駐日エリトリア国大使に聞く ロードレースでの躍進の背景と自転車を通じた日本との親善
福光俊介
- 2024年11月08日
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2024年のツール・ド・フランスを沸かせたスター選手が一挙来日した「ツール・ド・フランス さいたまクリテリウム」。第10回の記念大会だった今年、さいたま新都心のコースを一番に駆け抜けたのは、アフリカンスプリンターのビニヤム・ギルマイ(アンテルマルシェ・ワンティ)だった。彼を輩出したのは、アフリカ大陸東部の国・エリトリア。ロードレースシーンにおいては新興国ながら、いまやアフリカを代表する強豪に成長。その代表格が、今年のツールで3勝を挙げ、ポイント賞を獲ったギルマイだ。
さいたまではツールでの活躍を祝福しようと、日本に駐在するエリトリア国大使のエスティファノス・アフォワキ氏が来場。ギルマイとの面会を果たし、両人の喜ぶ姿がさいたまスーパーアリーナでも注目を集めた。
そこで、みずからもロードレース観戦が大好きというエスティファノス大使に話を聞き、エリトリア勢躍進の背景や歴史、自転車を通じて同国と日本の架け橋を目指したいとの思いを語ってもらった。
雨中の激戦をギルマイが制する
11月2日に行われた「ツール・ド・フランス さいたまクリテリウム」は雨中の激戦に。レース中4回ある中間スプリントポイントでは、マイヨ・ヴェールを着て走るギルマイが盛んに1位通過を目指す姿が目立っていた。ツール本戦でもライバルだったヤスペル・フィリプセン(ツール・ド・フランス クリテリウムレジェンズ、ベルギー)やマーク・カヴェンディッシュ(アスタナカザクスタンチーム、イギリス)らとの激しい争いを演じる。そして最後の最後、フィニッシュで勝負強さを見せたのもやはりギルマイ。ツールで“ナンバーワンスプリンター”の称号をほしいままにしたその走りは、日本でもしっかりと発揮されたのだった。
ツール本戦ではステージ3勝。自身初勝利となった第3ステージは、アフリカ系黒色人種の選手としても初となるツールでのステージ優勝。「Makes History」のフレーズは、ロードレースシーンにおける全世界の共通語にもなったほど、その活躍はセンセーショナルだった。
そして、さいたまへ。すっかり一流スプリンターとなったギルマイだが、レース外でのアクティビティにも積極的に取り組み、テレビ番組への出演やSNS企画に参加するなど、初めての日本を心から楽しんだのだった。
エリトリア自転車界は国の歴史とともにある
初来日のギルマイを温かく迎え、今後の活躍を祈念しようと会場を訪れたエスティファノス大使。レース前のチームピットに足を運び、ギルマイとの対面を果たした。
エスティファノス大使はパイロット出身で、その後は隣国エチオピアからの独立を目指す活動で軍事や地方行政に従事。1993年5月に正式にエリトリア国が独立すると、新政府の一員として財政・商工業・民間航空・通信・交通などで要職を歴任した。
駐日大使には2003年に着任。20年を超えるキャリアは、現職の駐日アフリカ大使の中では最長となっている。
エリトリア国民であれば知らない人はいないほどの有名人であるエスティファノス大使。大のロードレースマニアでもあり、グランツールからワンデーレースまで、あらゆるレースを日々チェックし、トップシーンの動向を追い続けているという。その中で主役級の走りをするまでになった自国のライダーたちをどう見ているのだろうか。
「エリトリアにとって一番人気のスポーツが自転車。彼らの活躍に国民が熱狂しています」
その背景には、同国の歴史が関係しているという。エリトリア人にとっての自転車は、「移動の手段」と「スポーツ」、2つの側面が存在すると大使は述べる。現在のエリトリア領土は、1890年にイタリアの植民地となった。やがて首都アスマラはイタリア人移民が人口の半数以上を占めるようになり、そこへ持ち込まれたのが自転車だった。イタリアが当時からロードレース大国だったことも関係し、エリトリアでも自然と自転車競技が盛り上がっていくようになる。みずからを支配するイタリア人に対抗する絶好の手段こそ、自転車だったのだ。
山岳地帯が大部分を占める国土もプラスに働き、次々と高いポテンシャルを持つ選手たちが現れた。ときを同じくして、エリトリア領土はイギリス軍政下に置かれたのち、エチオピアに軍事併合される。
「1964年の東京五輪では、エチオピア代表として自転車競技に臨んだ選手のうち半数以上の5人がエリトリアからの参加だったのです」
1960年代に始まったエリトリア独立戦争が終結したのが、1991年5月。その2年後、国際的にエリトリアの独立が承認されると、イタリアでもなく、エチオピアとしてでもなく、「エリトリア」としてスポーツシーンで名が広がっていく。その波に乗るように、自転車競技でもエリトリア人ライダーの活躍が観る者の目に飛び込んでくるようになった。
