ONITSUKA TIGER/MAGIC RUNNER(オニツカタイガー/マジックランナー)1959|ランニングシューズの礎を築いた“名作”たち
RUNNING style 編集部
- 2019年11月26日
五輪メダリストも愛用したシューズ
アイデアマン・鬼塚喜八郎が考え出したマメのできないシューズとは?
現在のランニングシューズのほとんどは、通気性に優れたナイロンメッシュをアッパー部分に採用しており、さらに一定のパターンで織られたメッシュだけでなく、シューズの部位で織り方のパターンを変えたエンジニアードメッシュと呼ばれるナイロンメッシュの進化系も登場。加えてナイキのフライニットやアディダスのプライムニット、プーマのプロニットのように、生地を裁断してアッパーにするのではなく、編むタイプのアッパーテクノロジーも登場している。
このように化学繊維がポピュラーとなる以前は、天然皮革や日本では帆布と呼ばれたキャンバスを使用することが一般的であった。これらの素材では走行中に足にマメができることが当たり前で、「マメのできないシューズを作ってほしい!」という陸上選手の要望に多くのスポーツメーカーの社員が対応しようとしたが、なかなかそれを実現することはできなかった。
1959年、そんな状況を打破した男が現れる。それがアシックスの前身であるオニツカタイガーの代表取締役であった鬼塚喜八郎である。
アイディアマンとして知られた彼は、長距離走でマメのできる原因が、走行時の衝撃や摩擦による熱であることに着目。そして自動車の水冷エンジンをヒントに、靴底に水を入れたシューズを作るものの、靴の重さと足がふやけて失敗。次にバイクの空冷式エンジンに着目し、靴の中に空気を循環させて、通気性を高めることを思いつく。
そして彼は、シューズに針の穴くらいの小さな穴を開け、熱と湿気を外部に排出するというアイディアで、長距離を走ってもマメのできにくいキャンバス製ランニングシューズ「マジックランナー」を完成させることに成功する。
小出義雄監督も愛したキャンバスアッパーのモデル
その高い通気性やグリップ性に優れたアウトソールパターンにより、このマジックランナーは長距離選手から高い評価を得ることに成功。数多くのランナーがこのモデルを着用し、そのなかには1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉や、1968年のメキシコ五輪のマラソンで銀メダルを獲得した君原健二も含まれている。
1970年代に入ると、ナイロンなどの化学繊維がポピュラーとなり、キャンバスアッパーのスポーツシューズはランニングカテゴリーだけでなく、徐々に各社のラインアップから外れていった。しかし、このマジックランナーは’80年代に入ってもカタログに掲載されていた。その理由は、このシューズを熱狂的に愛するランナーが存在したからであった。
オリンピックの女子マラソンにおいてバルセロナで銀メダル、アトランタで銅メダルを獲得した有森裕子、シドニー大会で金メダルを獲得した高橋尚子といったアスリートを指導した小出義雄監督もそのひとり。2000年代初め頃に東京都庭園美術館で行われたオニツカタイガーブランド(ファッション向けに復刻モデルをラインアップした)のキックオフパーティーにおいて講演した小出監督は、マジックランナーが廃番となり、買えなくなったことが悲しかったというエピソードを語っていた。それを会場で聞いていた2007年に他界した鬼塚喜八郎会長(当時)は、自分が開発したシューズだっただけに、本当に嬉しそうな表情をしていたのをいまでも覚えている。
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ナイロンメッシュが進化したことでマジックランナーのようなキャンバス製のランニングシューズがパフォーマンスシーンで履かれることはなくなってしまった。
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