秀麗富嶽十二景の旅|春の息吹に包まれ富士を見上げる
PEAKS 編集部
- 2021年05月01日
新緑と山桜の開花に恵まれた5月中旬。富士山を眺めながら歩くことができる大菩薩嶺から「秀麗富嶽十二景」に認定される小金沢稜線へと向かった。そこには、高峰とは異なる人の営みを感じることができる山並みが広がっていた。
文◉村石太郎 Text by Taro Muraishi
写真◉矢島慎一 Photos by Shinichi Yajima
取材期間◉2016年5月12日~14日
出典◉PEAKS 2017年5月号 No.90
日本百名山の大菩薩嶺登頂
眩いばかりの新緑が目の前に広がっていた。ブナやミズナラ、イタヤカエデといった木々の葉が一斉に芽吹き、あたり一面が薄緑色のベールに包まれている。登山靴のソールを通じて伝わってくる柔らかな地面の感触も心地よい。
JR中央本線、塩山駅から山梨交通バスで約50分。今回、出発点とした柳沢峠からの登山道は、若葉のなかをゆるやかに登っている。
ときおり苔むした針葉樹林帯になったかと思うと、再び新緑が眩しい雑木林に戻っていく。この道を歩こうと思ったきっかけは、同行した矢島慎一のアイデアだった。
まだここを訪れたことはなかったが、きっと良い写真が撮れるに違いない。彼は、いつからかそう考えていたという。
訪れてみると、柳沢峠から登った先に伸びる稜線をつなげば、ひたすら富士山を前方に望みながら南へ、南へと歩くことができるのも魅力的だった。アルプスの山々は、まだまだ深い雪に覆われている。だからこそ、少し標高を落として、新緑と草花が咲く春の山を楽しみとしたというわけなのだ。
「いい山だな」
そんなことを口にしながら歩いていると、あっという間に山小屋「丸川荘」がある丸川峠に着いていた。山小屋は閉まっているのだろうか。人気の気配が感じられなかった。
先を急がず、ゆっくりと新緑に包まれた森を歩く登山もいいものだ。
「トラジャストレート・500円」「ロイヤルブレンド・400円」「モカブレンド・400円」「コロンビアブレンド・400円」窓に直接書かれたメニューには、山小屋としては随分こだわりが感じられるコーヒーメニューが書かれていた。
マイカップを持っていくと、50円引きになるそうだ。その下には、〝山小屋利用の方はお電話を〞と携帯電話番号が書かれている。山小屋の主人は室内で昼寝でもしているのかもしれない。
時間には余裕があるので、一杯くらい頼もうか?
と考えたが、欲望に後ろ髪を引かれながらも小屋をあとにすることにした。
ここからの道は、笹藪のなかに作られた登り道を進んで徐々に高度を上げていった。1時間ほどがすぎただろうか。尾根の勾配が少し和らいだと思ったら、そこが今回の最高地点となる標高2057mの大菩薩嶺山頂だった。樹木に囲まれた山頂に展望はなく、ひっそりと静まりかえっていた。
「日本百名山」、「山梨百名山」と刻印された道標の横に僕は腰掛けた。すると、ひとりの老登山者がやってきて、おもむろに弁当を広げて食べ始める。さらに、初老の男女4人組の登山者たちがやってきて、腰を下ろすと魔法瓶と煎餅を取り出した。そして山頂は、あっという間に賑やかになった。
人の声を聞きつけてか、今度は一匹の小さなキツネがやってきた。きっと食べ物をねだりに来ているのだろう。一定の距離を保ちながら、おこぼれを求めるかのように右から左へ、左から右へと小走りする。
しばらく経つと諦めたのだろう、登山道の向こう側へと走り去ってしまった。
「お先です!」
大菩薩嶺山頂で休憩していたほかの登山者たちにあいさつをすると、僕は「福ちゃん荘」へと出発した。徐々に標高を下げていく。
富士山が現れ、山肌に隠れたかと思うとまた顔を出す。
すると、ぱっと視界が開けた。目の前には、裾野を大きく広げた富士山あった。山頂付近の雪は、5月中旬とは思えないほど少ない。
僕はこの翌週に富士山へスキーを担いで登り、山頂付近から滑り降りる予定を立てていた。積雪量の少なさが気にはなるのだが、滑り降りるのを想像すると楽しみだ。
さらに、登山道を下っていくと、「福ちゃん荘」へとたどりついた。
宿の御主人にあいさつをしてテント泊の記帳をする。利用料の400円とともに缶ビール2本分の代金を手渡した。
週末になると生ビールも提供しているそうだが、今日は平日とあって残念ながら注文することができなかった。仕方ない。それでも、こうやって代金さえ渡せば、ここまでバックパックの中に背負ってこなくても缶ビールが手に入るのだから幸せだ。
2本のビールを手に、山小屋から道をはさんですぐのキャンプ場へと向かった。一番心地よさそうに場所を選んでそこにバックパックを置くと、缶のプルダブを引いて一気に喉を潤す。
「あぁー、最高だー」
日差しは、まだ高い。バックパックの中にしまっていたサンダルを取り出すと、登山靴とソックスを脱いで足を解放する。そして、缶ビールを手に、もうひと口。
「あぁー、やっぱり最高だー!」
ほかにはだれもいない貸し切りのキャンプ場で、さらにもうひと口ビールを喉に流し込む。空腹で酔いが回った僕は、上機嫌でテントを設営し、切り株の横に持ってきた座椅子とガスバーナー、鍋や食材を置いた。座椅子に腰掛けると、1缶目のビールを飲み干した。
そして1缶目のビールが空いてしまうと、早めにもう1缶買っておこうかなと大いに悩むのであった。
夕食の前に、ローストビーフの缶詰を開けて鍋に出す。味付けは、輪切りにした唐辛子のみ。ストーブに掛けて、フツフツと10分程煮込んだ。箸でつまむと、2缶目のビールに手をつける。
