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彼女の機嫌のいいうちに

文・写真◉杉村 航 Text&Photo by Wataru Sugimura
出典◉PEAKS 2018年12月号 No.109

山も恋愛も的確な状況判断が大事。感情に流されず微妙な兆候を見逃すな

10mほど先を行く仲間が振り返って叫んでいる、ようだ。

そもそもバラクラバで口元は覆われてるし、サングラスで表情もつかめない。なにか伝えようとしているのだが、こちらも同じくバラクラバ、ジャケットのフードまで被っているのでまったく聞こえない。吹き付け続ける風の息吹のみが耳元を通り抜ける。

まあいい。どうせ大した内容じゃないだろう。そろそろ休憩しようとか。ロープを繋ぐ繋がないとか。ルートの判断に迷っているとか。

澄みきったブルースカイ。天気は上々なのだが、おきまりの西風とともに数時間。体力はずいぶん削られており、本当は大事なことも、どうでもよくなってくる。

前日。想定以上に深く積もった雪は、長いアプローチをより長く引き延ばして僕らを焦らす。取り付いた西尾根はすぐに傾斜を増していき、樹々の間を縫うような、快適とは言い難い登行が続く。効率よく標高は上がっていくのだが、真冬なのにじわじわと汗が滲んでくる。セオリーどおり、汗をかかないペースで進むことはもちろん簡単だ。日没が真夏並みにゆっくりなら、ではあるが……。

森林限界ギリギリ、尾根の途中の猫の額ほどのわずかな平らをさらに整地して寝床とした。優しく降り積もった雪の森。夕日は空だけではなく世界のすべてを紅に染めていた。仲間たちとの団欒を楽しんだのもつかの間、夕闇とともに圧倒的な冷え込みが訪れる。かわいい彼女でも隣にいれば別だが、星空など見てる場合ではない。シュラフに潜り込んでも骨に滲みるような寒さは簡単には去ってくれない。両側の仲間(おっさん)の温もりさえありがたい。が、今度は寝息のリズムが気になってしまう。一向に寝付けずに切なくなってくる。ようやくまどろみを覚えたのはいつごろだろう。

翌朝(?)2時すぎ。星明かりの元、鼻水の入り混じったラーメンをすすり、いつも通りの慌ただしい出発の儀。無風快晴。放射冷却という、この世のすべての生命を剥ぎ取るかのような冷気に、呼吸するのも勇気が必要だ。寒さに抗う手段はただひとつ。登るのみ。

尾根の途中で迎えた夜明け。振り返れば、西に連なる山稜が高いところから順番に赤みを帯び、やがて当然のように白銀に輝いていた。

仰ぎ見るゆく手の先、斜面は屏風のようにそそり立ち、僕は青い影の一部となり、先行する仲間はさらに濃い影となっている。

張り出した雪庇、ほどよく緊張するナイフリッジ、ルンゼ、雪壁を越えて、西尾根をひたすら登りつめてきた。冬期の穂高のアプローチ。入門ルートと呼ばれるだけあって、どれも難易度は高くないが、真冬の3000mは、その圧倒的なスケール感と同様にリスクも一級だ。油断を見逃してもらえるほど甘くはない。緊張を緩めることなく進み続ける。

やがて主稜線にほど近くなると雪、というより氷といったほうがふさわしい雪面となる。クランポンの歯が小気味よく効いている。

風がでてきた。徐々に勢いを増していく。いよいよそれらしくなってきた。この標高、そもそも人など住めない環境、夏山以上に空を近くに感じる。白と青の濃淡だけしかないシンプルな世界。この雰囲気を味わいたくて来たはずなのに足取りは重くなってくる。再び冬型が強まってきている。

涸沢岳の山頂へ。計画の前半戦は達成した。南コルを挟んだ向かいには、次に狙う奥穂高岳が鎮座している。吸い込まれるような濃い青空の下、舞い上がり続ける雪煙の奥で美しく心を震わせる妖しさで輝いている。誘惑されている。拒絶されている。女心といっしょで非常にわかりづらい。判断をあやまるととんでもない目に合うのも似ている。いや、前触れがないわけでもないか。彼女が機嫌を損ねる前兆を思い出す。人生自体が常に判断と選択の繰り返しだ。

ここまでで充分に寒さは味わった。出発前までの車内の人工的な温もりが懐かしい。あまり思考を巡らす余裕がない。とっととコルへ降りていく。足元の小屋も、いまは温もりを提供してくれそうにはない。

とにかく少しでも風から逃れたくて場所を探す。

東側の斜面に一段下ると楽園が待っていた。風は見事なまでに遮断され、稜線からわずか10mほどの距離でまさに天国と地獄。実際のところ気温は15°C(当然マイナス)を下回っているのだが、太陽に近いからかとつい錯覚してしまうほど日差しに力を感じる。

冷え切っていた体に血がめぐり、うっかり眠気を覚えだした。まるで温泉にでも浸かっているようだ。幾度となく登っているルートを思い浮かべ、この先をシミュレーションした。

稜線に戻り、再びあの風雪のなかを登る自分たちの姿を想像してみる。一度抜けた緊張を取り戻すのは容易ではない。

潔く下山の途へ。

とにかく天気の状態がいいうちに稜線からおさらばしたい。さもなくば、人生とおさらばするカウントダウンが始まってしまう。彼女と山の天気は機嫌がいいうちに楽しむのが花である。

コル付近から見た奥穂高岳。天候が変わるときはフォトジェニック。回復ならよし。悪化なら手遅れになる前に撤退を。

山岳フォトグラファー・杉村航

長野県在住の登って滑れるカメラマン。ここ数年は鱒釣りにすっかり傾倒。夏の源流釣りが真骨頂、そして冬は本流。登山ガイドや遭難救助活動もしている信州登山案内人。

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PEAKS 編集部

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装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。

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