大いなる山 Mt.デナリ・カシンリッジへの挑戦 出発編|#2
佐藤勇介
- 2024年08月26日
北米大陸最高峰、デナリ(標高6,190m)。7大陸最高峰のひとつに数えられ、その難易度はエベレスト登山より高いという声もある。
高所登山としての難しさだけでなく、自身による荷揚げ(ポーター不在)、トレイルヘッドからの比高の高さ、北極圏に近い環境など、複合的要素が絡み、登頂成功率(※2023年度)は30%前後。
そんなデナリへ初めて挑んだ、山岳ガイドの山行を振り返る。
文・写真◉佐藤勇介
編集◉PEAKS編集部
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常夏の島から北の果てへ
2024年5月16日。成田空港の片隅に90ℓのザックと120ℓのダッフルバックいっぱいに詰め込んだ荷物を担いだ男たちが3人集まった。少しでもオーバーチャージを取られないように厳密に重さを計り、荷物を仕分ける。
結局、3人の荷物の総重量は150kgを超えていた。これに現地で食糧と燃料を追加することを思うと、気が遠くなる。
なるべく安いエアチケットを求めた結果、ハワイ経由でアラスカ・アンカレッジに行くこととなった。トランジットは14時間。一度、出国して再度国内線に乗りなおすため安いらしい。
「極寒のデナリに行く前に常夏のハワイではじけるのも一興」とほくそ笑みつつ、ホノルル空港を出ると外は土砂降りの雨。人生思いどおりには行かないものだ。
憧れのワイキキビーチの夢は破れ、不毛な時間を潰してアンカレッジ行きの国内線の飛行機に乗る。ようやくたどり着いたアンカレッジはどんよりとした空でうすら寒く、どこか寂しさの漂う街だった。
アンカレッジのゲストハウスに荷物を預け、3週間分の食糧を調達する。アメリカのスーパーは広大で品揃えも豊富、ただし日本のように小分けで売ってないのが難点だ。
ハイカロリーなものが多く、山に入る身には有難いが、ここに住むとなると肥満体まっしぐらなのだろう。実際、街の人々は豊満な体型の人が多くを占めていた。健康に配慮された食糧は少量で高級なものばかり。ここではお金がないと健康も買うことができないようだ。
ひき肉をたくさん買って山のなかでいろいろな料理に使えるぺミカンを作ることにした。ぺミカンとはアメリカの先住民が考案したもので、下ごしらえした野菜や肉をラードなどで固めた保存食。高カロリーでさまざまな料理に使うことができる便利なものだ。デナリ登山にはうってつけと言える。
そして、この日は私自身の45歳の誕生日。自らケーキを買って同宿の人々にバースデーソングを歌って祝ってもらった。
タルキートナ
食材や装備の最終準備を入念にして、セスナの発着するタルキートナまで3時間ほど車で移動する。タルキートナは田舎の観光地で、小一時間で街全部を歩いて見て回れる規模の街だ。小さなお土産物店やレストランが並んでいる一角にある、デナリ国立公園のレンジャーステーションで入山手続きを行なった。
ここでデナリ登山での注意事項やルートの説明を受ける。そしてCMC(マウンテンクリーンカン)を受けとる。
ハイシーズンを迎えるデナリでは世界中から多くのクライマーが訪れる。各キャンプ地では多いときは100人以上が集うこととなり、食べて、飲んで、そして排泄する。当然、好き勝手に排泄すると大変なことになるのでCMCを活用するのだ。簡単な話、蓋のできるバケツにビニールを被せそこに用を足して持ち運ぶ。においが気になるかと思いきや、あっという間に凍りつくのでノープロブレム。中間地点のメディカルキャンプでは、近くの大きなクレバスにビニールを投げ捨ててよい決まりになっている。
TAT
登山開始地点となるカヒルトナ氷河のベースキャンプまでは、TAT(タルキートナエアタクシー)のセスナに運んでもらう。
搭乗の最終手続きをして翌日のフライトに備え、最終準備に取り掛かる。山行に必要なソリやワンド(旗竿)、スノーバーはデナリに30年通ったレジェンドである大倉喜福(おおくらよしとみ)さんに貸して頂ける手筈となっていた。
倉庫に積んである段ボールを空けると……ない。
だれかが持ち去ったか捨てられてしまったか、去年まであったはずの装備の多くがなくなってしまっていた。ソリとワンドはTATのものを借りることができたが、テントを固定するためのスノーバーが全然足りなかった。
なにか使えるものはないかと辺りを探し回ると、ゴミ捨て場に棚を固定するための錆びたL字の金具が幾つか落ちていた。仕方なくこれをスノーバー代わりに拝借することとした。旅にトラブルはつきものだが、大抵はなんとかなるものだ。
セスナに載せる荷物を年代物の秤で計測する。自分で載せて自分で重さを記入するから、ごまかし放題ではないのだろうか……。節約のためTATの物置小屋の屋根裏にて宿泊。ときに蚊の大群の襲来を受けるので入念に虫除けを撒いた。
フライト予定の日の朝。セスナの出発は天気次第。何日も待たされることもめずらしくないらしい。準備が整ってからは、いつ声がかかっても行けるように待機する。幸い天気は安定しているようだ。
「次はお前たちの番だ。すぐ準備しろ!」という感じの意味の英語が飛び交って慌ただしく出発となった。すぐとは言われたがここはアメリカ。のんびりとスタッフの準備が進み大分待たされたあとにようやく搭乗となった。
シートベルトを締めろとかの細かい注意事項は一切なく、おもむろにセスナは滑走路を勢いをつけて走り「ふわり」と空中へと浮かび上がった。
見る見るうちに高度を上げ、眼下にはアラスカの大地が拡がる。次第に街や道路が遠ざかって本物の自然のなかに飛び込んでいく。
広大な湿地帯がどこまでも続く。血脈のように曲がりくねって入り乱れる河川と大小の湖沼。遥かに雪をまとった山々が見る間に近づいてくる。
むき出しの地球を極めて荒々しく削りとった鋭い岩山。対照的に大海原のごとく広大で平坦な氷河。雲の上、遥か高みに「デナリ」が浮かんでいた。
岩稜をかすめながら旋回し次第に高度を落とす。めくるめく岩壁の隙間を縫ってカヒルトナ氷河の雪原が近づくと、わずかな衝撃とともに無事着陸した。日本を発ってから5日目、時刻は14:30であった。
ようやくデナリ登山がここから始まる。
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PROFILE
1979年生まれ。山岳ガイドとして、ハイキングからアルパインクライミングまで四季を通じて幅広く日本中の山々を案内している。プライベートでは長期縦走、フリークライミング、ルート開拓に熱をあげ、ガイド業の傍ら東京・昭島市でボルダリングジム「カメロパルダリス」を経営。日本山岳ガイド協会・山岳ガイドステージⅡ。