BRAND

  • Lightning
  • 2nd(セカンド)
  • CLUTCH Magazine
  • EVEN
  • BiCYCLE CLUB
  • RUNNING style
  • NALU
  • BLADES(ブレード)
  • RIDERS CLUB
  • CLUB HARLEY
  • DUCATI Magazine
  • flick!
  • じゆけんTV
  • 湘南スタイルmagazine
  • ハワイスタイル
  • buono
  • ランドネ
  • PEAKS
  • フィールドライフ
  • SALT WORLD
  • Kyoto in Tokyo

【赤岳鉱泉・行者小屋当主 柳沢太貴インタビュー:後編】山は人を変える力をもっている 〜withコロナの山小屋営業を始めて〜

創業60年来一度も休業したことのなかった赤岳鉱泉が、4ヶ月弱の休業を経て、8月1日から宿泊営業を再開した。休業と営業再開、柔軟で迅速な決断を下したのは、32歳の当主・柳沢太貴。赤岳鉱泉・行者小屋を、父・太平から引き継いで11年目。どのように山の世界に入り、山を覚え、チーム「赤岳鉱泉・行者小屋」を作ってきたのか。その素顔をうかがった。

>>前編はこちら>>

【赤岳鉱泉・行者小屋当主 柳沢太貴インタビュー:前編】従業員とつくる山小屋  〜8ヶ月の休業を決めたときと再開に向けて〜

【赤岳鉱泉・行者小屋当主 柳沢太貴インタビュー:前編】従業員とつくる山小屋 〜8ヶ月の休業を決めたときと再開に向けて〜

2020年08月13日

カートレースから登山の世界へ

カートレース時代と、山小屋当主になってからの大きな違いは?

カートレースをしていたころは、「人を蹴落としてでもトップに立ちたい」と思っていたんです。思い上がりもいいところです。人と深く交わることもなかったかもしれません。けれどそれに不満があったわけではなく、ひたすら勝負をしていました。いまでも、逆境になればなるほど、闘志がわいてくるというのも、そのころの影響かもしれません。

山小屋の仕事をするようになり、人の温かみを知りました。柳沢太平の息子だということもあったのでしょうけれど、それまで山を知らなかった者が、23歳で山小屋の当主になったのを温かく迎え入れてくれ、「大丈夫か?」「応援するぞ」と声をかけてくれたんです。山の人たちは、温かいなあと思いました。

レースをしていたときだって、僕一人で戦っていたわけではありません。メカニックなどチームがあったわけです。けれど、いま振り返ると思いました。人と競ってレースをする世界から、人に声をかけられ、人と話し、思いや考えを共有して、ともに山小屋を作っていく世界に変わったんです。若気の至りもありました。人間同士が支えあっていることを、本当に感謝できるようになったのは、レースを卒業した後かもしれません。

山小屋の仕事に就いて、僕自身が変わりました。山には人を変える力があるんですよ。

赤岳鉱泉は、赤岳、硫黄岳などへの登山のほか、横岳西壁にある多数の岩や氷雪のバリエーションルートのベースとなる

どのような道のりをたどって、登山を覚えましたか?

僕には、山のお父さんと呼んでいる人がいるんです。お父さんは、国際山岳ガイドの遠藤晴行さんです。遠藤さんは、僕が当主になった最初の最初から、気さくに話しかけてくれました。右も左もわからず、心細かったときに「一緒に山に行こう」と誘ってくれたんです。八ヶ岳のほとんどのバリエーションルートを、遠藤さんに連れられて登りました。夏も冬も。まったく山を知らなかった僕に、イチから教えてくれたのです。

ある年は、3週間ほどシャモニーに連れて行ってくれました。けれどそのとき、僕は遠藤さんとけんかをしてしまったんです。遠藤さんが僕のことを思って注意してくれた一言にカチンときて、言い返して爆発してしまいました。いま思い返すと、とても恥ずかしいです。しかしそれがきっかけで最後には、僕も謝って、腹を割って話ができるようになりました。

3年後には、イタリアのクライミングに連れて行ってくれました。八ヶ岳という山を知ることができたのも、さまざまな遭難事故の救助を、なんとか乗り越えてくることができたのも、全部、遠藤さんのおかげです。とても感謝しています。

