キノコの深淵・前編|Study to be quiet #7
成田賢二
- 2022年11月03日
INDEX
文・写真◎成田賢二 Text & Photo by Kenji Narita
父子のこと
私が水谷氏に連れられてS村の松林を訪ねたのは2018年の秋だったと記憶している。
いっしょに山で仕事した帰り道、氏の自宅に寄り「それでは午後からマツタケ採りに案内しますよ、そろそろ出ていてもおかしくないから」とかなり簡単にいわれた。氏の運転する軽バンは、山村の集落を越えて名も知らぬ峠へと続く未舗装の林道をしばらく走り、斜面が植林の杉林から赤松と雑木の混交林に変わったあたりで氏は車を止めた。
氏の車の助手席には就職試験を控えて帰省していた息子が同乗しており、当時25、6歳だったように思う。大柄で骨太な父親よりひと回り小柄ではあったが、肩幅はむしろ父親よりもありそうで、頑強さと俊敏さを併せ持った若者という印象であった。
私はキノコ採りに関しては素人というわけではなかったが、山登りやクライミングの帰りに氏のいうところの雑キノコ(氏はマツタケ以外のキノコをこう呼ぶ)を採るのがせいぜいであった。
マツタケが採れる山だということで、当時の私にはマツタケがどのような山の斜面に生えているのか見たこともなかったわけなのだが、少なくとも大して山を歩いたこともない息子よりは採れるだろうと考えて、親子のうしろについて山に入った。山は急斜面ではあるが、キノコ採りのものであろう人の歩く筋道があちこちに走っている。
「それじゃあ成田さんはこの尾根からあの谷までの間を広く見て下さい、おれはひとつ左の尾根を見ます。息子は右」
水谷氏は私より二十年も年長であるが、私が氏に渓流での釣りを教えたという経緯もあるためか、なぜか私には敬語を使い、それに不自然さがない。ここ数年、焚き火の前やテントの中で多くの夜を氏とともにすごしてきたが、それに変わりがなかった。年下である私がときには無遠慮な発言もしたのは間違いないが、氏の眼差しはつねに暖かいものであった。
いまになって考えれば、マツタケ採りが初めての友人を山に連れてきたとしたら、なんとか数本でも採らせてやろうと考えるのが人情であり、私はもっともキノコが生えるであろう筋(マツタケのシロがある縦目のこと、横目は棚と呼ぶ)を任されていたはずである。
キノコ目
「シーズン始めだからまだキノコ目になってないなあ、全然わかんないや」
そういいながら氏は私を呼び寄せると、地面に半ば潜って生えているマツタケを指し示した。その状況としては、仮に私がすぐ近くを通っていたとしても気づけていないくらいの感じである。
「この山は地が深いから松葉の下で見えないことがよくあるんですよ、不自然な膨らみがあったら触ってみて判断します。キノコがあれば固いです、ほらあれは違いますか」
水谷氏が指差した先は単なる松葉の堆積にしか見えなかったが、私が少し落ち葉をめくってみるとたしかにそこには氏のいう「地潜り」があった。
「まだ小さくてもう一日置きたいけど、(他人に)取られちゃうから仕方ないね、取ったら落ち葉をきっちり元の通りに戻して下さい、円形状にシロは広がるからこの近くにはまだあると思います、ここはあの空き缶とその小さな岩との十字線なんです」
氏はマツタケのシロの位置を正確に記憶しており、ただのゴミにしか見えない空き缶や僅かな露岩をその位置確認の根拠にしている。私には途切れなく続く松林の斜面にしか見えないが、マツタケは毎年必ず同じ場所に生えるため、毎年の場所の同定はもっとも重要といえる。
「昔は全部覚えてたけどね、いまはこれです」
氏はスマホのGPSアプリを取り出してこれ以上ないくらいに縮尺を拡大して、マツタケを採った場所にポイントを打ってある。(これは狭い地域の違うシロを区別しているためだと私は思っていたが、そうではなく単に老眼で細かい縮尺が見えないためらしい)
