レース界を席巻する稀代のクライマー 金子宗平|El PROTAGONISTA
管洋介
- 2022年12月30日
昨年、ロードレースの全日本選手権で突如最前線に現れた金子宗平。トップチームの戦術・攻撃を上塗りしてしまう彼のポテンシャルに今注目が集まっている。今年6月、全日本選手権タイムトライアルを制し「日本一速い選手」となった彼にプロタゴニスタはフォーカスした。
一度1位をとったなら、二度と2位はとりたくない!
誰をも釘付けにする驚異の走り
2021年10月24日、世界で広がった感染症の影響下、時期を少しずらしての開催となった全日本選手権ロードレース。一年越しの連覇を狙う入部正太朗(弱虫ペダル)を先頭に108名の選手たちが184㎞先のゴールを目指し広島中央森林公園のスタートラインに並んだ。
レーススケジュールの度重なる変更によりライバルの仕上がりを探るのを難しくさせた一方、強烈なペースアップがなくともサバイバルなコースによって自然と淘汰が進む展開。残り60㎞、序盤から単騎で逃げ続けた風間翔眞(シマノレーシング)への距離を愛三工業がまとまって詰め始めたことで、一気にレースが動く。すでに18名に絞られたプロトンから先陣を切って飛び出したのは入部。独走力に長けた彼が勝負を賭けたことで一気に追走の状況に注目が集まる。
そんななか有力候補に混じって突如表に出てきたのが金子宗平。群馬県代表のジャージがトッププロチームに混ざる見慣れぬ光景、そして次第に登坂での金子のリズムがプロトンを大きく揺さぶりはじめた。日本一が決まる最終局面、金子は山本元喜(キナン)、寺崎武郎(バルバ)と3名でアタック。この動きを許さぬ追走がそのままその先で逃げる入部ごと吸収し最終周へ……。三段坂で勝負に出た小石祐馬(チーム 右京)、草場啓吾(愛三工業)の動きにも同調し再びレースが動かすが、頂上で捕まり遅れていく。
それでもなんとかラスト3㎞の下りで先頭8名に追いつき、そのまま最終ストレートへ。なんとここでまっさきにスプリントを開始したのは金子だった。ゴールラインで拳を突き上げたのは愛三工業の草場啓吾だったが、全日本初出場で7位に飛び込んだその強靭な脚力は大会に強烈な印象を残した。
全日本TTでの優勝経験をひっさげて、ヒルクライムの頂点へ挑む!
目標はあくまでもヒルクライム
当時の心境を聞くなかで驚かされたのは、4年のブランクを経てのレースが全日本選手権だったこと。そして彼のスタンスとして、あくまで最大のターゲットがヒルクライムだということだ。
「当初の一番の目標は8月末の乗鞍でのヒルクライムでした。ところが大会自体が新型コロナにより中止となり、このコンディションを生かせるのはタイムトライアルでは?と切り替え、当時10月に延期が決定していた全日本選手権を目標にしたんです。しかし実績のない自分はTTの選考で落選し、エントリーできたロードレースは特に準備もないまま挑みました」
しかし、彼の頭の奥にはひとつの確信があった。乗鞍のために練習していた白石峠(東秩父)、不動峠(筑波山)において、直近のストラバ上での計測記録がトッププロ選手のタイムを大きく塗り替えていた。
「当時62㎏でのFTPが350ワット。この力を持ってすれば、それ以下のパワーで展開するロードレースでは自分にも分がある。サバイバルな展開で選手が削られ、力勝負になれば自分の脚は必ず光るはずだと」
1位を狙うことにこだわる性格
少年時代からの金子の性格=物事の考え方は、とりわけ勉学や競技人生は常にこのこだわりに固執していた。同級生が乗るロードバイクに惹かれ、ネットで安価のルック車を手に入れた2013年。最初は友人とのサイクリングを楽しむのを目的にしていたが、自宅近くのルートを見つけやすいと取り入れたストラバとの出合いが、彼の自転車人生を変えていった。
「今では14分台で上れる地元の陣見山ですが、この頃のストラバの記録では19分。始めたばかりで決して遅くないタイムでしたが、この頃から次第にヒルクライムのタイムを意識して走るようになっていました」
そして転機は訪れた。ロードバイクを購入して5カ月、通っていた高校の近くの榛名山で「榛名山ヒルクライム(通称ハルヒル)」という大会があると知り、1カ月間自分なりに準備をして挑戦。カテゴリーもよくわからないまま、中級を選んで走ったところぶっちぎりの優勝。「一度1位をとったなら、2位はとりたくない!」という性格に火がついてしまったという。
初レースでの優勝以降、金子はストラバで見る各地のヒルクライム記録上位者は全員ライバルと見立てて、近場のヒルクライムのタイム更新に燃えた。そして15年、16年のハルヒルでは階級を上げたエキスパートでも総合連覇を果たす。
「目指すはヒルクライマーの頂点『乗鞍制覇』。これは今も変わっていません」
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