水が豊富な山域。渓谷の脇につけられた登山道の整備は、いかにして治水するかが肝

チーム「赤岳鉱泉・行者小屋」の素顔

SNSは、いつも楽しそうですね。

おかげさまで、FacebookとInstagramを合わせると、30,000人以上のフォロワーがいます。ほぼ毎日、投稿しています。お客様に八ヶ岳のコンディションや山小屋の情報をお届けするのが第一目的ですが、僕としてはもうひとつのねらいもあります。

それは、山小屋の仕事を紹介することです。山小屋の仕事って、楽しんですよ。けれど登山者の方々に見えているのは一部だし、ひょっとしたらその面白さも伝わっていないかもしれません。僕は本気で、山小屋の仕事は楽しいと思っています。登山道整備のような力仕事も、ボッカも楽しいのです。家族のようにみんなで暮らしながら働く、それも素晴らしい経験になります。だから、山小屋の裏側を積極的に発信し、知ってもらいたいと思っています。それは、登山者たちに山小屋を理解してもらいたいからであり、山小屋の仕事に興味を持ってもらいたいからです。

山小屋は近年、人手不足と言われています。とくに男性の人手が足りないと。けれど赤岳鉱泉・行者小屋では、「SNSを見て働きたいと思った」と申し込んできてくれる人が増えています。それと、僕たちの山小屋の楽しそうな雰囲気を感じてくれれば、それも嬉しいです。

柳沢を支えるのは、支配人の佐藤(左)と20年選手の中村をはじめとしたスタッフたち

柳沢さんにとって、初めての「部下」は?

現在も支配人を務める佐藤至さんです。僕が当主になる4ヶ月前に入社し、今年で11年目。9年前に支配人に就いた方です。年齢はちょうど一回り上になります。

最初から佐藤さんと上手くいっていたわけではありません。最初の頃の僕は、理想ばかり追い求め、現場をわかっていなかったのかもしれません。僕の理想と、スタッフを束ねる佐藤さんが思い描く現実的なラインにはギャップがあり、ぶつかることもしばしばでした。

けれどある日、佐藤さんが言ったんです。「生活していくのに、お金は必要です。けれど僕は、お金のためだけに働いているわけではありません。赤岳鉱泉・行者小屋を大切に思っているんです」と。そして、「先代の太平さんからの教えを活かしつつ、時代にあった、お客様が喜んでくれる新生赤岳鉱泉・行者小屋を作っていきたいんです」と続けました。

先代である父・柳沢太平は、イケイケどんどんの性格です。それは人を楽しませたいというサービス精神にも表れていたし、また自然相手にしながら臨機応変に山小屋を創り上げていくバイタリティにも表れていました。いまでも「太平イムズ」と呼ばれています。

とくに男性の働き手が不足していると言われる山小屋だが、休業中の赤岳鉱泉・行者小屋は100%男性だった

佐藤さんの言葉を聞いて、彼は太平イムズを肌で知っている数少ないひとりであると気付いたんです。その彼が、これからは自分と一緒に、赤岳鉱泉・行者小屋を作っていきたいと言っている。佐藤さんは、赤岳鉱泉・行者小屋の力になってくれる、なくてはならない人。この人とだったら一緒にやっていける。そう思いました。そしてあの日、佐藤さんが本心を打ち明けてくれたことへの感謝の気持ちを忘れずにいたい。小屋番としても、人としても大切にしたいと思いました。

佐藤さんをはじめとしたスタッフは、かけがえのない存在です。僕ひとりではなにもできません。スタッフ達がいてこその赤岳鉱泉・行者小屋です。だから僕は、彼らが気持ちよく働ける環境、モチベーションを維持しやすい環境、意見が言いやすく風通しのよい環境を作ることを、いつも考えています。それは、答えのない作業であり、ひょっとしたらコロナの問題よりも難しいかもしれません。

これからの山小屋営業と八ヶ岳エリアについて

八ヶ岳の「顔」と期待されています。エリア全体の今後は?

コロナの問題があり、これまで抱えていた問題が陰に隠れつつあります。ヘリコプターの空輸費用の高騰、機体やパイロットの不足が大きな問題です。これは毎年深刻度を増しています。先に述べた人手不足も、近年続く問題です。

これらはひとつひとつに回答があるのではなく、すべてを連動させて考えていかなければなりません。また、赤岳鉱泉・行者小屋だけがいい結果を得ても仕方がないのです。まずは八ヶ岳というエリア全体で考えて、解決していくべきことでもあります。その先には、日本の山小屋、日本の山岳地域全体のことを考えることが必要でしょう。

