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勇気でつかんだ勝利への道 石原悠希【La PROTAGONISTA】

2017年第1回ツール・ド・とちぎ 第3ステージ。国際レースに地元選抜チームで挑んだ選手が
ゴール直前のコーナーで先頭を切って抜け出した!
ファンは騒然、当時弱冠20歳の若手の物おじしない走りに胸を熱くした。
あれから3年、今Jプロツアーの最前線に立つ彼にプロタゴニスタはフォーカスした。

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1997年4月5日 身長・体重/171cm・61kg
血液型/A型

ヒンカピー・リオモ・ベルマーレレーシングチーム 石原悠希

【HISTORY】
2013-2015 真岡工業高校自転車競技部
2016-2017 順天堂大学自転車競技部
2018-2019 インタープロ・サイクリングアカデミー
2020 ヒンカピー・リオモ・ベルマーレレーシングチーム

ロードレースはプロトンとエスケープグループが繰り広げる壮大なチェイスだ。展開の一瞬のスキを突いて果敢に飛び出す選手たち。レースが動く緊迫感。さまざまな思惑が交錯するプロトンを相手に、刻一刻と差を広げていく。

わずかな可能性に賭けて身を削りながらリードを奪う姿は、まさにレースのハイライトといえる。石原悠希。U 23時代から数多くの大レースでエスケープを敢行してきた注目のアタッカーだ。

「負けてはいられない」意地が石原を成長させた

石原が自転車競技を志したのは2013年。通っていた真岡工業高校の担任が自転車競技部の顧問で、父のロードバイクを借りて見学に訪れたのが始まりだった。全国区で実績をもつ競技部ではなかったが、レースを想定したアタックのかけ合いでスピードを磨いた。「もがいたぶんだけスピードが上がっていく。ほかのスポーツで感じたことのなかった感覚に、追い込むのに夢中になりました」

しかし、高2でインターハイロードの切符をつかむも斉藤瞭汰(前橋工)、草場啓吾(北桑田・現愛三工業)ら高校のトップレベルとの戦いにはほど遠かった。

「やはり全国は層が厚いなぁ……と感じていたさなか、同級生の川上祐平が高校選抜大会のスクラッチで入賞したんです」

石原の気持ちに火がついた。「僕も負けてはいられない。全国で成績を残したい!」とはいえ成績を残すために具体的に何をすればいいかもわからず、部活動が終わった後も一人山に向かいガムシャラに反復練習を繰り返した。

いよいよ迎えた高校最後のインターハイ。レースは前半、渡邊歩(現エカーズ)、大前翔(現愛三工業)を中心とするエスケープグループがリード。しかし終盤、2分開いた差が25秒まで縮んだそのとき、「ここで賭けなければ二度とチャンスはない!」と、プロトンから意を決して飛び出しブリッジを成功させた。

そしてレースの最前線で渾身のラストスパート。猛追する後続に飲みこまれる寸前にゴールに飛び込み4位入賞。まさに高校最後の力走。レースを終え感慨に浸っているところに順天堂大学自転車競技部から声がかかった。工業高校を卒業して就職を考えていた石原に、思わぬ転機が訪れる。

国際レースでの活躍でその名が知れわたった

急展開で幕を開けた大学生活と競技活動。全国から集まった選手たちとのトレーニングは質を重視した本格的な内容。高校とは比べ物にならないほど多いレーススケジュールは、石原をアスリートとして開花させた。「本格的にレースに参戦していくなかで、そこで学べることが多いと考えるようになりました」

試合を重ねるたびに成長し、大学1年生にして全13戦で行われた大学ロードレースシリーズで総合2位。韓国釜山で行われたアジア大学選手権を3位でフィニッシュすると、2年次には全日本選手権U 23のタイムトライアルで準優勝と、一躍学生のトップに躍り出た。

このころ日本の自転車競技界は、未来の人材育成を目的にトレーニー制度の導入が盛んになっていた。チーム右京に武山晃輔(当時日本大学)、愛三工業に中川拳(当時早稲田大学)などが加入するなかで、石原は3年次から7カ国の選手たちで構成するインタープロ・サイクリングアカデミーと契約を結び舞台を海外へと広げた。

プロレースを戦うなか、カザフスタンで行われたツール・ド・アルマトイは記憶に残るレースとなった。「スタートから超高速の展開、どんなに苦しい場面でも余裕で走っているワールドツアーの選手たち……まるで格が違う!」

チャンスがあれば飛びつけという指示のもとジョイントに成功したエスケープグループ。「完走できなくてもいい!何か残そう」

玉砕覚悟で臨んだ石原のスパートは見事に決まり、山岳賞をトップで通過した。「その後、先頭から千切れプロトンでゴールすると、自分が山岳賞ジャージを着られることを知りました!」

結果的にジャージを守り切ることはできなかったが、大きな自信を得ることになった。2年めはU23パリ〜ルーベに挑戦。23セクターにもわたる石畳の連続、手の皮もボロボロになるほどの振動で頭痛に。しかし「走り切れば何かが変わる!」と無我夢中でペダルを踏み続けた。「自分は限界ギリギリでしたが、アグレッシブな走りで優勝したトーマス・フィードコックは自分と体格も変わらない。僕はまだ先に行ける!

このとき『ワールドツアーの選手になりたい』という夢が確かなものになりました」

劇的勝利で歴史に名を刻んだ2020年

2020年、所属チームはJプロツアーチームと合併しヒンカピー・リオモ・ベルマーレ・レーシングチームに改名。かつてヨーロッパプロロード界でスプリンターとして活躍した宮澤崇史監督の下で走ることで、戦略的にも石原の勝負への道筋が見えてきた。

酷暑の下、トップチームの攻撃的な展開で進行したJプロツアー第5戦宇都宮大会では、中盤に形成されたトップグループから3人で抜け出し準優勝。国内トップレースで勝負できる脚をアピールした。そして続く第7戦群馬大会では新たな局面での勝負強さを発揮した。「思いのほか脚が重かったレース前半、今日は勝負が難しいことをチームに伝えていました」

すると宮澤監督が素早く展開を読み、追手となり前方を引く宇都宮ブリッツェンのトレインにチームメンバーである門田、米谷を協力させる流れを組んだ。「この動きでトレインの番手で脚を休ませ攻撃する準備ができたんです」

そして、120kmのレースは残り3kmで振り出しに。間髪入れずに迎えた心臓破りの坂で勝負がかかる。この動きで勝負は7名に絞られ残り1km。エースたちのプライドがぶつかり合う一瞬の牽制を石原は見逃さなかった。「これでダメなら何をやってもダメだ!」全身全霊をペダルに打ちつけゴールを誰よりも速く突き抜けた!

目まぐるしい展開の末のドラマチックな勝利。「何が起こるかわからないレース、チーム一丸で戦わなかったらこの勝利はなかったと実感しました。またひとつ試合で学び成長しました。チャンスはレースにしかない。飛び抜けた実力をつけるために、勇気を出して戦うことが成功への近道だと信じています」

「力の限りを出しつくす」。今季Jプロツアーの最前線に割って入ってきた石原選手

REPORTER

管洋介

海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
AVENTURA Cycling

 

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PROFILE

管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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