
ツール・ド・フランスは4300万円を捨ててでも出たい、プロ選手ホーナーが選んだ手段

Bicycle Club編集部
- 2022年06月29日
2013年に41歳でブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝したアメリカ人元プロ、クリス・ホーナー。ツール・ド・フランスにどうしても出たかった元プロ選手のクリス・ホーナーが34歳にしていかにしてツール・ド・フランスに出たのか? そのプロセスをピークスコーチンググループの中田尚志コーチがホーナーにインタビューしてみた。
「自分のキャリアにはツール・ド・フランスが足りない」

7月にはツール・ド・フランスが開幕する。多くのチームは6月初旬に開催されるクリテリウム・ドゥ・ドーフィネ終了時にメンバー選考を行い、6月中旬に行われるツール・ド・スイス終了後に確定させる。
クリス・ホーナーは33歳までアメリカ国内プロとして走り、34歳になる年にワールド・ツアーに再デビューした苦労人。キャリア終盤と言える年齢で彼を再度欧州に渡らせた理由は、ツール・ド・フランス(以下略ツール)への憧れだった。
「33才。その時点でアメリカ国内のレースは全部勝っていた。自分のキャリアに足りないもの。それはツール・ド・フランスだった。
若い頃フランセージュ・デジュでドーフィネを走ったときのこと。最終ステージ前に監督からツール初出場の吉報を受け取った。その日の午後に落車し手首を骨折。ツールは夢と消えた。
その後、マーキュリーで世界ランキング上位にいたにも関わらずASOは我々を招待しなかった。ツールだけが僕のキャリアに欠けていた」
アメリカでの4320万円の契約を蹴ってヨーロッパへ
「34歳でアメリカの国内チームから年俸15万ドル(当時の為替で1620万円)3年契約のオファーを受けた。アメリカ国内チームでは破格のオファーだ。でも僕はそれを蹴ってソニア・デュバルと5万ドル(540万円)で1年契約することを選んだ。40万ドル(4320万円)を捨ててでもツールに出たかったからだ」
しかし、ホーナーは春先のレースで落車骨折。ツールの選考から外れてしまう。
「当時チームはアメリカンブランドのスコットに乗っていた。次に考えたのは全米選手権に優勝し、星条旗のジャージを手に入れること。そうすればスポンサー筋でツールの選考に入れると考えた。しかし結果は3位。こうなったらスイスで何かをするしかない」
わずかな望みをかけてツール・ド・スイスに出場。ステージ優勝を遂げ自身初のツール出場を成し遂げた。
ツール・ド・スイスでは毎日監督にアピールそしてステージ優勝、念願のツールへ
「スイスでは毎日監督のところに行って”ツールに出たい”とアピールした。でも毎日”ダメだ”と言い続けられた。”ツールのメンバーはもう決まっている”とね。ステージに勝ったその日も”出たい”と尋ねた。そうしたら、”OK。君をツールに連れて行く”って言われたんだ」
「ツールでは僕は色々な角度からレースを楽しんだ。ステージ勝利を決める逃げにも乗ったし、山岳地帯で変速の音さえ聞こえない程の歓声の中を走り抜けることだってできた」
それから8年後、ホーナーは41歳にしてアメリカ人初のブエルタ・ア・エスパーニャ(スペイン一周レース)総合優勝者となる。41歳10カ月。未だ破られないグランツール優勝最年長記録樹立だった。
中田尚志 ピークス・コーチンググループ・ジャパン
ピークス・コーチング・グループ・ジャパン代表。パワートレーニングを主とした自転車競技専門のコーチ。2014年に渡米しハンター・アレンの元でパワートレーニングを学ぶ。
https://peakscoachinggroup.jp/
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