キノコの深淵・中編|Study to be quiet #8
成田賢二
- 2022年12月02日
INDEX
文・写真◎成田賢二 Text & Photo by Kenji Narita
挫折
翌年の5月に水谷親子と北陸の源流釣りに出かけた。残雪を割る流れはまだ冷たかったが、新緑をムラサキヤシオが点々と彩る美しい季節だった。息子は私が説明するよりも早く、テンカラという釣りの要領をすぐに飲み込んだ。花々の開花に合わせてイワナは活性期に入ったらしい。淵と河原が交互に繰り返す渓相で、そのどちらでも盛んに毛鉤を襲った。
事前の情報によると、いくつか受けた息子の就職試験は失敗したらしかった。水谷氏はそれについて息子になにも言わなかったが、息子の挫折を和らげるようななにかを、私と息子の交流に期待していたかもしれない。私はそれに応える術を持ってはいなかったが、この美しい季節に、流れに立って竿を振るだけでなにかが変わるのではないかとそう願った。
別れ
やがて梅雨に入り、軒先の雨音を聞きながらすごす日々が続いた。このころ、ささいな口論がきっかけで息子が家を出ていったきりまったく連絡がないと水谷氏から知らされた。あの釣りの日のあとも、息子は部屋に閉じ籠る日々が続いていたらしかった。
「彼のことだから、キノコが出始めたら帰ってくるんじゃないですか」
その話題に及ぶ度に私はそう冗談めかしたが、その時期になっても息子は帰ってくる気配がない。
「あいつ今年はキノコ採らないのかなあ、あんなに採れるようになったのになあ、才能あんだけどなあ」
そう言って水谷氏はボヤいた。
一山越えて
盆がすぎて頬に当たる風が変わり、雨が静かに山の地温を下げた。一雨ごとにキノコの気配はさらに深まった。
「今年は遠出してみましょうか。ひとつ山を越えないと入れない場所だから、現場に着くまでに3時間くらいかな。行く価値はあると思いますよ、相当好きでないと行けないところだからね、S村よりは早いはずだからそろそろいいんじゃないかなあ」
小雨降る朝に私と仲間のTと水谷氏は道の駅に集まった。車は松本ナンバーの一台にまとめたほうがいいという。他県ナンバーがキノコの時期にウロウロしているのは具合が悪い。
車は街道から脇道に外れトンネルをいくつか抜けてさらに側道に入り、やがて川沿いの残土置き場のような場所に止まった。止むはずの小雨は降り続いている。
「いい濡れ具合かなあ、ここから3時間、このメンバーなら2時間ちょいですかね」
水谷氏は雨具にスパイク長靴、例によって魚籠を腰に下げている。
始めに古びた橋を渡り、半ば藪に埋もれた旧道をたどると(戦後すぐまでは生活道路として使われていたらしい)小さな峠に出る。ここからさらに雑木林を登り上げて、名もなき山頂直下に迫るところで水平にトラバース、あとは反対側の尾根をどんどんと降りてゆく。
「向こう側に道路がないんでこうやって遠回りして山越えて行くしか方法ないんですよ、でもこれでなにもなかったら切ないね」
カラマツの植林を降りてゆくとやがてミズナラの雑木林に変わり、尾根が痩せてくるところで針葉樹が見えはじめた。ちょうどその瞬間にミズナラの高いところから真っ黒な熊が太い幹を前向きに駆け降りてきて一目散に逃げていった。よく見ると熊が居た場所は棚ができており、熟す前のドングリのついた枝を折ってはそれをむしり取っていたらしい。
「ここに来ると必ずくらい熊会いますよ、人が入んないからね、あとこの辺はマイタケも採れるんですよ」
降りるにつれて尾根はますます痩せて傾斜を増していき、同時にツガが主要樹種になった。アカマツとゴヨウマツがわずかに混ざっている。
「ここのはツガマツ(ツガマツタケ)です。アカマツ林は生活圏に近いから基本的にほとんど止め山(入山禁止)だけどツガは山奥にあるからね。でもツガ林って大概アカマツよりも急斜面なんだよね、急だから葉っぱやほかの雑木の種が積もる前に風で落ちちゃう、だから地面が富栄養化しないからキノコの菌が回りやすいんだよね、でも死ぬくらいの覚悟で行かないとマジで落ちますよ」
一般にマツタケと呼ばれる菌はアカマツ以外にツガ(栂)、コメツガ(米栂)、ゴヨウマツ(五葉松)、ハイマツ(這松)にも生えるらしい。しかしそれらがアカマツに生えるものとまったく同一の菌なのかはよくわからない。
「それはオレにもよくわかんない。でもツガマツタケのほうが香りが高いって重宝する地方もあるみたい、ゴヨウマツの純林てのはそもそも見たことないし、ハイマツにも生えるってのは聞いたことはあるけど見たことない、カナダとか北朝鮮とかにもたくさん生えるんだから、マツならなんでも生えるのかもね、それを食う文化があるかどうかだけど」
