やブランデーの小瓶(遭難したらブランデーで凌ぐと思い込んでいた)なんて、取り出しすらしなかった経験を経て、余分な荷物は持たない大切さも学んだ。

先輩は僕の荷物を見ても、なにも口出しはしなかった。きっと自分の身を以て体感して学ぶべし、という教えだったに違いない。おかげで、出発前に適正な荷物を取捨選択するクセがついた。

4夜目

最終日は残った具材や乾物を使ったスパイスカレーにチーズをオン。スパイスを油で熱し、好きな具材を足すだけで本格的な味に仕上がる。

当時と比べてギア全般がコンパクトになった恩恵もあり、無理に削らなくても、いまは4泊5日のテント泊装備は40ℓサイズに十分収めることができる。そして今晩もテントに戻れば、おいしい食事と冷え冷えのビールが待っている。

「上記の4品はフライパンがひとつあれば作れます!」

のんびりとすごすのは2日目まで。3日目は、薬師岳に登るべく、緑あふれる樹林帯を抜け、真っ白な砂礫稜線へと高度を上げていく。

ひとりで山を歩くのは静かに山を楽しみたいから、という登山者は多い。しかし僕の場合は逆で、知らない人との出会いや会話が楽しみだったりする。

情報収集兼おしゃべり中。すれ違う人ごとについ話し込むものだから、遅々として進みやしない。

街で見ず知らずの人から、僕が生まれるよりもずっと昔の話や、まだ行ったことのない場所の話を聞ける機会なんてほぼない。でも、山中ならば違和感なく、そんな貴重な話が聞けるのだから不思議なものだ。

薬師岳山荘では、一度おしゃべりに夢中になり、山頂に登る時間がなくなったことがある。名物のあんみつを食べながら聞いた、夏は山、冬は杜氏として日本酒を作っているというご主人の話は興味深すぎた。同じ轍は踏まぬよう、今日は薬師岳山荘とは目を合わさぬように先を急ぐ。

北薬師岳から間山の間にある急なガレ場を下る。

遠くから見ても薬師岳の大きさは一目瞭然だが、近づくにつれ、その大きさがより実感できる。聳え立つというより、横たわるという表現がしっくりくる巨大な山塊は、3つの広大なカールを内包している。残雪が斜面に描く真っ白なマダラ模様と、溶け出した水が山肌に染み出した跡をなぞるような、高山植物の緑が織りなすコントラストは、じつに見事だ。

あんみつに後ろ髪を引かれつつ、たどり着いた薬師岳山頂は、さすが人気の百名山。多くの登山者がいるなか、欧米人の姿が目立つ。

スゴ乗越小屋の名物は、通称「スゴカレー」。なんだかみなさん、おいしいカレーを作りそうな風貌でしょ?

最近、海外旅行者のあいだで、北アルプスは人気の旅先らしい。
遥々ベルギーからやって来たというカップルから、「こないだのW杯のベルギー対日本戦は最高だったな!」といきなり握手を求められた。槍を経由して穂高まで歩くというので、あの山がそれだよ、といっしょに眺めていると、初めて北アルプスを歩いた日から年月がすぎ去る早さを感じた。

カールの写真を熱心に撮影していたおじさんは、「30年前に妻と見たときと、このカールの厳しさと美しさはまったく変わらないねえ。山は変わらん」と、なにか昔の記憶を思い出して感慨深げ。山にはいつ訪れても変わらない景色があるからこそ、それぞれが街ですごしてきた時間の流れが感じやすい。

「同じ山や山域に何度も登る意味がわからない」という登山者もいるが、僕は目の前の景色が不意に忘れていた記憶と繋がるこの瞬間が、たまらなく好きだ。

山々を振り返り感慨に浸る。
そんな余裕を与えないほどこの登り返しはしんどい……。

薬師岳から先はひたすら雲上の稜線歩きが続く。技術的に特筆すべき危険箇所はなく、ずっとすばらしい景色が続くのだが、エスケープルートも直射日光からの逃げ場もない。直射日光対策とこまめな水分補給、天気次第では進むか戻るかの状況判断が必要不可欠だ。

