【前編】北アルプスの山小屋経営、これからどうする?次代を担う山小屋後継者4人の座談会。|PEAKS 2024年9月号(No.167))
PEAKS 編集部
- 2024年08月02日
6月上旬のある日、北アルプスの山小屋後継者4人が長野県安曇野市に集結。
山小屋を継いだ理由、4人で訪れたヨセミテ旅のエピソード、いま直面している問題など、似たような境遇をもつ同世代の後継者たちが、山小屋にまつわるさまざまな話をテーマごとに語り合った。
これから山小屋はどうあるべきなのか。登山者として知っておきたい話題が盛りだくさん!
編集◉PEAKS編集部
文◉松元麻希
写真◉武部努龍
取材協力◉HIKE&CAMP&LONG TRAIL SPECIALITY LEISURES
インタビュー記事は2024年9月号に掲載。Amazonでのご購入はこちら
(左から)
白馬山荘/松沢 英志郎さん
白馬山荘、白馬鑓温泉小屋、白馬大池山荘、栂池ヒュッテ、五竜山荘、キレット小屋、白馬尻小屋、栂池高原スキー場を運営する白馬館の5代目。取締役兼経営企画部部長。グローバルに展開する精密機器メーカーに10年間勤務したあと、2022年より現職。夏山シーズンは麓にある本社を拠点に各小屋の運営をサポートしながら、月に数回は縦走しながら各小屋を回っている。34歳。
燕山荘/赤沼大輝さん
燕山荘、有明荘、大天荘、ヒュッテ大槍、合戦小屋を運営する燕山荘の代表、赤沼健至氏を父にもつ。都内の企業に就職し、ウェブとシステムを取り扱う営業職を経験。2022年に帰郷し、燕山荘グループの4代目となれるよう、山小屋全般の業務を行ない修行中。登山はほとんどしていなかったが、山小屋で働き始め、山の上でのごはんや空気、景色のすばらしさに感動する毎日。34歳。
横尾山荘/山田耕太郎さん
横尾山荘の4代目、現専務取締役。大学卒業後カナダに渡り、カルガリーのアウトドアストアに約1年勤務。帰国後は都心のシティホテルでフロントマンとして2年間勤務し、2016年に山小屋を継ぐために帰郷。山小屋勤務は2024年で8シーズン目となる。山小屋では登山者の登山相談などを通じて安全啓発に努めるほか、レスキューや機械保守など、幅広い業務を担っている。33歳。
槍ヶ岳山荘/穂苅大輔さん
槍ヶ岳山荘、槍沢ロッヂ、南岳小屋、大天井ヒュッテ、岳沢小屋を運営する槍ヶ岳山荘グループの4代目代表。都内に本社を置く通信事業会社に就職し、経営企画に携わる部署を経験。100周年を迎えた2017年より山小屋で働き始め、2020年に社長へ就任。槍ヶ岳山荘が拠点だが、麓での仕事のためシーズン中はほぼ毎週登り下りをする。ポリシーは「スタッフのだれよりも山を歩くこと」。38歳。
“山小屋を継ぐ”と決断した理由
――おひとりずつ、山小屋を継ぐことになった経緯を教えてください。
赤沼大輝(以下:赤沼)昔から継ぐことになるだろうなとぼんやり考えてはいましたが、反動といいますか、東京で暮らした約10年間はほとんど山と関わらずにすごしてきました。趣味も仕事も帰ったら山関係になるだろうから、それまではまったく別のことをやろうと。
2020年以降コロナ禍で四苦八苦している親父の話をよく聞くようになり、会社に入るのは家族間だけの問題ではなく、スタッフの生活にも大きく関わってくることと感じ、いつ帰るか真剣に考えるようになりました。最終的には自分の年齢と親父の年齢を考えていまがベストだと思い、帰ってくる決断をしました。
穂苅大輔(以下:穂苅)前職は通信事業会社で経営企画などに携わり、会社の意思決定の場をいろいろと見させてもらいました。会社員として働くなかで「自分にしかできない仕事ってなんだろう」と思うようになり、山小屋という選択肢もあるなと。槍ヶ岳山荘100周年の際に後継者を出したいという親父の希望もあって、2017年に小屋に入りました。