バカマツ
やがて目の前の尾根筋は急峻で複雑な、しかし美しいツガの純林になった。落ち葉はすべて谷筋の雑木林に吹き溜まっており、掃き清めたかのようである。Tが最初にマツタケらしきを見つける。
「んーこいつはバカだねえ、バカマツタケっていうの。香りもマツタケとおんなじなんだけどなんていうか軸が細くて迫力がないんだよね、シイタケみたいでしょ、あとはじめっから開いてるから脆い、魚籠に入れると壊れちゃうんだよねえ。日持ちも悪い、でもすぐ食えばうまいですよ」
その後も次から次に見つかるのはみな「バカ」ばかりである。やがて先行して降りていった水谷氏が「本マツ」を見つけた。私にとっては初めて目にする「ツガマツタケ」であった。
「やっぱりありました。バカより下で出てるみたい。川に近い下のほうが朝晩冷えるからなのかなあ、大きくはないけどいい状態のツボミですね、軸の太さも硬さもバカとはまったく違う」
S村のマツタケは溜まった松葉の地深くから出ていたが、こちらの山には落ち葉も腐葉土も介在せず、いかにも貧栄養な砂混じりの土壌に対してしがみついた栂の毛細根そのものから生えている。
「ここはやっぱりいいね、S村でもどこでも必ずほかのキノコ採りとの競争になっちゃうんだけど、ここまで来る人はまずいないから独占できるよね。大昔は炭焼きの人とかが採ってたのかも知らないけど、いまはこんな山、だれも見向きもしないから。そもそも自然のモンだから、人間の権利とか関係なく生えるとこには生えるもんね」
ここでこの稿が誤解されないために、信州のマツタケ山の事情について説明しておく。
マツタケ山には地元の入会権やそれを運用する組合などが存在しており、部外者の侵入を固く拒んでいる。いわゆる「止め山」というもので、ふつうはところどころに看板が立てられ、山の周囲を色テープやトラロープなどでうるさいくらいに囲ってある。腕章や帽子など、その山の権利の購入証明である目印を持たぬ者は当然ながら部外者なので、通報される恐れもある。場所によってはアクセスとなる林道にバラ線が敷かれていたり、部外者の侵入を検知すると大型犬が離されるというような物騒な話すら耳にする。
したがって一般人がマツタケ狩りを楽しめるような場所は極めて限られた商業施設にしかなく、ほとんど不可能といっても差し支えない。
風と振動
何本かの尾根を登り下りして二十本ほどの良型なマツタケを採った私たちは、尾根まで登り詰めてミズナラの大木の根元でゆっくりと休んだ。
雨はようやく上がり、陽射しが林を温めて斜面から湯気が上がりはじめた。いま登り上げた尾根のひとつ向こうには大きなガレ場があり、そこから乾いた風がときおり吹き上がってくる。
「この風がいいんだよね、風通しも良くないとキノコって出ない。風が通って、陽はあまり入らなくて、落ち葉の溜まんないところ、ガレ場のそばはいいんだよね」
Tの父親は原木でのシイタケ作りの名手である。シイタケの原木は、春と秋の発生時期の前に、置き場所や伏せ方を変えるらしいが、そのときに木槌で原木を叩くのだという。
「叩くってことは振動とか衝撃ってことでしょ、よくわかんないけどあいつらにも地上に出てくるためのきっかけがあるんですよね」
私は魚籠に入ったマツタケを二本ほど裂いてアルミホイルに並べ、とっておきの天然塩をかけた。そのままフライパンでじっくりと炙り、しんなりと火が通ったところでスダチをたっぷり絞る。最後に醤油を少し。
「キノコって現場で食うのがいちばんうまいんだよね、マツタケはとにかく包丁使わないほうがいい。裂くのがいちばん、泥も取らなくていいくらい。とくにツガマツなんて地面は清浄そのものだからね」
S村でのマツタケ採りにはない、深い憩いの時間がそこにはあった。
「オレのお袋の実家がS村でさ、当時は結構な山持ちだったんだよね、あのころは松食い虫なんて来るはるか前だからそこら中がマツタケ山だったの、子どものオレが山に遊びに行けば何本か取れたんだから。ジャイアンツの川上哲治っているでしょ、そうあの打撃の神さま、あの人なんか毎年マツタケ食べに来てました。そんなんで付き合いができて、オレ川上さんの後輩の藤田元司監督のうちに遊びに行ったことあるんです」
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