花びらとワインバーへ「LuLu」（神奈川県横須賀市）【グルメトラバース】#004

PEAKS / 山岳ガイド

川名匡

2022年04月16日

山に登り、麓の食を堪能することをライフワークとする、とある山岳ガイドの彷徨旅＝グルメトラバース。
今回は地元・横須賀の鷹取山から水の流れに沿って、桜とともに小さなワインスタンドへ。

桜の名所・鷹取山

4月上旬。お花見シーズンの真っ只中。私にとってお花見の山と言えば、地元の鷹取山が最多を誇る。

鷹取山は神奈川県の横須賀市、横浜市、逗子市の3つの市にまたがった山で、逗子方面から横須賀の田浦方面へ向けるハイキングコースの途中にある。土日ともなればハイカーでにぎわっているが、自分たちが鷹取に通う最大の目的は……お花見、ではなくロッククライミングのゲレンデとしてだ。

鷹取という名前は、その昔、室町時代後期の武士である太田道灌が鷹狩りをした山であるところから名付けられたという。おそらく当時は、尖った岩が乱立して、いかにも鷹が似合いそうな場所だったのだろうと察する。

明治時代になり、文明開化とともに横須賀に建造され始めた港湾施設や防波堤、砲台などの基礎として、ここの石が重宝された。名を鷹取石といい、明治から大正時代には石職人などもたくさんいたらしい。いまでも市内の古い塀や港湾施設に鷹取石が残っている場所もある。

その後、コンクリートなどに需要が変わり、石切場としての役割を終えたこの山は放置された。そして、昭和30年前後から山のあちこちにある垂直に削られた岩壁が、岩登りのゲレンデとして使われ始めることとなった。

我が家からも近く、登山技術を磨くためのホームゲレンデとなっている。その岩練の一番いい時期が春。毎年4月上旬にはこの山の至るところに桜の花が咲き、我々山ヤを楽しませてくれる。

※鷹取山の桜の見頃は例年４月上旬

春の桜が似合う小さなワインスタンド

鷹取山への最短アクセスは京浜急行の追浜駅だ（駅から鷹取山まで徒歩約25分）。そのため、鷹取山の後に行く飲み屋は追浜駅周辺となる。横須賀市の北の外れ、横浜市との境にある追浜駅周辺は飲み屋が多い。近頃の地方ではあまり見られなくなった飲食店の激戦区とも言える。さすがに感染症関係で下火にはなったものの、それでも頑張っているのは、自衛隊の官舎や住友重工、日産自動車の工場など大きな施設が多いからだろう。

追浜駅から海方面へ向かうメインストリートの大通り（夏島貝塚通り）。夕方前から次々に来る駅へ向かう仕事帰りの人波を避けながら駅から250mほど進み、信号のある交差点を左折。小さな夫婦橋という名の橋を渡ると、本日の目的地、可愛らしい建屋の「LuLu（ルル）」がポツンと現れる。

元床屋を改装した店は、暗がりにある明かりがまるでオアシスのようだ。若手男子がワンオペで切り盛りする立ち飲みのワインスタンド。毎回、世界中の各種ヴァンナチュール（自然派ワイン）とマスターの手料理が楽しめる。

店は2017年にオープン。マスターは丸茂正裕さん。元々グラフィックデザインの仕事を10年ほどしていたが一念発起、各地放浪の末、始めは宿泊業をしたかったがハードルが高く、諦めて飲食業へ……。本人が好きなのは日本酒の癖になぜかワインバーへ行き着いた。そのいい意味でのフラフラ感がすばらしい。

細身だが愛称はマルちゃん。ピンポン玉のようにポンポンとフットワーク軽く飛び跳ね、水の流れに沿ってフラフラどこにでも行ってしまうようなその姿からは、人生を楽しんでいる感じがうかがえる。しかしこういう人に限って、芯はしっかりしていてなかなか侮れない。彼が作る料理の数々は、生き方や性格（？）そのもので、見た目おしゃれで華やかだったり軽快そうに見えるが、じつはしっかりと考え抜かれた味で、どの料理を食べても旨い。当然だがヴァンナチュールを意識した味で、この店に来たらワインだけでなく、しっかりと料理も食べなければもったいない。

ところで、鷹取の帰りにルルに寄るのは、鷹取で汗を流した山ヤにとってじつは必然なのだ。というのは、鷹取山を源頭とした、北東を流れる関ノ入川（男川）と南東を流れる鳶ヶ入川（女川）が合流する場所が、店の近くの夫婦橋であり、ここ（合流地点）より下流を鷹取川という。

鷹取川はその昔、鷹取で採石された鷹取石の運搬に使われた川で、いまは石の代わりに春になると鷹取山に咲いた桜の花びらが流れ着く。つまり昔は石が、いまは花びらが、鷹取からたどり着く場所がルルなのだ。こりゃ素通りするわけにはいかない。流れ着いたらひと休み。そう、私の肩にちょこんと乗って運ばれてきた桜の花びらをワインに浮かべ、まずは泡から乾杯だ。Tchin-tchin!