八ヶ岳には、21人の経営者がいて、34軒の山小屋があります。コンパクトな山域なので、よくまとまっています。風通しもよく、コロナの問題についても、情報交換など上手にやってきたと思います。けれど画一的ではなく、それぞれが個性をもった山小屋であることも、よい意味での特徴だと思います。

山小屋を経営するのに、スタッフを大切にしチームワークで乗り越えてきたのと同じように、八ヶ岳についても、議論を重ね、共通認識をもちながらも、それぞれの考えや個性を活かした山小屋経営ができるように、八ヶ岳の仲間たちを大切にし、よい関係を作っていきたいと思っています。

休業中はスタッフとゆっくり食事をすることも心がけた。チームワークがまたひとつ、強固なものとなった時間だった

柳沢太貴と赤岳鉱泉に入ったのは、宿泊営業を2週間後に控えた頃だった。「スタッフ全員が集まる週末ですから、この日に来てください」と。医師を含むteam KOIのチームメイトたちと入山し、コロナ感染予防対策の最後の確認とスタッフ達のトレーニングを行なった。感心したのは、医師からの提案を受け、自分たちが講じてきた対策を、フレキシブに変えていくことだった。よりよい方法を見つけるために、つねに柔軟な思考を持つ。

また、スタッフ全員が常にものすごく真剣だった。ビールを注ぐジョッキの洗い方について話題に上ると、すぐにジョッキと専用の洗浄スポンジが出てくる。味噌汁やご飯のおかわりシーンでの感染予防の話になると、水をはった大鍋とレードル、椀、炊飯器にしゃもじと茶碗があっという間に用意され、動作の確認をする。

スタッフ達の積極的な姿勢に、感染予防に関してどれほど真剣に考えてきたかがうかがい知れた。
本人たちで講じた策は、決して形式だけのものではなく、なにかのマニュアルや提言をなぞっただけのものでもなかった。感染経路の原則を踏まえ、クリティカルに発想し、より確かな感染予防、登山者が使いやすい方法、宿泊者が少しでも快適な方法を選んでいた。さぞ、試行錯誤を繰り返しただろうと、その過程がうかがい知れた。

team KOIの医師と共に、手指衛生についてトレーニング。営業再開前の最後の調整

8月1日、赤岳鉱泉の宿泊営業再開を待っていたかのように、梅雨があけ、青空が広がった。定員数は大幅に減らしたが、宿泊者たちが戻ってきた。食堂のテーブルはアクリル板で仕切られているのが、以前とは違うけれど、名物のステーキが並んだ。嬉しい眺めだった。

山小屋という生業を、たとえいっときであれ奪われた者たちの心情はいかなるものだったのだろうか。あのトレーニングをした日、私たちを宿泊客に見立てて、夕食提供をした。それだけで、スタッフたちの顔は嬉しそうだった。8月の予約数は、思うような数ではない。けれど、ほんものの宿泊者、登山者が戻ってきてこそ、山小屋は生き返る。

宿泊営業再開は、けっして万全のタイミングにはならなかった。首都圏を中心に感染が広まり、小池百合子知事は「自粛のお願い」と言った。けれど、柳沢たちが考え講じている策は、どのフェーズにあっても、対応できるものだ。先のことはだれもわからない。営業できるときに営業し、それが難しくなったら、再び休業する。臨機応援に動く。その柔らかい思考、フレキシブルな行動力が、意思がかたく、一本筋の通った柳沢太貴にはある。

 

柳沢太貴(やなぎさわ・たいき)

1988年、長野県生まれ。
八ヶ岳の盟主・赤岳のたもとにある、赤岳鉱泉・行者小屋の四代目当主。
21歳のとき、父・柳沢太平より山小屋を引き継いで、11年目。

  • 山小屋宿泊(赤岳鉱泉)
    1泊2食付き11,000円、個室は別途4,000~8,000円/1部屋。要予約。
  • テント場(赤岳鉱泉・行者小屋)1泊1名1,000円、予約不要。
    夕食2,500円、朝食1,000円、こちらはともに要予約。
    弁当1,000円。入浴1,000円(夏季のみ)。 
  • 予約・問い合わせ ℡090-4824-9986
    ホームページ   https://userweb.alles.or.jp/akadake/
    Facebook     https://www.facebook.com/akadake1959/
    Instagram    @akadakekousen_gyoujyagoya

SHARE

PROFILE

PEAKS 編集部

PEAKS 編集部

装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。

PEAKS 編集部の記事一覧

装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。

PEAKS 編集部の記事一覧

No more pages to load