また、この稜線上は、せっかく標高を稼いでも、きっちり下って、再びしっかり登り返すアップダウンの連続。技術面よりも、体力と強いメンタルが試されるようなトレイルが続く。スゴ乗越からスゴノ頭の急登を経て、さらに一気に下った鞍部から再び急登を登り返す越中沢岳周辺が、このルートの精神的核心部だろう。有料の巻道ができるなら、喜んで利用したいくらい。

一方で、薬師岳から五色ヶ原までは、このしんどさと日数がかかることから、比較的登山者が少ないのも魅力のひとつ。ひとり静かに北アルプスならではの絶景と高山植物との出会いが満喫できる。越中沢岳の山頂は、ルートを象徴する「静かな北アルプスの展望台」的な存在で、北から立山連峰、劔岳、後立山連峰、裏銀座の峰々に薬師岳まで見渡せる。

「スゴノ頭~越中沢岳への登り返しが核心部」

最後の宿泊地に設定した五色ヶ原キャンプ地は、灼熱の稜線歩きでお腹が一杯になったあとに待つ最高のデザートである。ここに泊まるためだけに、足を運んでも損はない。なにがすごいって、まずテント場中にチングルマやハクサンイチゲ、コバイケイソウをはじめとする高山植物が所狭しと咲き乱れていること。とくに、夕方や朝のドラマチックな光に、チングルマの綿毛が照らされて輝く時間帯の美しさは、僕の稚拙な日本語力じゃうまく説明できない。

また、3000m級の山々にグルッと囲まれた環境が電波をブロックしてくれるおかげで、街からの煩わしい連絡も届かない。そもそも、刻々と移り変わる景色を眺めるのに忙しくて、スマホを開く気もおきやしないだろう。

見てよ、このロケーション。最高っす。テントはモンベル「U.Lドームシェルター」。わずか742g!

山仲間たちが五色ヶ原を褒めちぎっていた意味が
訪れてみてよーくわかった。

室堂から歩いて来た人からの情報によると、週末なのでターミナルは大混雑らしい。ならば、混雑を避けて黒部ダムに下るルートを取ろう。そうすれば、またちょっと釣りもできそうだし。

じつは、今回機会があればぜひお会いしたいと思っていたのが、平ノ小屋のご主人であり、釣り名人としても名高い佐伯さんである。

雪渓の雪解け水で行水中の図。足をつけていられないくらい冷たい。

朝イチに小屋を覗くと、「もう少し水が温んでこないと魚は釣れないなあ。まあ、いったん上がってゆっくりしていけばいいよ」と、中に招き入れてくれた。
佐伯さんは、いろいろな話をしてくれて、気がつけば3時間も居座ってしまった。なかでも興味深かったのは、やっぱり釣りのお話。

山奥でばかり釣りをするものだから、あまり頭を使わなくても釣れてしまい、とんと釣りが上手くならないのですと説明すると、それは違うよと諭された。

高山植物が咲き乱れる五色ヶ原周辺は別天地。

「釣れないときに、どうすれば釣れるのかはだれもが考える。釣れているときにこそ、なぜ釣れたか考えられるかが大事なんだ」

なるほど。これは釣りの話ではあるが、まるで人生訓のような話だ。成功しているときこそ、その成功にあぐらをかかず、なぜいまの成功があるかを考えてみる。それがまた次の一尾に繋がるのだな。
やはり、山で聞く話は染み入る。

とくに朝の美しさは格別なのだ。

下山後に向かった露天風呂で出会った登山者とは日焼け具合を誇り合い、食堂でも瓶ビール片手にまた別の登山者たちと旅の余韻を語りあった。
満ち足りた気持ちで駅へ向かう。
と、呆れ顔の駅員に言われた。

「お客さん、東京行きは19時が最終ですよ」
19時半なのに終電がないのね……。ああ、もうやんなっちゃう。
皆さん、おしゃべりはほどほどに。

>>ルートガイドはこちらから

自由気ままに歩く灼熱のダイアモンドルート ルートガイド

自由気ままに歩く灼熱のダイアモンドルート ルートガイド

2020年09月17日

池田 圭

フリーの編集・ライター。その風貌から、山では山小屋の人に間違えられて道や天気をよく尋ねられる。今年の夏は、秋の遠征を見据えてパックラフトの特訓に励む予定。

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