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332㎞のグラベルレース、元日本チャンプが17時間で完走【Unbound Gravelレース編】

2015年全日本選手権個人タイムトライアルチャンピオンで、現在はUSA在住の中村龍太郎さんが、カンザス州で開催されたグラベルレース「Garmin Unbound Gravel 200(ガーミン・アンバウンド・グラベル200)」に参加してきた。日本のグラベルレースとはひと味ちがう、本場のグラベルレースの様子を、中村さんからのレポートで全2回に分けてお届けする。

アメリカグラベルレース【準備編】はこちら

長い旅がついにスタート!14km地点で早々にパンク

200では20:50までに完走すればSUN CLUB、20:50~0:00までにゴールすればMIDNIGHT CLUB、0:00~3:00の間にゴールするとBREAKFAST CLUBに入ることができます。あわよくばSUN CLUBと淡い期待を胸に6時に921人がEmporiaの街をスタート。しばらくは舗装路でしたが、ものの3kmほどでグラベルロードに早変わりです。

そこからは朝日を浴びながら、まるでテレビで見たイタリアのレース、ストラーデビアンケのように砂煙の中を走り続けます。90度コーナーでやっと先頭を確認できるのですがかなり遠く、舗装路区間で結構ポジションを上げたと思ったのですが、そうでもなかったようです。
走行ラインは道の左右の轍で、先頭交代のない二列走行で40km/h弱で走り抜けます。前に上がるにはこの轍のラインを外さねばならず、当然パンクのリスクが上がります。かくいう自分も14km地点で後輪が早々にパンクし、直す羽目になりました。

自分がパンクする前にも既に何人かの選手がパンク修理をしていたので、何も珍しいことではありません。パンクへの準備はしてきたのと、自分のペースで走ったほうがいいんじゃないか?とポジティブに考えていたので「これぞUNBOUD GRAVELの洗礼ダネ!」みたいな笑顔でサムズアップされても、ちっとも怒りが湧いてきませんでした。

ハンガーノックに注意!小休憩での補給も忘れずに

パンクを修理し、以降はひたすら前を行く選手たちを抜いていきます。途中同じようにパンクした、恐らく10時間クラスの強者が抜いていったのでしばしランデブー。といっても「轍を外すとパンクするから」と言い聞かせて金魚のフン走法でしたが、ペースが速く息絶え絶え。40km地点からのガレ場区間に入ると650×47サイズのタイヤで走る自分の方が安定して走れるようで、しれーっと千切ってしまいました。

Quinn Simmonsが道路脇で何か修理しているところをチラ見して、この区間で多くの選手をパスしました。この区間では途中30℃近くまで気温が上がっていたのにも関わらず泥区間がまだ残っており、リスク回避で皆歩いてクリアします。

ガレ場区間が終わるとまた走りやすいグラベルに戻り、ここでランデブー時のハイペースが祟って上りでペースを落とします。しばしランデブー相手だった選手にもぶち抜かれ、思わず「すいませんでした」とポツリ。

ブレーキレバーが緩んできたのもあって一度止まって小休憩。パンク修理の時もこういった小休憩の時も、忘れずにおにぎりを食べます。走り切れる脚があるかどうかわからないのでせめてハンガーノックにだけはならないようにと、今回は特に意識しました。

家族の待つ111kmのCP1(チェックポイント)に到着したのは10:20。背中のハイドレーションとボトル2本に水を補充し、おにぎりもトップチューブバックに収納。元気な子供たちの様子に後ろ髪をひかれつつ、やめたくなる気持ちをぐっとこらえて出発しました。

炎天下でのパンク修理で大幅ロス

が、そういう時に追い打ちをかけるようにアクシデントは起きます。131km地点でチューブを入れた後輪がパンクし、チューブにパッチを貼ってパパっと修理。よしできた!と空気を入れて自転車を起こすと前輪がパンクしています。とりあえずそっと自転車を降ろして天を見上げて息を吐き、「まだ大丈夫」と言い聞かせて前輪の修理に取り掛かります。周りに木が全くなかったので炎天下の中、前後輪の修理を行い、大幅なロスを喫しました。

気を取り直して行こう!と意気込んだはいいものの、148km地点で再度後輪がパンク。さすがに「なんでやねん!」とカンザスの空にエセ関西弁が響きます。開いてみるとさっき直したはずのパッチが剥がれており、自分のズボラな修理能力に呆れはてました。今度は木陰があったので暫しクールダウンです。今度はきっちり時間をかけて直し、再出発。結果的にこれ以降パンクはしませんでした。

半分までが一番きつい法則はほんとうだった

例年展開が起きるLittle Egypt区間では、ガレ場に加えて激坂がある。レース後に振り返ってストラバを見るとたった3.8kmの区間で自分は14分かかっているのに対し、先頭選手団は7分41秒で駆け抜けており、改めて違う次元だと認識させられます。