「一雨ごとに出るんですよ、いつどこのシロに出てくるかわかんない、上目(標高の高い上の棚)から出るってわけでもないです」
シロ
ひとしきり氏のシロを回ったところで私もようやく一本を見つけることができた。思わず喜びの声をあげてしまった。私はそのマツタケを抜く前に氏を呼んだ。
「いやーいいですね、型がいいじゃないですか。そしたらまず上を見てそれから横を見てあたりの場所を記憶するんです」
私はあたりを見回したが、一面の単なる松林のなかであり、その場所を記憶するのはどう考えても難しい。
「ならログ打っちゃいましょう。でもGPSもメートル単位ではズレるから、雰囲気を覚えたほうがいいです。それからかなり潜ってるから採るのは慎重に、少し掘らないと採れないです。採れたら採ったことはバレないように完璧に現状復帰してください」
私はまずマツタケが被っている松葉をすべて取り除けてマツタケの姿をじっくりと眺めた。写真でしか見たことのない本物のマツタケが目の前に自生している。
「かっこいいよねえ、昔なら見つけたらまずはタバコ一服、辺りを見回してシロがどんな風に広がるか考えて、あと雨で下のほうに流れて止まってるシロがあるかもしれないから下のほうをよく見ます」
私はいわれたとおりに作法をこなしたあとに、マツタケをさまざまな角度から写真に収めた。やがて抜きにかかる。そのがっちりした手応えと軸の硬さ、乾いた傘のささくれ具合は、そのほかのキノコとはまったく一線を画している。やがて「ボコッ」という低い音とともにキノコの軸部分の全容が姿を現した。思ったより遥かに軸は長く堂々たる体躯である。抜いた穴の根元には松茸の発生床となった白い菌糸が網目状になって松葉と松の根にからみついている。
「そのシロを動かしちゃダメです、キノコの石突に着いたシロはていねいに戻して。あと松の根を切ってもダメ、静かにマツタケだけを抜かないと。だいたい二十年から三十年くらいの若い赤松の根がマツタケ菌に感染してキノコになるんです。昔は柴刈りで村の人が山に入ってたから山がいつもきれいだったけど、いまはもうそんなことしないからね。この山も松葉が溜まりすぎてきちゃって、そのうち取れなくなるかもしれないね」
そういいながら水谷氏は付近にある雑キノコをむしって捨てている。
「マツタケ以外はキノコじゃないから全部捨てちゃえばいいんですよ、とくにこいつ、ケロウジっていうんですが、こいつはマツタケのシロを占領して食っちゃうらしいんですよ、こいつだけはなんとしても抜いて捨てないと」
菌の不思議
氏のマツタケに関する知識は、マツタケ採りの先達から教わったものや自分自身の研究で得られたものであり、現象の科学的な説明としては誤謬もあるらしい。しかし長年においてマツタケ山を歩き回った末に得られた実感から来ている。
「キノコ博士なんてほっとけばいいんですよ、オレたちはマツタケだけ採れればいいんだから」
そう笑いながら水谷氏は「虚無僧(ショウゲンジのこと)」や「クリタケ」だけは選んで魚籠に入れている。どちらも雑キノコとしては優秀な食菌であり、私にとってはなじみ深いキノコであった。
私ごとだが、幼少期に私は祖母に連れられて山に入り、ジゴボウ(ハナイグチのこと)、ショウゲンジ、チョコダケなどをよく採りに行った。私の祖母は地元ではキノコ博士的な存在であり、とくに晩年、山菜採りやキノコ採りに執拗なほどの情熱を傾けていた。こんなに採ってどうするのかというほどの雑キノコを酢漬けにして保管し、訪れる客に説明しては大根おろしと和えて食べさせていた。祖母の行動範囲としていた雑木林にマツタケの生える山はなく、仮に私がマツタケを採って祖母の前に差し出したとしたら「お前これをどこで採った……」と手を震わせたに違いない。いまはその祖母も既に亡く、その息子である私の父が「すごいもん採ってきたなあ」といいながらマツタケご飯を炊く。
