猟犬ユキと冬の暮らし〈前編〉|Study to be quiet #13
成田賢二
- 2023年10月31日
数年前、猟友に犬をもらい犬との暮らしが始まった。彼女はどうにも私に懐きにくく勇敢に猪を追うとは到底思えない。山で放せば捕まえるのに苦労するし、最初は獲物を散らすばかりだったが……。犬が教えてくれた山のこと。
文・写真◎成田賢ニ
紀州犬とビーグルのミックス、猟犬ユキとの暮らし
猟友に犬をもらった。もらう前にどんな犬がいいかを聞かれたが、実際よくわからない。
「ちゃんと追うやつ、でもあんまり追いすぎないやつ」
と答えた。
エモノを追いすぎてはるか猟場の外まで追い続ける犬だと厄介なことは経験済みだ。
「大概の犬は逃げていく鹿くらいは追うよ。保健所でもらってきた犬でも猟はできます、要は使い方次第」
「じゃあ俺の前まで追ってきてくれるやつ」
「それもやり方次第。犬は所詮、犬です、犬以上でも犬以下でもない、飼い主のレベルが犬のレベル」
「じゃああんまり大きくなんないやつかな、子どもが散歩できるくらいでないと困る、鶏小屋の番犬も必要だ」
「だろうな、ちょうどいいのがひとついるわ」
数日後に友人は小柄な赤い犬と幼犬用のドッグフードをひと抱え持ってやってきた。犬はなんだかオドオドしておりとても勇敢に猪を追うとは思えない。
「ほんとに大丈夫? こいつ」
「これの母親は奈良で猪50くらい獲ってるよ」
「まじかよすげーな、いいの? もらって」
「いいよ、使いやすいが俺にはちょっと物足りん、お宅には最適だろう、ペットでも悪くない」
それから犬との生活が始まったが、どうもこの犬は懐かない。子どもにはすぐ懐いたが、私のことは怖いらしい。玄関で幾晩も抱いて寝てみたりしたがあまり変わらない。山で離すと私を敬遠して捕まえるのに苦労する。しかし極端に離れることはない。
「こいつって距離感せいぜいオレから50mくらいだけどそんなもん?」
「モノを追えばもう少しは伸びるね、300も500も追えば今度捕まえるのが面倒だから、まあ最初の犬にはちょうどいい距離だろな」
やがて猟期になりさっそく山へ連れていってみた。ガサガサと駆け回り、ヤマドリを追い出したり猿に吠えたりしている。
「どうも懐かないし捕まえるの大変だし、獲物は散らすばっかりだし、こんなもん?」
「あのね、生き物ですから、買ってきた道具みたいに初めからできあがってないんです、そいつの性格、習性、それをみてこっちが学習するの、それが犬の猟」
試しに山で放さずに繋いだまま歩いてみた。犬は人と通る道が違うので、リードが藪に引っかかって歩きにくいことこのうえない。ただでさえこちらは肩に銃を持っている。
人里離れた山奥でおそらく鹿が寝てそうな標高まで登る。犬は先頭で私を引っ張る。尾根が弛んだあたりで水平のトラバースに切り替える。斜面につけられた鹿道をたどる。どうも犬の仕草が慌ただしくなる。
地鼻をつけて脇目も振らず鹿道をたどり、行きつ戻りつしつつ、痩せているがわずかに見通しのいい尾根に静かに登った。
地鼻が急に高鼻になった。漂う匂いをとっているのだろうか、いままでと異なる犬のようすにただごとならぬものを感じて息を潜める。1分ほど待つ。そして静かに一歩、コメツガの大木のほうに私が踏み出したところで一瞬向こう側の藪のなかでなにかが動いた。どうやらこちらの気配を僅かに感じたなにかが立ち上がったらしい。犬はそちらを凝視している。しゃがんで気配を伺う。2歳程度の雌鹿がやや下方でこちらを振り向いてようすを伺っている。
鹿というのはこちらの気配を取るために、よくもあの180度振り向いた姿勢で微動だにせずいられるものだ、感心するほかない。
静かに弾を薬室に送る。打ち下ろし、鹿の背景は沢で射撃に不安はない。
引き金を下ろすと鹿は数歩進んで確かに倒れ落ちた。それより前に犬が轟音におどろいてすっ飛んで逃げたためリードを引っ張られたことに私はおどろいた。たしかに犬の真横で発砲したのは初めてだったがこんなにも怯えるものか。
倒れた鹿に駆け寄ると犬は怯えながらも鹿の傷口を噛み始めた。手早く解体しながら、一連の流れを思い返してみる。おそらく犬の挙動が変わっていなかったら、私はこの鹿の存在に気づけずに、鹿は先に私の気配を感じて逃げたと思う。犬が鹿を獲らせたことに間違いない。しかしこの犬は、自分の行ないで猟が成功したことを理解しているだろうか。
犬は怯えながらも鹿の血を舐め、少しづつ肉を噛むようになった。私は犬をこれでもかというほどに褒めた。
「すげーな犬!こいつのおかげでひとつ獲れたぞ、というか単独での犬の猟はこんな感じなんだな」
「こいつはとくに目より鼻で気配取るタイプだからな、たまたま風下にいたのも、繋いでいたのもよかったかもな、地鼻と高鼻の違いもわかったろ」
「そうなるといつも繋いでりゃいいか」
「そしたら藪に引っかかってガサガサと音がして気取られる」
「放したら余計モノを散らすばかりだが」
「そうでもない、何頭が獲ればそのうち親父のほうに鹿を回してくるようになる」
「そんなになるかねえ」
「なる、そういう状況が何回か続けば学習する」
「発砲音にえらく怯えてたけど」
「こいつはそうかもな、子犬のころからそんな感じだった」
「慣れるのだろうか?」
「続けて2発撃っちゃダメ、ガンシャイ(※銃の音が苦手になること)になる、そうなると使い物にならない、1発ならそのうちに慣れる」
「猪にはどうだろか?」
「鹿とは反応は違うよ、圧力が全然違う」
「とは?」
「初めては怯むだろうな、びびってオタオタするか、見て見ぬふりするか、それはそれで犬の反応見てりゃわかる、わかってりゃ撃てるだろ、わかんないから撃てないわけで」
「違いない」
「鹿とって褒めてると鹿しか追わなくなる、鹿犬ならいいが猪獲りたいなら鹿はまあ出ても撃たずにほっとけ、目の前まで追ってきたらそんときはちゃんと獲ってやればいい」
「なるほど、犬っておもしろいな」
「石器時代を考えてみな、犬がいなきゃ獣なんか獲れない、もっといえば鉄砲なんかなくても獲れる」
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