松濤 明 【山岳スーパースター列伝】#14
森山憲一
- 2022年04月05日
文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2014年1月号 No.50
山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
今回は、戦前から戦後を駆け抜けた夭折のクライマー。北鎌尾根を有名にしたこの人だ。
松濤 明
全身凍ッテ力ナシ
何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス
この呪文のような一節、どこかで見聞きしたことがあるんじゃないだろうか。
冬の槍ヶ岳北鎌尾根で暴風雪に見舞われて雪洞から一歩も動けず、刻一刻と迫る凍死を前にして書かれた遺書の一部。カタカナで書かれているのは時代によるものではなく、凍傷にやられて指先が思うように動かないため。画数が少ないカタカナしか書けなかったのだ。
読む者に強い衝撃を与えずにはいられないこの文章は、その凄絶さにおいて、マラソンの円谷幸吉の遺書と並び称されることが多い。
遺書はさらに続く。いちばん有名な一節はこれかもしれない。
我々ガ死ンデ
死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体ヲ作ル
個人ハカリノ姿
グルグルマワル
いまにも死を迎えようとしているのに、この誌的な文章はなんだろう。死にかけた体で、凍傷を負った手で、こんな文を書けるものなのだろうか。だから有名になったのではあるけれど。
1949年1月、松濤明は、パートナーの有元克己とともに北鎌尾根で遭難死した。享年26。その年の7月に遺体が発見された。同時に発見された手帳に書かれた遺書が収録された『風雪のビヴァーク』が翌1950年に刊行され、悲劇のヒーローとして広く知られるようになった。
槍ヶ岳北鎌尾根は、一般登山道がないバリエーションルートのわりに知名度が高く、雪山登山やクライミングをやらない人でもその名は知っている。それは松濤明のこの遺書によるところが大きい。そして、『孤高の人』で知られる加藤文太郎が遭難死した場所でもある。このふたつの悲劇の舞台として、ある種のヒロイックなイメージが植え付けられたからである。
こうして「全身凍ッテ力ナシ」は有名になったが、それを書いた松濤明という人が何者なのかは、加藤文太郎に比べるとあまり知られていない。
松濤明が活躍していたのは第二次大戦前から戦後にかけて。驚くのは15歳ですでに谷川岳のバリエーションルートを単独登攀していること。1937年の話である。情報も道具も技術もいまとは比べものにならないほど貧しい時代だ。そして登山はほとんど独学。時代を超えた早熟の天才だったのである。
10代から20代にかけて、北・南アルプスや八ヶ岳、谷川岳で、数々の初登攀や驚異的な記録を残している。戦時中は徴兵されていたため、登山で活躍したのは10年ほどにすぎない。しかもその半分以上は10代のとき。いま見てもその山遍歴は鮮烈である。
松濤明は反骨の男でもあった。彼は登歩溪流会という山岳会のメンバーだった。登歩溪流会はそのほのぼのとした名前とは裏腹に、戦前から戦後にかけて猛威を振るった強力集団である。下町を中心とする勤め人の組織だったため海外登山の実績こそないが、個人の力量は大学山岳部をはるかにしのぐものがあった。松濤はそのエースのひとりとして、当時の登山界の中心であった大学山岳部への敵愾心を隠そうとしなかった。
私は松濤明について思うとき、よくジェームス・ディーンを連想する。どちらも若くして壮烈な死に方をした。青くさい反抗のイメージもある。さらに女にもてる(ここ重要)。松濤は写真を見ると男前であり、実際、立ち寄った新穂高温泉の食堂で働いていた女性をひと目で恋に陥らせたという実績をもっている。文章を読んでも感じられるけど、この人はどこかスタイリッシュなんだ。
さて、問題の手帳、いまでも実物を見ることができる。北アルプスの麓にある大町山岳博物館に展示されている。汚れた手帳に乱れた文字で書かれた遺書は、活字で読むより何倍もの迫力がある。機会があれば見に行ってみることをおすすめします。
松濤 明
Matsunami Akira
1922年~1949年。宮城県出身の登山家。高校(旧制中学)時代に本格的に登山を始める。15歳のときに谷川岳一ノ倉沢一・二ノ沢中間リッジを単独登攀。1943年に出兵するまでに、穂高岳滝谷や北岳バットレスなどで数々の初登攀を行なう。1949年に槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死。
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PROFILE
PEAKS / 山岳ライター
森山憲一
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com