「あぁー、最高だー」
日が傾き始め、徐々に気温が下がってきた。ジャケットを取り出して羽織る。ビールを飲んでいると体が冷えてきたので、忍ばせてきた純米酒を取り出す。
今日は4時間ほどの行程だった。
先を急がず、ゆっくりと新緑に包まれた森を歩いてきた。辛い行程を、時間と戦いながらヘトヘトになるまで歩くのもいい。だが、こうして余裕を持ってすごす日もまたいいものだ。
とくに春先は。体が怠けているという人にもおすすめだ。年齢を重ねるに連れて、僕もこうした登山も楽しめるようになってきたのだと思う。
あらかじめ湯を入れておいたアルファ米もそろそろできあがっているころだろうか。山小屋の軒先には、「煮込みおでん」やら「みそおでん」、「もつ煮込み」に「岩魚塩焼き」と魅惑のメニューが掲げられている。それでも僕は、質素なドライフードで満足だった。
山では歩くことが楽しめればいい。
あまりに多くのことを持ち込むと、登山そのものがおもしろくなくなってしまう。
2日目の朝。テントのジッパーを開けて見上げると、空はよく晴れていた。今日の行程は、約6時間。それほど急ぐ必要はない。僕は、ゆっくりと出発の準備を整えて歩き始めようとした。
昨日下ってきた唐松尾根を登り返し、雷岩という岩稜帯の稜線を歩く。いま来た道を振り返ると、青空の下に富士山があった。そしてどこから登ってきたのだろうか。
すでに4~5人の登山者が雷岩周辺で休憩をしていた。
そこから大菩薩峠までの南斜面は、笹に覆われた草原のなかを歩く。眼下には避難小屋が建っていて、その向こう側には登山道の両側でアーケードのように山小屋が軒を連ねている。
山小屋の軒先には、日本百名山と刻印された大菩薩嶺登頂の記念バッジ、ワッペン、Tシャツなどが掛けられ、大勢の登山客たちが品定めをしていた。
軽食を目当てにしている人もいるようだった。
さらに南へと歩を進めると、雑木林はコメツガなどの針葉樹林帯になっていった。標高2041mの小金沢山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山(うしおくのがんがはらすりやま)と続く。
そのピークに立つと、それぞれに「秀麗富嶽十二景」と看板が立てられていた。山梨県大月市が富士山を望むのに優れた場所として定めたものらしく、今回のルート上では6カ所を通過する。この先で東側へと分岐した道を進む雁ヶ腹摺山も、旧500円札に印刷された富士山を描いた場所として知られている。
このあたりでは、それぞれのピークを踏むと富士山が姿を現し、木々や山肌に隠れたかと思うと次のピークでまた顔を出す。そんなことを繰り返していると、林道の終着点にある「湯ノ沢峠避難小屋」に到着した。山麓のキャンプ場に泊まることも考えたが、今日はここに泊まらせてもらうことにした。
神社で休憩ができるのも、人の住む場所に近い山の魅力だ。
避難小屋から外を覗くと、空は厚い雲に覆われていた。昨夜は、早々と夕食を終えて寝袋にくるまると、いつのまにか寝てしまっていた。
背丈ほどある笹原のなかを歩き、大谷ヶ丸(おおやがまる)の分岐点へと到着すると道幅が急に広くなった。反対側からは、軽装の登山者が会話を楽しみながら歩いてくる。
どうやら、笹子駅を起点に滝子山へデイハイキングに来ているようだ。最後のピーク滝子山へと向かうにつれて、すれ違う登山客が増える。山頂では、20人ほどの登山者が思い思いに休憩をしていた。空はいまも雲に覆われていて、富士山を見ることはできない。
みな晴れ間を願い、富士山が姿を現す一瞬を待っているようだった。僕たちも雲が切れるのを待っていたが、諦めて下山を開始することにした。
中央本線初狩駅への下山道の途中には、「女坂」と「男坂」と書かれた案内板があった。僕は、迷わず「女坂」を進んだ。新緑が眩しい森のなかで、ツツジの木が可憐な花を咲かせている。
女坂を下りて沢沿いの道を進んでいくと、舗装路が出てきた。舗装路の硬い衝撃が足に伝わり痛い。その感覚を少しでも和らげようと、集落にある神社の境内で足を休めた。
再び舗装路を歩きめると、中央高速道の高架下を抜け、田畑を横切り、住宅街を通って初狩駅にたどりついた。だが残念だ。昼飯を食べようと期待していた食堂がどこにもない。
ビールを飲みながら、餃子でもつまみたかったのだ。仕方ない。諦めてちょうど到着した電車に飛び乗った。
温かな車内で、この3日間のできごとを思い返す。
標高はそれほど高くないのだが、展望が開けたいい山だった。高峰の登山もいいが、またこんな山を見つけて登りに来よう。
いまだビールと餃子を想像しながら、そんなことを思うのであった。
ルートガイドはこちらから>>>
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文◉村石太郎 Text by Taro Muraishi
写真◉矢島慎一 Photos by Shinichi Yajima
取材期間:2016年5月12日~14日
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PEAKS 編集部
装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。
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