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ミスター・タイムトライアルと呼ばれた現役時代を語る|日本代表コーチ・ギジガー特別インタビュー Vol.2

自転車トラック競技日本ナショナルチームの中距離ヘッドコーチに就任したダニエル・ギジガー氏のスペシャルインタビューを全3回にわたってお届け。
2回目となる今回は自身のキャリアについてお伺いした。

速く走るために必要なものはなんでも取り入れた

ギジガー氏は現役当時、“ミスター・タイムトライアル”の異名をとり、グレッグ・レモン、ステファン・ローシュと言ったグランツール総合優勝者を破ってタイムトライアルで優勝を手に入れている。
またジロ・デ・イタリアでステージ2勝、ツール・ド・スイスでも1勝を挙げている。

40年以上前からエアロ、新素材のフレームなどを積極的に使っていた印象ですが?

現役時代のキジガー氏 写真提供:ダイアテック

アマチュア時代から新しい機材やトレーニング方法を取り入れる必要を感じ、試していた。
1977年、フレディ・ウィック氏が主宰するエリートチーム(現コンチネンタルチーム)に所属していたとき、彼が持つアワーレコードを破ることを目標にした。

フレディは私の記録挑戦に協力的だった。チューリヒ大学と協力して風洞実験を受けエアロ・ポジションの研究を行った。そのおかげで私はウィック氏が持つアマチュアのインドア・アワーレコードを更新した。

翌1978年、スキーのバックグラウンドを持つハンス・ヘス氏の協力を得る機会に恵まれた。
彼は時速100kmを超えるダウンヒル・スキーの世界ではウェアによりタイムが短縮できることを知っていた。当時、まだ自転車界ではウェアの空気抵抗を意識する人はいなかった。

「君たちのジャージは前近代的だ」そう話した彼は空気抵抗の少ないウェア開発に取り組んだ。

彼はベロマイヤー(アソスの前身)を営むトニ・マイヤーと共に空気抵抗の少ないスキンスーツ、カーボンフレーム、ブルホーンバーを開発してくれた。

そのバイクを持って私はドイツ・ミュンヘンで行われたトラック世界選手権に出場した。
世界初のスキンスーツとファニーバイクだった。これらの開発協力は骨が折れるものだったが、同時にタイム向上には何が効果的かを教えてくれた。

その後、ハンス・ヘスは日本のデサントに移りウェアの開発を行った。

新しいトレーニングメソッドを
積極的に取り入れた選手だった

ポール・コシェリ(※1)の教えで、レースに向けてカーボローディングを試した。一定期間、炭水化物の摂取量を控え筋肉からグリコーゲンを枯渇させる。その後、積極的に炭水化物を摂れば、筋肉に100%以上のグリコーゲンを詰め込むことができる。そうすれば体はエネルギーで満たされ、例えば30分しか走れなかったスピードで50分走ることができるようになる。この手法はクロスカントリースキーから来たものだ。

さらに彼は我々に心拍トレーニングを教えてくれた。
心拍数で運動強度(ゾーン)を分け、ターゲットに合わせたゾーンでトレーニングする手法だ。運動強度によって、それぞれのトレーニング効果が得られることが分かった。そのため、自身が得たいトレーニング効果に合わせて強度を決めることになった。

それまでは外的要因で強度を決めていた。キツいトレーニングをしたければ強い選手と走る。レース走で強度を上げるといったように。

またそれまでは走った距離のみを管理していた。しかし、心拍トレーニングにより「どのように距離をこなしたのか?」をあきらかにすることができた。

同じ距離を走った場合でも、追い風だったのか上りだったのかで強度は全く変わってしまう。しかし、心拍トレーニングならその内訳を知ることができるのだ。

さらには心拍トレーニングは、トレーニングのプランニング、テーパリングを可能にした。レースに向けてより明確に組み立てたトレーニングができるようになったのだ。

※1 ポール・コシェリ スイス人、グレッグ・レモン、ベルナール・イノーが所属したチーム、ラヴィ・クレールのコーチングを担当した

ギジガー氏が指揮を執ったフランク・トーヨー(左端は市川雅敏氏)

プロしてのキャリアを終えた後、
コーチの道を選択

フランク・トーヨーの前身であるシンダレッラで現役生活を終えた後、フランク・トーヨーのDS(監督)に就任した。チームが大きくなり、オーナーのタールマンから依頼された。この時代の監督業は全てをこなす必要があった。

選手のトレーニング管理、レース戦略の決定、ロジスティクスなどだ。この経験が後のコーチ業に生きた。全てに目を配り、選手のコンディションを高め、チーム全体が円滑に動くにはどのようにすれば良いかをここから学んだ。

フランクでの仕事を終えた後、コーチの道を選んだ。私はスイス・フランスの二重国籍を持っている。スイスでのコーチ教育は入学のタイミングが合わなかったため、フランス・パリでのコーチスクールを選択した。
そこでシリル・ギマール、ダニエル・リビヤー、ベルナール・ダルメといった自転車界を知り尽くした講師から学ぶことができた。

卒業後、前妻の出身地ニューカレドニアで12年間コーチングを行った。

その後、UCIがスイス・エーグルでWCCを開設したのに伴い帰国。トラック中距離のコーチを4年ほど務めた。
さらにスイス・ナショナルチームで東京五輪までコーチングを行った。

最終回となる次回は、日本のレース界が進むべき方向性についてお伺いする。

 

プロフィール紹介

ダニエル・ギジガー

自転車トラック競技日本ナショナルチーム中距離ヘッドコーチ。UCIワールド・サイクリングセンターのコーチ、スイス・ナショナルチームのコーチを歴任。スイス・チームをチーム・パシュートで東京五輪に導いた。現役時代はタイムトライアルを得意にし、ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・スイスで区間優勝の経験がある。

市川雅敏

1987年に日本人初の欧州プロ(現ワールド・ツアー)として、ベルギー・ヒタチでデビュー。1990年ダニエル・ギジガー率いる、フランク・トーヨーからジロ・デ・イタリアに出場。総合50位でミラノに凱旋。完走を果たした。

 

取材&執筆:中田尚志(ピークス・コーチンググループ・ジャパン)

ピークス・コーチング・グループ・ジャパン代表。パワートレーニングを主とした自転車競技専門のコーチ。2014年に渡米しハンター・アレンの元でパワートレーニングを学ぶ。帰国後、選手を8年間で10回全日本チャンピオンに導いた。
https://peakscoachinggroup.jp/

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PROFILE

中田尚志

中田尚志

ピークス・コーチング・グループ・ジャパン代表。パワートレーニングを主とした自転車競技専門のコーチ。2014年に渡米しハンター・アレンの元でパワートレーニングを学ぶ。

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