日本のフレームビルダーに影響を与えた名車、今野真一が選ぶトップ5
Bicycle Club編集部
- 2021年01月28日
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自転車やロードバイクにまつわる、あれやこれやの事柄たち。記憶に残るトップ5をフレームビルダー今野真一が語る。
日本のロードバイクは東京オリンピックを契機に海外レーサーに憧れ、また独自に進化していった。今もその伝統が続いている、日本のスチールフレーム。その発展に大きな影響を残した名車たちとは?
日本のフレームを世界レベルに押し上げた名車たち
われわれフレームビルダーは今回紹介するフレームに少なからず影響を受けている。「オリジナル」という言葉を耳にするが、好きではない。というのも何をもってオリジナルというか非常に困難な問題だからだ。
われわれも多くのレーサーをダイヤモンド型フレームで製作する。それがモノマネだといわれてしまえばそれまでだ。しかしいいものを作り出すうえで先人たちの叡智を活用しないというのは間違った考えであり、彼らの努力をムダな物にしてしまうと考えている。
自転車は、700Cホイールやドロップハンドルなどの仕様、規格、流通性、価格帯でデザインが決定されることがほとんどだ。何をもってオリジナルと分別するか、基準を見つけるのは困難だ。
重要なのはフォルムだけではなく、その奥にある思想や意味を発見するところにある。どうしてこの形なのか?ということだ。
私のなかでは梶原利夫のフレームは「カミソリ」だ。各箇所にエッジが効いていて鋭いということもあげられるが、それよりもフレーム全体からみなぎってくる思想を感じずにはいられない。
ここではそんな5台を選ばせていただいた。これらを模範とし日本のフレームが世界レベルに到達するのに時間はかからなかった。
メキシコ五輪ではケルビムが、世界選手権ではナガサワが、梶原によるミヤタはツールを走った。そして三連勝、ミユキもともにオリンピックへと羽ばたいた。
国家レベルで日本が研究した「チネリ・ピスタ」
オリンピックで使われたチネリのうちいくつかは今野家が所有していた。工房に残る1台のチネリ・ピスタ、私の宝物だ。
ショックをもたらしたチネリ
1964年は、日本中の自転車製作者たちにとって衝撃的な年だっただろう。そう昭和の東京オリンピックだ。当時イタリアを代表とするヨーロッパ勢の「強さ」は圧倒的で、また多くのライダーの武器がイタリアの名門チネリだった。脚力のみならずチネリには、何か秘密があるのでは? 彼らの強さはそう思わざるを得ないくらい圧倒的だった。今日本で活躍している先輩ビルダーは、この洗礼をほとんどの人が受けたと思われる。もちろん日本チームはチネリを数10本オーダーし実戦でも使った。自転車工業会はそのチネリを隅々まで分解研究しパイプや塗装の成分までも研究した。いわば国家がチネリを研究した。現物のチネリを目の当たりにした、日本のビルダーの卵たちは強烈な衝撃を受けた、それが「チネリショック」と輪界で語られ続けるゆえんだろう。
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