登って、歩けて、滑れるウロコ板でスキーハイキングの聖地 ”北ヤツ”へ
PEAKS 編集部
- 2021年01月26日
「雪の上を歩く道具」といえば、いまやスノーシューがド定番。だが、ちょっと前までなだらかな雪山ではみんなスキーを履いていた。ソールにステップ加工(ウロコ)を施し、登って、滑れる、細い板。
シューズは山も歩けるシブ~い革靴。履いてみると驚くほど軽快! スノーシューよりも速いし、ラク。難しいから「こんちくしょー」と長く楽しめる。雪山を楽しむひとつのツールとして、古いようで新しいBCクロカンを!
文◉森山伸也 Text by Shinya Moriyama
写真◉飯坂 大 Photo by Dai Iizaka
出典◉PEAKS 2016年2月号 No.75
“歩くスキー”の聖地、北ヤツ
15~20年前まで歩くスキーヤーで賑わったという北八ヶ岳。BCクロカンとちょいULを組み合わせた新たなスタイルで標高2,000mの高地を駆ける。でも、雪が……。
BC CROSS COUNTRY Skiing
新年早々テントを担いで北八ヶ岳を歩いてきた。驚くべきは、本誌の編集スピードではなく、雪の少なさだ。「雪ないねー」がすれ違うみなの挨拶代わりとなり、彼らの視線はぼくらの背後からにょきっと飛び出たスキーに釘付け。
そう、この年の山歩きはあえて雪がないとはじまらないスキーハイキングからはじまった。
ぼくらが履いているスキーは、いわゆるクロスカントリースキーと呼ばれる板だ。〝滑り〞より〝歩き〞を重視した伝統的なスキーである。あのソチ冬季オリンピックで記憶に新しいクロスカントリーね。いやちょっと違う。
あっちは圧雪されたコースを滑る競技だが、こっちはバックカントリーを歩き、滑るために開発されたクロスカントリースキー、いわゆるBCクロカンと呼ばれるヤツだ。
おもな特徴をいくつか上げると。
滑走面に後方への滑り止めステップ(ウロコ)加工を施していて、前には進むが後ろには滑らない。
すなわち、歩いて、登って、滑れる。歩行を重視しているからゲレンデで見かけるスキーと比べるとだいぶ幅が細く、軽い。細っこくても丈があるので浮力はスノーシュー並み。固い斜面をトラバースしたり、凸凹道でも安定して歩けるようソールにはスチールエッジが付いている。
重量はビンディング付きで2㎏後半。スノーシューと同等か、ものによっては軽い。ブーツは歩きやすいしなやかな革製。その革靴と板を連結するビンディングはシンプルなクロスカントリータイプでつま先のみが固定され、かかとが自由に上げ下げできる。歩きやすいが、だいぶ不安定。最初はだれもが生まれたての子鹿になる。ゲレンデスキー歴2年目の編集部員ヒジヤもしかり。
こうして文字におこすとややこしい道具でしかない。とにもかくにも、ラクに歩けて、滑れる万能な雪上移動道具なのだ。
標高2237mの北八ヶ岳ロープウェイ山頂駅から縞枯山荘へ続く登山道は白かった。
だが憎たらしい黒い石がところどころ「やーい」と顔を出している。
積雪は15~20㎝ほどか。
致し方なくスキーをA型にしてバックパックのサイドにくくり付ける。風が板を押し、体をよろけさせた。
暖冬がスキーの軽さを教えてくれる。
露出した岩がなくなるとすかさず板を履く。忙しい。だが、ぱっと20秒くらいで履けるのがBCクロカンの強みである。
登山者によって踏みならされた山道はカリカリのアイスバーンで板が横へ斜めへ滑る滑る。ヒジヤは早速BCクロカンの洗礼を浴びることになった。スッテンコロリ。
わずか15分ほどで縞枯山荘に到着。ここはテレマークスキーのレンタルとレッスンをやっているめずらしい山小屋だ。小屋の棚にはからからに渇いたテレマークスキーのプラスチックブーツが雪を待ち望むように並んでいた。
「今年はこの雪だから、スクールもゲレンデのみです。ここから白駒池までは、きっと林道くらいしか滑れませんよ」
ストーブの前で新聞を読んでいた小屋番が沈んだ声でいった。
いまから15~20年前、冬の北八ヶ岳は山スキーの聖地だった。いまでも縞枯山荘のほか、麦草ヒュッテ、青苔荘、高見石小屋にはレンタルスキーが置かれている。
お洒落でこぎれいな山小屋が点在し、山ガールに人気の北八ヶ岳に細板スキーヤーが連なる絵は想像できない。実際、今回の旅でもスノーシューはたくさん見かけたがスキーは一台も見なかった。なぜこんなにも楽しく、美しく、機能的な山旅道具がたった15年間で廃れてしまったのか?