魚籠
私の魚籠にも数本の松茸がたまったころ、斜面の上のほうから熊鈴を鳴らした別のキノコ採りが降りてくる気配があった。私はどう対応してよいかがわからないので水谷氏にそれを告げると既に勘づいている。
「この山は止め山じゃないからね、入るぶんには問題ないんだけど村の人だと面倒だからね」
水谷氏はなんとなくそのキノコ採りに近づいてようすを伺い、そのうちにしばらく話し込んでいた。
「街から来た素人だったよ、雑キノコと松茸ニ本くらい採ってたかな、おれも松茸ないねー、今年は不作かねーって話して来ました」
そういう水谷氏の魚籠には羊歯が敷いてあり、先ほど採っていた雑キノコがたくさん載っている。マツタケがあるようには見えない。
「うちの女房はマツタケほとんど食わないんですよ、匂いが嫌なんだって。でも虚無僧は食うんだよね、だから採ってるの。おかしいよね。だいたいプロは話しかけたりしないもんです。なにしに来てるかなんてわかりきってるから。あの爺、また来てるなと。魚籠の揺れ具合を遠目でみてどれくらい採ってるか判断するの。先行しててたくさん採ってたら、今日は全部採られたかなと思うでしょ。でもじつは雑キノコなの、そうやってお互いバカしてんだね」
私は松茸の世界の深みを垣間見た気がしていた。少なくとも私の魚籠に収まっている太軸の堂々たる松茸は300g近いのではないかと思われる。
「普通でキロ10万、不作の年は倍近くにはなったよね、昔はうちの近くの割烹に卸したりしてましたよ。とにかく松食い虫で、こっちの山は相当やられちゃったからね」
水谷氏は安曇野の犀川の近くで生まれ育った。長らく父親から受け継いだスーパーを営んでいたが世の流れに逆らえず閉業し、その後は林業や山小屋の仕事で生計を立てていた。
マツタケの発生源となるアカマツ林では、全国的に松食い虫(正式名称はマツ材線虫病)という線虫の被害が拡大しており、かつて金のなる山といわれたマツタケ山が、いまは見る影もないという場所は数多くある。
燃料を薪に求めていた時代には、赤松が生えるような明るく乾いた雑木林は、真っ先に柴刈りの対象となる山であった。マツタケは腐葉土が堆積していない、いわば貧栄養の地面に生える。燃料革命により人々が山へ薪を取りに行かなくなってひさしい。マツタケは棚田に生きる昆虫や軒先に営巣する燕と同じく、人の営みと共生してきた菌であった。
松食い虫は、北米からの輸入材に住み着いて日本に住みついた昆虫が、松を枯らす原因となる線虫の媒介役を果たしたといわれている。
「だいたいここまで来れば一山終わり、向こうの山にもあるにはあるが、アプローチも遠くてとりあえず今日はここまでですかね」
一斜面を二時間ほどかけて隈なく歩き、山の尾根の上で休みながら息子が来るのを待った。
「反対側の斜面はまったく生えないです、日当たりが悪いからですかね。おんなじ赤松が生えてるのにね。乾燥してるとこじゃなきゃ生えないんだけど、雨が少ない秋は全然生えない。とにかく今年みたいな秋雨前線が日本列島に張り付いてるみたいな年がいいです。もうほかの仕事なんか手につかない。雨降ったら毎日来たいんだけど、なかなかそうもいかないですから」
やがて息子が向こうの尾根から現れた。
「どうよ?」
「今年はある」とだけ息子は答え私たちに魚籠を見せた。
おどろいたことに息子の魚籠には父親より多量のマツタケが横たわっていた。
「これからは毎日来なきゃな、多分明日も明後日も出るな」
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