これがネパールの移動、ヒマラヤ登山の幕開け 【日本山岳会ヒマラヤキャンプ登山隊2023撮影記】♯04
石川貴大
- 2024年07月10日
INDEX
3日間の大移動、動き出した矢先に相次ぐ体調不良、どうなるヒマラヤ遠征……。
文・写真◉石川貴大
長い長いバス移動
10月6日の夜明け前、昼間の雑踏からは想像もできない静かなカトマンズ市内。バスが待つエージェントオフィスへ向かった。
オフィスに着くと観光バスサイズの大きなバスが待っていた。ダワさんたちが荷物の搬入をすでに済ませていて、乗り込むと半分は荷物で埋まっている状態だったが、それぞれなんとか2席分を確保して長旅に備える。
空が白んでくるなか、カトマンズの市街地を進む。徐々に家が少なくなり、山岳道路に入っていった。右へ左へくねくねと曲がる道をぐいぐい進んでいく。舗装はあったりなかったり、左右に振られ地面からの振動が伝わってくる。私は車に酔いやすいほうなので、たまらず酔い止めを飲む。酔い止めの効果なのか、寝不足だったのか、うっつらうっつらしながら窓の外をぼーっと眺めてやりすごした。これが2〜3時間ならいいのだが、結局16時間の
長丁場となった。おかげで、イラムという街に着くころにはどっと疲れが溜まってしまっていた。
バス移動、再び
バス移動2日目、どことなくみんな疲労している。前日の過酷なバス移動が今日も続くからだろう。しかも、道はさらに標高を上げ険しくなっていくそうだ。道中見かける家々も山の斜面に建てられたものが多くなっていく。
疲れは溜まっていたものの、若干バスにも慣れて昼食にダルバートを食べる元気はあった。ダルバートは奥地に行けば行くほどおかずがシンプルになって品数も減ってくる。味もどことなくさっぱりしてくるので疲れた体にはちょうど良い。目的地のタプレジュンに着くと、なんだか「やったー」という達成感を感じてしまった。まだ先は長いにもかかわらずひと仕事終えた気分だ。
旅の疲れ
過酷な2日間のバス移動を終えて疲労が溜まったのか、タプレジュンに着いた夜、サキさんが体調を少し崩し、熱っぽさを訴える。翌日になっても不調は続いていた。そこに追い討ちをかけるようにジープでの移動が始まる。バスでは通ることができない、さらに過酷な道に変わっていく。道は完全にオフロードで、タイヤをギュルギュルいわせながら、ぬかるんだ道や石が転がる道を進む。窓際に座っているときは何度も窓に頭をぶつけた。
道は深い谷に沿って進み、どんどん山奥に入っていく。アドベンチャー感をたっぷり味わいながらようやくセカトムという村に着いた。3日間続いた車での移動から解放されたのだ。夜になるとサキさんの体調も少し落ち着き「明日は歩ける」と話していた。翌日からは、ようやくキャラバンが始まる。私たちのヒマラヤ登山の幕開けだ。
キャラバン開始
3日間の車移動を終えて翌日10月9日にセカトムを出発するはずだった。しかし、朝になるとサキさんの体調は悪化。39℃を超える熱と咳で辛そうである。まだ遠征も始まったばかりなので、まずは体調の回復を優先し、この日をレストとした。サキさんの体調を考えてではあったが、ハードな車移動の疲れを取るのに良い1日になった。みんなで話し合った末、翌日をキャラバン開始日とした。
次の朝を迎えると、サキさんの体調はやや回復したように見えたが相変わらずの熱だった。ただ、サキさんの気持ちとしては歩いたほうが楽になるということで出発を決めた。
無理のないペースでタンギャムという標高2,400mほどの村を目指す。登山道はよく歩かれていて歩きやすい。少しずつ標高が上がるのでキツさも感じない気持ちの良い道だ。
ヒマラヤの山を奥へ奥へと自分の足で進んでいく。新しい景色が広がるたびにワクワクした気持ちになった。
タンギャムに着くと、サキさんはなんだか顔色も良くなり元気そうである。本当に歩きながら回復してしまったのだ。さすがだなと感心する。
そんなことを思っていると今度は金子さんが38℃を超える熱を出し、喉の痛みを訴え始めた。ヒマラヤ遠征開始早々、体調不良が続出してしまった。ただ、いま思うと日本からの移動、現地準備、そしてまた移動、慣れない環境のなかで疲労が溜まっていたのは間違いない。ヒマラヤ遠征は基本的に長期になるので体調を崩さないほうが珍しい。体調不良との上手い付き合い方ができるといいのかもしれない。
タンギャムで体を休め、なんとかふたりの回復を願う。翌日はグンサという村にいく予定だ。標高は3,000mを超える。このまま無事に進んでいくことができるだろうか。
次回はキャラバン後半戦、
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