そのパイオニアこそ、2012年にオリカ・グリーンエッジ(現・チーム ジェイコ・アルウラー)でデビューしたダニエル・テクレハイマノ。2015年のツールでは一時山岳賞争いでトップに立ち、エリトリアの名を全世界へと広めた。ギルマイも尊敬しているというテクレハイマノの活躍に始まったエリトリア勢の躍進。現在、UCIワールドツアーを主戦場として走る4人を筆頭に、同国選手は世界各国のチームに所属。本場ヨーロッパだけでなく、アフリカ、アジアと活躍の場を広げている。
「すべての歴史が今、ツール・ド・フランス さいたまクリテリウムにつながっていると思います。だから、私はこの場へやってきました。今日をきっかけに、自転車を通じたエリトリアと日本との親善につながることを心から期待をしています」
※エリトリアの自転車競技については、駐日エリトリア国大使館ウェブサイト内「エリトリアの自転車競技」も参照されたい。
http://www.eritreaembassy-japan.org/category/cycling/01.html
サッカーよりも人気の自転車競技 強化の方法とは
現在、トップシーンを駆けるエリトリア人ライダーの多くがジュニアまたはアンダー23段階でヨーロッパへと進出してプロへの階段を上っている。では、その前段階、国内での強化はどのように図られているのだろうか。
「多くの学校が自転車チームを有しており、カテゴリーごとの大会に参加をしています。同年代の選手たちが同じスタートラインに立つばかりではなく、スキルや実力に応じたレベルごとのレース設定も行われています。日曜日になれば、国内のどこかではレースが開かれているのですよ」
そこから力のある選手たちが国内トップを競うようになり、さらにはアフリカ大陸のトップへ、そしてワールドクラスのレースシーンへと駆け上がっていく。10月にケニアで開催されたアフリカ選手権では、ヘノック・ムルブラン(アスタナカザクスタンチーム)がエリトリア代表のエースとして臨み優勝。3年連続でアフリカ大陸王者に輝いている。
エリトリアの自転車熱は、サッカーをも上回っているという。
「全世界で人気のあるサッカーはときに政治介入があり、思うように強化が進んでこなかったという実情があります。具体的には、エチオピア植民地時代にサッカーを通じたエリトリア独立機運の高揚を避けるため、支配国側(エチオピア)が意図的にコントロールしてきたことなどが挙げられます。それと比較すると自転車は盛り上がりやすく、強い選手が多く出るようになりました。その流れが今にもつながっているのです」
2時間で3つの季節
ワールドクラスのライダーが活躍することで、日本でも身近になったエリトリアだが、物理的な距離ばかりはどうしても否めない。日本からの直行便はなく、現時点ではエチオピア航空でアディスアベバを経由するのが最も効率的な移動方法だ。それでも、過去には両国の友好サイクリングが行われ、日本からのサイクリストがエリトリアの各地を走っている。
また、エスティファノス大使はツール・ド・フランス さいたまクリテリウム当日、清水勇人・さいたま市長と遠藤秀一・さいたまスポーツコミッション会長と面会。自転車を通じた交流への期待を共有している。大使が願う「自転車を通じたエリトリアと日本との親善」は、一歩ずつ実現へと近づいている。
エリトリアでサイクリングするならば、どんなことが楽しめるのだろうか。「エリトリアはサイクリングに適した国」とエスティファノス大使は胸を張る。
「エリトリアは“2時間で3つの季節”があると言われています。それを感じられるのが首都アスマラから紅海に面したマッサワまでのルートです。高原地帯にあるアスマラから、砂漠を抜け、年間を通して夏の暑さであるマッサワへ」
かつて行われた友好サイクリングでは、両都市を結ぶコースが実際に採用されたのだとか。国土が海抜0mから3018mにわたり、決して広いとはいえない国土の中でさまざまな地理的特徴と多様な気候を有している。きっと、自転車で走ることができれば“3つの季節”を感じられると同時に、エリトリア人ライダーの強さの源を知ることができるのだろう。
エリトリアの最も古い人類の痕跡は200万年前にさかのぼり、それは地球上の人類誕生に近いところに位置しているとも言われている。アスマラからマッサワまでのルートは、それを知ることのできる「ヒストリカルサイト」になっているとも。
「きっと私たちの祖先に近いところを走ることができるはずです。人類の発祥の地とも言われるエリトリアを自転車で走ることには、無限の魅力があると私は考えています」
着実に強まる日本とエリトリアとの結びつき。物理的な距離をも超えるときがやってくるだろうか。自転車こそが、そのカギを握っている。
駐日エリトリア大使館―「紅海」という名を持つ国へようこそ!
http://www.eritreaembassy-japan.org/
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PROFILE
サイクルジャーナリスト。サイクルロードレースの取材・執筆においては、ツール・ド・フランスをはじめ、本場ヨーロッパ、アジア、そして日本のレースまで網羅する稀有な存在。得意なのはレースレポートや戦評・分析。過去に育児情報誌の編集長を務めた経験から、「読み手に親切でいられるか」をテーマにライター活動を行う。国内プロチーム「キナンサイクリングチーム」メディアオフィサー。国際自転車ジャーナリスト協会会員。