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大いなる山 Mt.デナリ・カシンリッジへの挑戦 氷河生活編|#3

北米大陸最高峰、デナリ(標高6,190m)。7大陸最高峰のひとつに数えられ、その難易度はエベレスト登山より高いという声もある。
高所登山としての難しさだけでなく、自身による荷揚げ(ポーター不在)、トレイルヘッドからの比高の高さ、北極圏に近い環境など、複合的要素が絡み、登頂成功率(※2023年度)は30%前後。
そんなデナリへ初めて挑んだ、山岳ガイドの山行を振り返る。

\ #2はこちら /

大いなる山 Mt.デナリ・カシンリッジへの挑戦 出発編|#2

大いなる山 Mt.デナリ・カシンリッジへの挑戦 出発編|#2

2024年08月26日

Day1 ベースキャンプ

セスナのランディングポイントとなる氷河は多くのテントが並ぶベースキャンプとなっている。すぐ目の前には巨大な壁をもつMt.Hunter(ハンター山・標高4,442m)が威圧的な姿を露わにしている。それほど大きく見えない壁だがベースキャンプからの標高差は2,200m。ちなみに日本最大の岩壁である奥鐘山西壁は800mである。

周囲には地元ガイド会社の常設テントやTATなどのスタッフの待機用、国立公園レンジャーのテントもある。帰りのセスナを待つ下山者のテントも多い。

▲Mt.Hunterの麓にベースキャンプがある。左端が北壁。

周囲にはいたるところにワンドと呼ばれる竹竿が10本ほどまとまって雪面に刺してあるものがいたるところにある。これは登山中のパーティが雪の中に燃料や食糧などの荷物を埋め、目印としているものだ。

デナリ登山は長期に渡り食糧も燃料も膨大なものになる。荷物を運ぶポーターはいないため、すべてを自分たちで運ばなければならない。基本的にピストン登山となるので帰りに使うぶんの荷物を雪の中に埋めておくのだ。

セスナが発着するベースキャンプにも埋めるのは、天候次第によって数日迎えに来れないことがよくあるから。

事実、前回のデナリ登山で井出は2日待機となり、定員の関係でひとり次の便に回された。パートナーはそれからさらに3日待たされたらしい。隣のエクアドルの一行は7日も待たされたそうな……。

我々も2mほどの深い穴を掘って食糧やガソリン、ビールなどを埋めた。それほど深い穴を掘るのにはわけがある。約1カ月に及ぶ登山の間に季節は進み、雪は次第に減っていく。上に載せてある雪が少なくなると食糧のにおいを嗅ぎつけたワタリガラスがほじくり返して荒らしてしまうらしい。こんな極地にカラスがいるなんて驚きだが、彼らも生きるのに必死なのだろう。

 

▲穴を掘るのも重労働。

カヒルトナ氷河・BC〜C1

ベースキャンプ(約2,200m)に着いたのが14時半。通常であればここで泊って翌朝から行動するのがセオリーだが、明日の予報がよくない。

平坦で広大な氷河歩きでは視界がなければ進むべき方向を定めることが難しい。コンパスを使えば進んでいけるが、ところどころに口を開けるクレバスを避けるのが困難で危険極まりない。そこで、遅くはなるが今日のうちにC1(約2,400m)まで行くことにした。標高差は200mとすぐそこのようだが、8km/5時間ほどかかる。

荷物を埋めてパッキングを終え、16時半に出発。日本の登山ではあり得ない時間だが、ここは極地。白夜なので日が沈むことはない。ただし22時をすぎると周囲の山々の陰に太陽が隠れ薄暗くなる。

約1カ月分の食糧・燃料(約50g)を持っていくが、当然すべてを背負っていくことはできない。半分はソリに載せてロープで引いていく。これが楽そうに見えて意外とそうではない。平坦な場所はよいが、少しでも登りになるとグッと抵抗が増すのだ。ロープの長さや身体に繋ぐ場所など細かな調整が必要になる。下りではソリが勝手に滑ってくれるが、ブレーキを掛けないと引きずられてしまう。暴れ馬を御するがごとくソリを上手に操ることもここでは必要な技術である。

 

▲見た目よりはるかに巨大な山々。

広く大きなカヒルトナ氷河に先行者が付けた一条の道が続く。平坦に見えた道は意外に細やかな起伏がある。少し先にある張り出した尾根に近づいたら休憩しようなどと考えながら行くが、歩けど歩けどひたすらに長く周囲の景色は一向に変らない。

