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西の山男たちが目指した地平

高みを求めた登山家が日本アルプスを目指すのは関東と同じだ。しかし、「山は高さ故に貴からず」の古き言葉を実践し、関西各地の山々をゆりかごに、独自の登山文化を築かれた。関西アルピニズムの草創期を拓いた偉人たちによって。

文◉藍野裕之 Text by Hiroyuki Aino
イラスト◉マイコペリー Illustration by maikoperry
出典◉PEAKS 2017年5月号 No.90 

いま一度、その背中と言葉を胸に刻み込む

昨年のマナスル登頂60周年記念式典は、東京だけではなく京都でも開かれた。その席上、AACK(京都大学学士山岳会)会長の松沢哲郎京大教授が、大きな夢を語った。

「いつの日か、京都に国立ヒマラヤ研究所を創設したい」

国立ヒマラヤ研究所が、どうして京都なのか。それには、もちろんわけがある。ヒマラヤ周辺の仏教文化の東の極みが奈良、そして京都であり、さらに「探検大学」の異名をとる京都大学によるヒマラヤ研究の伝統がある。

なにしろ日本人初の8000m登頂を成し遂げたマナスル遠征のはじまりは、京都大学から起こったのだ。
加えて神戸は外人居留区があり、明治期から六甲山が登山の対象になった。六甲は西洋登山文化との接点という意味で、第二の上高地といっていいのである。

そして、この地に日本最初のロッククライミングを主にした登山団体、RCC(ロック・クライミング・クラブ)が生まれた。
探検とロッククライミングが目指したのは未知の地平であり、未踏の岩壁である。

日本の登山史を語るときには、この関西の山男たちの流れを欠かすことができない。というより未知の扉をこじ開けてきたのは、じつは関西の低山をゆりかごにした、関西の山男たちだったのだ。

加藤文太郎:1905~1936

単独行者よ強くなれ!

100㎞ほどを1日で歩いた(写真:加藤文太郎記念図書館)。

兵庫県浜坂町(現・新温泉町)生まれ。大正末から昭和初期に疾風のごとく日本の登山界を駆け抜けた異色の登山家だ。小学校を終えると、神戸の工場で働きながら夜間工業学校に通った。

卒業後に登山を始める。上の言葉は、唯一の著書である『単独行』の序文にある。藤木九三が組織したRCCに参加したが、単独で山と対することを好んだ。槍ヶ岳冬期単独登頂を初めて成し遂げたのち、31歳を間近にして冬の槍ヶ岳北鎌尾根に散る。

登山用具が発達しておらず、高価だった時代。文太郎は登山靴など買えず、地下足袋で歩き、六甲全山縦走路を拓いた。そんな短い劇的な生涯をモデルに、新田次郎は『孤高の人』を書いた。

西岡一雄:1886~1964

鈴鹿でうける感触はすべてが柔らかい。

滋賀県大津市生まれ。大阪税関に勤務したのち、1921 年にマリア運動具店を創業し、それを発展させて日本最初の総合登山用具店である好日山荘を創業。大阪を拠点としたため、京都、大阪、兵庫の登山家たちと交流し、日本の近代アルピニズムを道具面から支えていった。

藤木九三とともにRCCを創設したほか、もちろん自身でも広く日本の山々を歩いた。上の言葉は、「近畿の山々」と題したエッセイの一節。この小文では、鈴鹿だけではなく、近畿各地の山の魅力を綴り、讃えている。

今西錦司:1902~1992

北山は罪なるかな。

1942年に中国東北部の地理学上の空白地帯を踏破(写真:京都大学総合博物館)。

京都市西陣に生まれる。AACK設立の立役者。今西の登山は学問と並行して行なわれ、その行為は探検と総称してよいだろう。日本人初のヒマラヤ8,000m 峰登山であるマナスル遠征への道も拓き、偵察隊の隊長として登路発見に貢献した。

学者としては生物学、生態学を基礎にして未開拓分野に挑み、とりわけ京大で霊長類学(サル学)を立ち上げ、世界レベルに発展させた。そんな今西は、同世代の仲間とともに、ヤブ山の多い京都北山を登山の対象として拓いた。

上の言葉は、京都市中から北山を眺めると遠い見知らぬ国へ行きたくなってしまうという思いから出たもの。

大谷光瑞:1876~1948

ついに決心して、みずから西域の聖蹟を歴訪し、別に人を派遣して、新疆の内地を訪ねさせた。

京都市生まれ。浄土真宗本願寺派第22 世法主。20 世紀初頭、スウェン・ヘディン、オーレル・スタインなどによる中央アジア探検に刺激を受け、宗派の莫大な蓄財をバックに12年間で3度の大探検を出した。

自らもパミールを踏査したが、若く優秀な人材を門徒から抜擢し、タクラマカン砂漠の踏破、天山山脈周辺の調査、さらにはカラコラム山脈越えを実施させた。その調査の目的は、仏教伝来の謎を解き明かそうというものだった。

藤木九三:1887~1970

真のアルピニストは、人間の感覚に触れたことのないピークや、岩壁を慕うて山々をさまよう。

京都府福知山市生まれ。早稲田大学に学び、新聞記者になる。1915 年からは朝日新聞社に勤務し、秩父宮の登山に随行したのをきっかけに登山を始め、槇有恒が案内役を務めた秩父宮のヨーロッパ・アルプス登山にも随行。

そして、神戸支社勤務の際にはRCC創設を中心になって進める。1935 年には今西錦司を隊長とした京都帝国大学冬白頭山遠征隊にも随行し、厳冬期の白頭山で極地法による登山を経験した。

今西壽雄:1914~1995

登る山の道のりがどんなに遠くても、一歩一歩、歩いとったらいつかはたどり着ける。あきらめないことです。

1956年5月9日、マナスルの頂に立つ今西壽雄(写真:毎日新聞社)。

奈良県大和高田市生まれ。1956 年、日本山岳会の第3次マナスル登山隊に参加し、42歳になろうとする年齢だったが、持ち前の馬力を発揮して荷揚げに貢献。さらには、シェルパのガルツェン・ノブルとともに初登頂者となる。

登山は浪速高校(現・大阪府立大学)時代に始め、京都帝国大学旅行部時代は樺太踏査隊を率いるなど中心的な存在として活躍。1953 年、マナスル計画を日本山岳会に禅譲したAACKは、今西を隊長に独自にアンナプルナⅡ峰へ遠征した。

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PEAKS 編集部

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装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。

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