小柄な新星が見つめる、ほかの誰とも違う生き方 長田華山【La PROTAGONISTA】
管洋介
- 2020年08月22日
昨年17歳でJプロツアーデビューを果たした長田華山。
小柄な身体でプロレースの速い展開にもたくましく応じる走りで今後の活躍を期待させる。
今期、新チームのレバンテフジ静岡で活動する彼にプロタゴニスタはフォーカスした!
■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/2001年12月16日 身長・体重/157cm・55kg
血液型/不明
レバンテフジ静岡 長田華山
【HISTORY】
2016-2018 ブラウ・ブリッツェン
2019 東京ヴェントス
2020 レバンテフジ静岡
「試合での嗅覚の高さにスゴく期待できる高校生がいる」
長田華山は、ブラウ・ブリッツェンに所属する選手のなかでもとりわけ小柄な体型。低く身構えたフォームにロードバイクは少し大きく見えた。
彼を初めて目にしたのは、強豪市民レーサーとプロを目指す若手選手たちが混在するエリート1のレース。決め手となる流れに飛びつく能力は高く、ジュニアギヤながらエリート最高峰の3day熊野で上位に入賞するなど、着々と実力をつけていた。
自然に生きる心を育んだ幼少時代
前年にプロデビューし、この取材でひさびさに会った長田は、落ち着いた穏やかな表情だった。「人とは違う生き方をしてほしい」という母の願いで、長田は一風変わった幼少時代を送った。「幼稚園もほとんど行かずに、家族で旅に出かけたり自然のなかで過ごすのが日常でした」
初めて手にした自転車の補助輪はすぐに外れ、幼いながら青梅や五日市の山麓で、家族と往復40kmのサイクリングをすることも多かったという。その一方で、小学校での集団生活や授業に慣れるのには大きく出遅れた。
「自然のなかに楽しみを探して生きて来ただけに、遊びですら周囲と合わせるという感覚に戸惑っていました。一方で年の離れた弟たちが生まれ、家族で過ごす時間はますます賑やかになりました」
旅の道中にレースを走るのがスタイル
ロードレースとの出合いは小学6年生での第1回ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム 。初開催のニュースを目にし会場に足を運んだ。「これならやれるんじゃないか……」。小さな頃から旅のツールであった自転車の新たな一面に刺激を受け、漠然とレースへの想いを描きながら過ごしていると、旅先で立ち寄ったスポーツ量販店でアルミのロードバイクに巡り合った。「このバイクでレースに出たい」。彼の強い願いで、家族旅行の目的のひとつにヒルクライムレース出場が加わった。
「中学1年のとき富士ヒルクライムでデビュー。数戦で入賞もするようになりました。週末はロードバイクで遠出し、クルマで向かう家族と現地で合流する旅や、輪行ツーリングを楽しんでいました」
地図を背中に八王子市の自宅から松本まで走ったり、草津白根山を越えて長野に入るなど、行動範囲は大きく広がった。そして自然とついた体力はヒルクライム大会で優勝する原動力となった。
長田は自分がレーサーとなるきっかけとなった一枚の写真を見せてくれた。
「宇都宮ブリッツェンがサポーターになっている、やいた八方ヶ原ヒルクライムの写真です。中学生の部で優勝した記念に増田(成幸)さん、堀(孝明)さん、城田(大和)さんといっしょに撮っていただきました」
そして当時、宇都宮ブリッツェンの下部組織チームの監督であった廣瀬佳正GMにレースをほめられたことをきっかけに、クラブ入団を直訴し事態は急展開。トライアウトに合格し栃木県を拠点とするブラウ・ブリッツェンと契約、アマチュア選手となった。
「中学生ながら『人とは違う生き方』を見つけた僕に、家族は栃木の練習やレースまでクルマで送り出して応援してくれました」
その才能は早くから開花。エリート3でデビューしてたった半年、得意の登坂力で8月の宮田ヒルクライム、翌月のいわきクリテリウムの2大会で入賞。トップクラスのエリート1まで一気に上り詰めて周囲を驚かせた。
ヒルクライムで培った「前に前に」という走り方に、ロードレースの駆け引き、そして強気の感情が加わった。さらに当時チームに在籍していた小野寺慶(那須ブラーゼン)、半田史竜(さいたまディレーヴ)をはじめ、プロを目指す先輩たちと活動することで強い選手がチャンスをつかんでいくタイミングを学んだ。
「いちばん辛いときに抜け出せる選手になりたい」という強い想いは、彼を大きく飛躍させた。すぐにアマチュアの強豪たちを押しのけて入賞する実力を身につけた。
Jプロツアーでの洗礼でチームの役割を知る
高校2年の終わり、父の職場異動をきっかけに転機が訪れた。
「チームの練習や遠征のとき、父がいつも送ってくれたことで成り立っていた競技生活。いわば家族とともに走ってきた僕のロードレース。それが家庭環境とともに変わってしまったんです」
それに前後して地元八王子で活動するJプロツアーチーム、「東京ヴェントス」のメンバーとのトレーニングも始まっていた。
「ある日、トレーニングの途中から雨が本格的に降り出し、当時キャプテンだった佐々木貴則さんと僕で、最後二人になっても峠の反復を続けたんです。『おまえ、やるなぁ』ということで、二戸監督への紹介を受けました」
すでにJプロ昇格の権利を得ていたこともあり、高校3年でJプロツアーデビューを果たした。
突然導かれたプロの道。いつもの攻めるレースを信条に、宇都宮クリテリウムに参戦。連携するプロのトレインに割って入り、押し返されるという洗礼を受けた。
「レース後に呼び出され、『プロが命を賭けて仕事をしているところに新人がじゃましに来るな』と叱責されました。ここで初めてプロレースの社会で生きている人たちの覚悟と、プロのモラルを知りました。僕がこれまでしていたのは個人競技。トッププロもチームで動かなければ勝てないレースに挑んでいる。だったら僕らにも違う戦い方が必要なんだということに気付かされました」
プロレーサーという企業と密着した世界に揉まれ、長田は1年で大きく成長した。所属した東京ヴェントスは解散し、二戸監督が立ち上げた地域密着型プロチーム、レバンテフジ静岡に合流、元全日本チャンプの佐野淳哉を柱に新たな経験を積んでいく運びとなった。
現在、大学で経営技術を修学しながら活動する長田。
「僕がこれからプロ選手として全力で挑むなかで、必ず人生を発展させる学びと出合うはず。自転車が好きだからこそ、勉強もレースも両立させていきたいんです!」
シーズン入りが遅れた今、一度家庭に戻り改めて家族への想い、レースへの気持ちも確認した。そして自身が見つめる、ほかの誰とも違う未来に、その目を輝かせる。
REPORTER
管洋介
海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
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