長男の親父は「お前がやれ」と言われたみたいで、息子たちにはそう言いたくなかったようです。ちなみにうちは4人兄弟で私はその4番目。親父は「4人もいるしだれか手を挙げるかな」と楽観的に考えていたと思うんですが、意外とだれも手を挙げなくて(笑)。もうすぐ100周年が来てしまうというときに、「じゃあ俺がやるよ」と手を挙げました。
山田耕太郎(以下:山田)僕は2016年の秋、26歳のときに横尾山荘に入りました。親がこういう家業なので、自分もなんとなくそうなるのではと思いながら育ってきたんですよね。大学3年生の就職活動のタイミングを迎えたときに、父親に「おまえ、どうするんだ」と聞かれて……。継がないという選択肢もあったのかと驚きましたね。悩みましたが、曾祖父の世代から続けてきたことを自分が継げるなんて、こんなに価値のあることはないと思い「やります」と話をしました。
松沢英志郎(以下:松沢)私が戻ってきたのは2022年7月、大輝くんの1カ月後くらいですね。前職は東京に本社を置くメーカーで、最初の7年間は営業、後半の3年間は海外現地法人の販売戦略を練る部署にいました。本当は海外駐在をしたかったのですが、コロナ禍で3年ほど止まってしまったんです。
うちは姉弟が3人で私が2番目長男なんですけど、親からは「自由にやれ」と言われていたので山小屋を継ぐことはまったく考えていませんでした。でも白馬という場所で歴史と文化を築いてきた会社の経営を担える立場にあることは、すごく貴重なことでやりがいあるなと感じたし、親父が70歳を超えたということも踏まえて、会社を継ぐ決断をして戻ってきました。
――みなさん、「継いでほしい」と言われてはいなかったんですね。
山田:はい、やれとは言われなかったです。でもきっとどの親も「やってほしい」とは思ってはいたんじゃないかな。自分たちが汗水流して守ってきたものだから。でも厳しい自然環境のなか、大変な仕事なので、強制すると逃げ出してしまうかもと思われていたかもしれません(笑)。
――なるほど。ところで今年2月に4人でヨセミテに行ったそうですね。そもそもこのメンバーが繋がったきっかけは?
穂苅:2022年の年末に『ランドネ』の企画で集まったときですね(2023年3月号掲載)。北アルプスの7軒の山小屋の若手が集まったのですが、ほぼ初対面でした。その晩に、なくなるまで酒を飲み続けたメンバーがこの4人です(笑)。
山田:具体的に決めたのは、山小屋の会合後の二次会です。酔った勢いでその場で日程を合わせて、そこにはいなかった松沢さんにも「空けといて」と。山小屋に入る前、カナダやアメリカの国立公園を周っていて、ヨセミテのすばらしさがとても印象に残っていました。地形的にも上高地と似ているので、いつかみんなで行こうと話していたんです。以前行ったこともあって、手配は僕がしました。
穂苅:2月は閑散期のはずでしたが、ホテルが全然取れなかったんですよね。ちょうど〝Fire Fall〞と呼ばれる滝の現象が見られる時期で。
松沢:〝アメリカ人が死ぬまでに一度は泊まりたいホテル〞として知られる「The Ahwahnee Hotel」にも泊まりましたね。スティーブ・ジョブズが結婚式を挙げた場所として有名なところです。
山田:みごとなダイニングルームがあって、そこでジョブズがプロポーズをしたという……。旅の間は毎日4人でいたし、夜はお酒を飲みながらいろんな話をしたりして、みなさんとヨセミテに行けてよかったと思います。
働き始めて知ったギャップや課題
――さまざまなキャリアを経て山小屋という仕事に就いていらっしゃいますが、働き始めてギャップを感じたことはありましたか?