167km地点のハーフオアシスでは水道水の補給のみと聞いていたのですが、キンキンに冷えたコーラをボトルに入れてくれました。別に何度貰いに行ってもいいのに、なんか恥ずかしくて毎回違う人に、さも今着いたような顔をしてコーラを貰って、水っ腹になってしまいました。

パンクしてからこのハーフオアシスまでが身体的にきつく、やはり「半分までが一番きつい法則」を改めて感じました。このハーフオアシスを出ると久々に舗装路に帰ってくるので、リタイヤする人が道端でサポーターを待っていました。未舗装路での回収も可能なのですが、電波の通じない環境や、クルマでもパンクするリスクもあるので、こういったところで合流するのが安牌なのでしょう。

第2オアシスであるAlta Vistaの街に向かう途中には小川が流れており、寝転がって後半身浴。他の選手に笑われますが気にしてられません。ここで少し回復できたお陰で、好調なペース(当社比)で202km地点の第2オアシスに17時にたどり着きました。コーラを期待していたのですが、ここでは事前情報のどおり水道水だけでした。別に大会側に文句は無いのですが、第1オアシスで飴を与えられたので落差が激しく、心なしか皆うんざりしたような、どんよりとした空気でした(当社比)。
自分はCP2で待つ家族にできるだけ早く会いたかったので、水の補給をしたら早々に走り出しました。

体力の限界へ、17時間26分で無事ゴール!

レース半分過ぎたあたりから南下していくのに合わせて向かい風になり、このCP2までの区間で牙を剝きだします。そんなときに限って9km直線で南下しなければならず、アップダウンは無いのですが孤独な風との戦いでした。心を無にしてDHを持つ手のささくれをずっと見てました。しかしこのCP2に到着する前の区間が体の状態が非常によくて、いくらでも踏めるような錯覚をしていました。家族に会えるというのは本当に力になります。

19:30に251km地点のCP2に到着し、物資を交換します。この時点で夜走ることが確定しているため、ライトを装着し、アイウエアのレンズをクリアに交換します。唐突に便意を催したので、出すものを出して(失礼)、最後の80kmに突入します。

そこまでで走った距離を考えると「残りたった80kmで大したことない」と思えるほど頭が麻痺しており、中盤までは快調に走っていたのですが、完全に日が落ちてライトなしでは走れなくなってから、気持ちに余裕がなくなり、徐々に精神が崩壊し、それに合わせて膝が痛み、尻が悲鳴を上げます。

最後の10kmは残りたった10kmなのに永遠に続くんじゃないかと泣きそうになっていました。

Emporiaの街に帰ってきて大学の構内を通ってゴールへ向かいます。時間は23時を超えているのにも関わらずゴール前に観客が列をなし、「You’re awesome!!」と声援を送ってくれます。ゴール時間は17時間26分。人生で一番長い時間自転車に跨っていました。ゴール後は無事に完走できた安堵と疲労で体がいうことを聞かず、歩道に寝転がるとそのまま眠ってしまいそうになります。

BREAKFAST CLUBの選手は会場でそのまま睡眠するという話も事前に聞いていましたが、それが納得の疲労感で、まさに体が睡眠を求めて危険信号を出しているような状態でした。

家族のサポートは必要不可欠

総距離332kmをサポート無しで走り切るのは至難の業です。自分は今回家族にお願いしましたが、現地にサポートがいない場合、大会を通してサポーターを雇うことができます。サポーターは111km地点のCP1と250km地点のCP2で選手を待ちます。CPでの滞在時間に制限はないですが、集団で走っている場合はF1のピット作業のように荷物と水の交換をするようです。

今回自分は序盤から単独走だったのでCPでものんびりしていました。特にCP1では残り距離を考えてしまい、やめたさMAXでした。ひたすら前を走る選手をパスする孤独なレースでは、家族が待っているという事実はかなりモチベーションに繋がります。ゴールはさすがにホテルに帰っていたので、最後の精神崩壊もゴールに家族がいないという事実が起因していると思います。

子供2人の面倒を一日中ワンオペでこなし、加えてCPでのサポートもしてくれた妻に本当に感謝しています。せめて金曜日の25mileのレースに妻も出場してもらえばよかったと、深く、深く反省しています。

 

元全日本チャンピオン、中村龍太郎が挑むアメリカグラベルレース【準備編】はこちら

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2021年07月02日

 

ライダープロフィール
中村 龍太郎(なかむら りゅうたろう)

2015年全日本選手権個人タイムトライアルチャンピオン。一般企業に勤めるフルタイムワーカーでありながら、Jプロツアーを走り1桁台の順位を量産。トラックレースにも参戦し、全日本オムニアムでは3位。2019年から仕事の関係でアメリカ・ケンタッキー州在住。

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Bicycle Club編集部

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ロードバイクからMTB、Eバイク、レースやツーリング、ヴィンテージまで楽しむ自転車専門メディア。ビギナーからベテランまで納得のサイクルライフをお届けします。

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