その答えを見つけることが、今回の旅の隠れテーマであった。
縞枯山荘から先は、縞枯山と茶臼山を踏んで麦草峠へという稜線ルートが一般的だ。だがスキーハイキングはなるべく山頂を踏まない。稜線は風で雪が飛ばされるうえ、カチカチになった急斜面は登れないし滑れない。
北ヤツスキーハイキングは“歩くスキーの歴史”を追う旅だった。
速やかに雪を求めて大石川林道へ下る。すると再び大きな岩が露出しはじめスキーはずっと背中で寝ていた。
下り基調の大石川林道で、ようやく疾走感を得ることができた。
一歩一歩足裏でウロコを意識しながら雪面を蹴り、板に乗る。
スノーシューのように一歩一歩足を上げる。必要がないので新雪でも疲れない。
霜柱と粉雪でパックされた雨池を経由し、コースタイム通りに麦草峠へ出た。滑るよりも、板を背負っている時間の方が長いってどうなの。
幸い、クロカンのブーツはそのまま登山靴として歩けるポテンシャルを持っている。板は背負っても苦にならない軽さ。これもBCクロカンのメリットである。
暖冬がそれを教えてくれたとして、よしとしよう。
三角屋根の麦草ヒュッテでしばしコーヒー休憩。薪ストーブの周りには10セットほどのレンタルスキーが並んでいた。買いたくてもなかなか買えない年代物ばかり。
BCクロカンよりも滑り重視のしっかりしたウロコ板で、革靴のコバを3つのピンで固定するスリーピンタイプだ。XCスキー、あるいはテレマークスキーと呼ばれているタイプである。
主人の島立さんがかつて北八ヶ岳を賑わせた山スキーブームについて教えてくれた。
「いまから15年くらい前までかな、北ヤツは冬になるとスキーを履いた登山客でいっぱいでしたよ。最盛期でレンタルスキーは100セットありましたから。いまはスノーシューのお客さんが大半ですね。スキーを楽しんでいた世代が高齢化し、転んだら危ないからだれでも楽しめて安全なスノーシューへ移行していった結果でしょうか。すると登山道はしっかり踏み固められ、スキーヤーにしてみれば危なくて滑れたもんじゃない」
かつては北関東の日光、裏磐梯で練習を重ね、最後は北ヤツで腕試しというステップアップの流れがあったという。
スキーヤーにとって北ヤツは、そんな憧憬の地であり、目標地点であったのだ。
麦草ヒュッテのレンタルスキーは、駐車場があるメルヘン広場まで国道299号を滑って下れる乗り捨て用としておもに活躍していた。
若いスキーヤーをヒーヒー言わせた全盛期の北ヤツが聞いたら泣いちゃうようなスキー事情がここにはあった。
白駒池入口へ下る国道299号で、今回の最高滑走速度を記録。
日が高くなると後方へ流れるシラビソの森が一層青々とし、季節感がいよいよ掴めない。
青苔荘のテント場にもぜんぜん雪がなかった。しかも雪はサラッサラ。スキーが雪面に立たない。
ヒジヤは氷った地面にペグを打っている。いいなペグ。日当りのいい南斜面で水分を多く含んだ雪を集めスノーアンカーの上に盛り、なんとか寝床を設営した。
小屋の主人、山浦さんにスキーの話を聞きに行く。売店の隅にすっかり日に焼けて色あせたテレマークの教本とDVDが並んでいた。
僕らがスキーでやってきたことを知ると、山浦さんは昔を懐かしみ突然饒舌になった。
「15年前くらいまで、いま時期はスキーヤーで賑わったものですよ。開けた斜面もいくつかあるけど、今年はダメだろうな。片付けてあるけどスキーレンタルもありますよ。リクエストがあれば宿泊者に無料で貸し出しています」
ゲレンデ内の山小屋じゃあるまい。こんなにスキーヤーを優遇してくれる山小屋はほかにない。
昨日やってきた道を麦草ヒュッテまで戻り、茶臼山の西へ回り込む。この辺りから「XCコース」と書かれたフラッグが登山道の脇に現れた。
これは北八ヶ岳の山小屋とペンションが主体となった北八ヶ岳バックカントリースキークラブが管理している冬季用の道標だ。かつて多くのスキーヤーの視線を集めた旗は寂しそうに風に揺れていた。
あの小屋で眠っているスキーは、日の目をみることなく朽ちるだろう。古い時代を美化する気はさらさらない。
だが、20年前に多くの若者を魅了した歩くスキーが再びぼくらの心に響いていることはまぎれもない事実だ。
大地と足の間に板を入れた瞬間ワクワクする。力任せではどうしようもできない世界へ投げ出される。カラダとの対話がはじまる。
歩幅が2倍3倍になった感覚。バランスが風を動かし、重力が山を後方へ押し流す。すべてが新しい。シンプルな道具の魅力は色あせない。おじいちゃんになるまでスノーシューには戻れそうもない。
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PROFILE
PEAKS 編集部
装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。
装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。