周囲の山々や氷河があまりに大きく、どうやら遠近感がおかしくなってしまったようだ。一見、20分ほどで着くと見込んだ地点には90分もかかり、かわいい丘に見えても実際は見上げるばかりの堂々たる山岳であったりする。

 

▲スケールの大きなカヒルトナ氷河。

涼しげな氷河の上は強烈な日差しが降り注ぎ、灼熱と化している。すぐに上着を脱ぎ捨て半袖シャツ一枚になって歩く。帽子にサングラス、顔を覆うバフを身に着け、少しの日焼けも許さないように歩かなければならない。サングラスに着けて鼻を覆うパットは少々滑稽だが、ここでは必需品である。

氷河上では雪に覆われて姿を隠したクレバスに落ちないよう、お互いロープを繋いで歩く。万が一落ちてしまったら残りのふたりが止めて引き上げる仕組みだ。このあたりの氷河歩行技術にも習熟しておかなければならない。

21時ごろ、近くに見えて遥かな、色とりどりのテントが集まるC1へとようやくたどり着いた。するとそのうちのひとつのテントから「日本人の方ですか?」と声がかかった。

話をしてみると昨年、カナダのバガブーに登りに行った際に知り合った虎之助君を含めた20代3名のパーティだった。彼らはなんと、カシンリッジの末端ともいえるカヒルトナピークからカシンリッジを経てデナリへ登るという壮大な計画を実行していた。高度順応でノーマルルートから一度デナリ山頂に立ち、ここまで戻ったところで休養したあとにトライするとのこと。カヒルトナピークからの縦走は20年ほど前に挑んだ日本人2名が遭難。その後、花谷泰広さんや谷口けいさんも悪天で途中敗退した、極めて難易度の高い未踏ルートである。

お互いの健闘を祈り、また会おうと約束を交わす。すばらしい若者のチャレンジに、平均年齢40半ばのおじさんたちも負けずにがんばろうとあらためて気合を入れなおすのであった。

 

▲テントの集まるC1。背後にスキーヒルと呼ばれる斜面が続いている。

通常、キャンプ地に着くとよい場所を選んで整地し、その上にテントを張るわけだが、登山者の多いデナリではその必要はない。シーズン外れでないかぎり、探せば防風ブロック完備、雪を固めて作られたテーブル・ベンチ付きの優良物件を見つけることができるからだ。

テントの脇にタープなどを使って休憩・食事用のキッチンテントを設置する。日中は日差しが強くてテント内にはいられないし、長いテント生活でいかに快適にすごすかも登山の成否にかかわる大きな問題だ。

泊る準備が整ったら水作りが始まる。日本の雪山で培った技術を活かして効率よく沢山の水を作る。極度に乾燥しているし、高山病対策としても普段の倍の量の水を飲まなければならない。

水ができたらようやく夕食だ。この夜は簡単なスープパスタとした。

長い長い一日がようやく終わり、シュラフに潜り込んだのは24時をまわるころ。明日はのんびり起きて、天候次第で先に進むこととする。

 

▲C1付近から望むデナリ南壁(右端のスカイラインに近い尾根がカシンリッジ、山頂から真下に伸びて雪稜となっているのがウエストリブ、山頂左の稜線がウエストバットレス)。

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PROFILE

佐藤勇介

PEAKS / 山岳ガイド

佐藤勇介

1979年生まれ。山岳ガイドとして、ハイキングからアルパインクライミングまで四季を通じて幅広く日本中の山々を案内している。プライベートでは長期縦走、フリークライミング、ルート開拓に熱をあげ、ガイド業の傍ら東京・昭島市でボルダリングジム「カメロパルダリス」を経営。日本山岳ガイド協会・山岳ガイドステージⅡ。

佐藤勇介の記事一覧

1979年生まれ。山岳ガイドとして、ハイキングからアルパインクライミングまで四季を通じて幅広く日本中の山々を案内している。プライベートでは長期縦走、フリークライミング、ルート開拓に熱をあげ、ガイド業の傍ら東京・昭島市でボルダリングジム「カメロパルダリス」を経営。日本山岳ガイド協会・山岳ガイドステージⅡ。

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