vol.8「とあるロンドンの楽器店」|天使よ自由であれ!byケルビム今野 真一
Bicycle Club編集部
- 2023年05月27日
INDEX
スチールバイクの限界に挑む今野製作所「CHERUBIM(ケルビム)」のマスタービルダー、今野真一の手稿。
楽器は自転車競技でいう自転車そのもの。演奏という素晴らしいパフォーマンスを実現するために、ロンドンの楽器屋にはあるこだわりがあった。そこで今野真一が感じたものづくりの根幹とは?
チタンバイク
新たな素材として「チタンフレーム」を発表した。構想が長くなってしまい準備には思ったより時間がかった。
しかし取りかかり出したら完成までは早く、拍子抜けしてしまったほど。むろんスタッフたちの努力の結果でもあるが、並外れた精度と性能の実現が両立したことがなによりの喜びだ。
なぜなら、チタンフレームは溶接方法や素材の特性がクロモリとは大きく異なり、経験者からのアドバイスでもっとも懸念されるのが精度の管理だった。
「歪みのレベルがクロモリとはまったく違いますから」と、ある種脅しのようなご意見に私も少々ナーバスになっていたことも否めない。そのため製作前から、溶接機はもちろん、ジグの開発や製作方法のシミュレーションに、技術習得トレーニングなど余念はなかった。
結果、現在存在するどのチタンバイクよりも高い精度を実現したフレームが完成したのでは?と自負している。
もちろん長年のスチールフレーム(特に競輪フレーム)での経験が大いに役にたったと思う。考えてみればスチールフレーム製作は歪みとの戦いでもあり、スチールの溶接方法は広範囲に熱影響を受け、さらには肉薄のパイプは著しく変形を受ける。ゆえに精度管理はまさに職人技だ。つまりは精度の高いスチールフレームの方が困難が多くあることに気付かされる。
新たな挑戦をするときには長年の自身の持ち味を見落としがちだ。自転車フレームなので全く新しい試みではないが、自身の経験を改めて大事にしていれば新たな勇気も湧いてくる。
フィーリングはというと、チタンとは不思議な素材だ。私は理論上、硬めの剛性感を予想していたが(少なくともちまたのチタンは硬い)、実際ケルビムチタンのフィーリングは上品な乗り味が際立つ結果となった。
われわれの製作方法やデザインも起因していると考えられるが、レーシングというよりはロングライドなどで需要が高まるのではないだろうか。またどこかで詳しくチタンバイクについて解説させていただきたい。
ラグレス競輪フレーム
また競輪界では新たに、ラグレスフレームの製造認可を取得し、新型競輪フレームの供給も始まった。
ラグレス製法はプロの競輪フレームでは新たな試みだが、アマチュアフレームではロードレーサーも含め、過去から現在にまで相当数を作っている。
今までの競輪フレームを含めたラグドフレームよりもその製造数は圧倒的に多いだろう。つまり、ラグレスフレームはある種ケルビムのお箱といった技術である。
その技術を基にして競輪選手への供給を開始するという形になる。「Triplecrown AERO」と命名し、新たな旋風の予感を肌で感じている。
特徴としては、やはりラグドフレームより熱影響や空気抵抗の影響も少なく、パイプ本来の強度を保てるので、若干硬めの製作が可能となった。
選手と適合すれば、彼らの新たな武器となることが予想される。現在、飛ぶ鳥を落とす勢いでもある岡山121期、太田海也選手を筆頭に、さまざまな選手と新たな武器の可能性を模索している。
ちなみに太田海也選手は、ナショナルチームのメンバーとしてパリオリンピックを目指しており、日本を代表する活躍を見せている、現在最も注目を浴びる選手だ。競輪選手養成所を早期卒業し、その後は順調にS級特進を果たした。
国際大会での活躍も目覚ましく、先日インドネシアで行われたネーションズカップでは、出場したスプリント競技で決勝まで勝ち上がる活躍を見せた。決勝では現役最強王者、オランダのハリーラブレイセンに惜敗したが、まだ弱冠23歳。世界王者と対等に戦うその姿に、日本スプリント界の明るい未来を想像せずにはいられない。
何を選べば?
単純にラインアップが増えた。スチール、ステンレス、チタン、自転車フレームに最適とされる金属系のオーダーがケルビムでは全てそろったこととなる(ディスクブレーキもリムブレーキも対応可!)。
ここで私の悩みがひとつある。チタンは材料費も高額で開発費もかさむ。ラグレスフレームは非常に手間もかかり製作時間は倍以上だ。またステンレス材も高額で、作業できるのは私のみだ……。
プロ向け競輪フレームでさえ値段の差が生まれてしまう。値段上でのラインアップ順序はチタン→ステンレス→クロモリ。クロモリフレームがケルビムでは最も値段が抑えられる素材となってしまった。
チタンがフラッグシップモデルのように見えてしまう。外から見ると「一番良いのは、やはりチタンですね!」そんなイメージがつくのが懸念される。
ここはみなさんの判断基準の精度の高さに委ねるしかない。
自転車とは、乗り手の性能と自転車の性能が合致したときに最高のパフォーマンスを実現する乗り物だ。あなたの走りに合った素材を探し出すことがわれわれの仕事でもあるので、ご気軽にご相談いただきたい。
それぞれの素材を知っている私の好みは、やはりしなやかかつバネ感が心地よいリムブレーキのクロモリフレームが最も好みだが……。
ここで重要なのはオーナーに寄り添い、走りのパフォーマンス向上につながる素材が増えたことが喜びといえる。
ロンドンのとある楽器店
友人とロンドンに出かけた際、アコースティックギターを買いに行った。
店内で若いスタッフとあれこれとやり取りをし、ようやく目当ての楽器を見つけ出し、試奏して購入の流れとなった。
友人は左利きでいつも右利き用のギターを改造して使っている。これも日本に帰ったら自分で改造する旨を伝えた。
その途端、店員の顔色が急変した。突然「これは売れない」というのだ。はるばるロンドンまでやってきて、あと一歩で憧れの楽器を手に入れられるというときに、ここで引き下がるわけには行かない。当然左利き用が存在することは知っているし、あの有名ミュージシャンだってほら! と説得する形となったが一向に首を縦には降らない。
若造では話にならんと、オーナーに会いたいと交渉し責任者のいる2階へ上がった。丹精な顔立ちの英国紳士オーナーはていねいに楽器内部の図面を出してきてわれわれに見せた。
構造から始まり音の響きや音の伝わり方などなど「ここまで違うんだよ。演奏のパフォーマンスを上げるには、君の『性能』と楽器の『性能』が合致したときのみにかなうことなんだ。だから売れないんだ」と、結論づけたのだった。落胆すると同時に彼らの気品の高さに感動した。どんな形であれ自信のプライドを捨てることはしないのだ。彼らにとって「演奏」は根幹である。
正しい道具の使い方を伝授してこそ多くの音楽ファンを増やせる。無論こだわりは人それぞれあるが、目先のカネに自分のプライドを捨てる事は絶対にしない。
楽器屋は使い手に合った楽器を探して渡すことだけが存在意義なのだ。それを全うする事で生計を立てられるショップがロンドンには存在するのだ。
自転車業界も、この楽器店のようなスタンスを貫いてほしいと切に願う。
※この記事はBiCYCLE CLUB[2023年5月号 No.449]からの転載であり、記載の内容は誌面掲載時のままとなっております。
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ロードバイクからMTB、Eバイク、レースやツーリング、ヴィンテージまで楽しむ自転車専門メディア。ビギナーからベテランまで納得のサイクルライフをお届けします。
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