赤沼:僕のなかでは、全部自分たちでやらなければならない、ということですね。電気の配線、水や道の管理も。街なら外部に委託をしてやってもらいますよね。でも山小屋では、委託業者の方がすぐに来られないので、発電機が壊れたら直すとか、そういうスキルも必要になるのかと驚きました。僕もノウハウはまだ全然ないですし、詳しいスタッフが抜けたときにそうしたスキルをもつ人たちを採用するのかなど、考えないといけない。マニュアルというか、だれもができるような山小屋運営の仕組みを作るべきなのかどうかなど、かなり気になっているところです。
今後建て直したい小屋がいくつかあるんですけど、お願いできる業者の方々が年々少なくなっています。
松沢:建て替えは本当に難しくなっていきますよね。当社も白馬大池山荘の建て替えを計画したいところですが、なかなか難しいことが多いです。じつは今日も別の小屋の改修工事で10名ほどの作業員の方をヘリで上げる予定があったんですが、山が雲に包まれているので飛ばすことができませんでした。こんな感じで工期が予定どおりに進まないので作業員の方にとっても大変です。さらに資材もヘリ代も高騰していて、対応してもらえる方も減っている。冬の間は工事できないので、やるなら春か秋なんですが、その期間も営業をしていかないとビジネス的に成立しないので、「いつやる?」みたいな。
山小屋は昔からあって、これからも変わらないのかなと思っていましたが、環境はいろいろと変わっています。たとえば白馬鑓温泉小屋は雪崩のスポットにあるためいわゆる永年小屋が建てられず毎年建て壊しをしている、なかなか大変な小屋です。湯の花の地層なので地盤が緩いんですよね。そのため数年前にも湯船や石垣の大規模な工事をしましたが、それでもまたお湯が土を流してしまい地盤がずれる部分があります。そんな感じで昔の写真よりもいまは小屋を建てられる平らな地面が減ってしまってる状況です。最初は「どうにかして直さなきゃ」といろいろ考えましたが、自然の織り成すことには逆らえないことも多くあるといまは感じています。そういう点で、大自然で商売することの難しさと逆におもしろさ、有限性があるからこその価値を感じるようになりました。
穂苅:私は結構、子どものころから山に登ってはいたんですよね。学生や社会人になっても年に1回は上がって手伝ったり。ただシーズン丸々入ったことはなかったので、いざやってみたら本当に仕事の幅が広くて、調理・接客・清掃はまあ当たり前ですけど、エンジンの整備や登山道の補修など、とにかくやることが多いなと思いました。それまで会社員だったから当然そういうスキルはなかったですし。
そこで最初に思ったのは、私だけがんばってもどうしようもない、働いてくれてる人たちがいなければなにもできないということ。なので大切なのは働いている人たちであり、その人たちに対してどうモチベーションをもってもらえるかを考えるのが、私のいちばん大事な仕事なんだろうなと。そこで簡単なものですが人事制度のようなものを作ったり、野外救護の講習を実施するなど社員教育を徹底したりするようにしました。私が入った8年前よりは人材の定着が進んできたのかなと思います。
山田:人材の問題はありますよね。20年以上前は夏山が中心でしたけど、とくに私のいる横尾から涸沢などは、夏よりも秋のほうが利用者が多い傾向にあります。夏が中心だった当時は夏休みを利用して学生も多く働いてくれていたようですが、現在では7月半ばから10月までをとおして働ける方を募集している施設がほとんどではないでしょうか。
▼後編では、日本と海外の国立公園の管理体制の違いや、伝えるべき山の情報を登山者にどう伝えるべきかなど、山小屋を運営者として考えていることを語っていただきました。
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編集◉PEAKS編集部
文◉松元麻希 Text by Maki Matsumoto
写真◉武部努龍 Photo by Doryu Takebe
取材協力◉HIKE&CAMP&LONG TRAIL SPECIALITY LEISURES
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PEAKS 編集部
装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。
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