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突然導かれたゴールへの道 藤田涼平【El PROTAGONISTA】

2019年に東京ヴェントスでJプロツアーデビュー、2020年には新興のプロロードチームであるさいたまディレーブのスターティングメンバーとなった藤田涼平。
JCLで走る、この若き才能にプロタゴニスタはフォーカスした。

■■■ PERSONAL DATA ■■■
生年月日/1997年3月13日 身長・体重/170cm・60kg
血液型/A型

さいたまディレーブ 藤田涼平

【HISTORY】
2017-2018 サイタマサイクルプロジェクト
2019    東京ヴェントス
2020-現在  さいたまディレーブ

2019年10月16日Jプロツアー第21戦、維新やまぐちチームタイムトライアル。序盤でスタートした東京ヴェントスは平均時速46.98kmで13kmを駆け抜けた。暫定トップの証、ホットシートに腰掛け、続々とスタートするチームを祈るように見守る5人の選手たち。そのなかにJプロツアーデビュー1年めの藤田涼平がいた。

結果を出せなかったこの一年。彼は唯一可能性のあるこのレースに賭けていた。この年は20戦のレースを走った藤田だったが、ロードレースでは唯一群馬のレースで完走しただけ。これまで経験してきたレースペースとあまりに違う世界に、出鼻をくじかれていた。

レースは窪木一成、橋本英也ら国内屈指のスピードマンをそろえたブリヂストンが優勝。そしてマトリックス、シマノレーシングに続き、東京ヴェントスはなんと46秒差の4位に食い込んだ。

「何も残せなかったシーズンのなかで、上位チームを抑えての4位は、僕らにとって勝利に等しいものでした」

ポディウムに上がれない順位ではあったが、チームピットに戻る5人の背中は誇らしげだった。

あの藤田晃三の息子血統書付きの2世ライダー

藤田涼平にはバルセロナ五輪に出場した“藤田晃三の息子”という肩書がついてまわる。ブリヂストン・アンカー一筋で走り、試合巧者だった父、晃三。筆者もその現役時代の活躍を見てきた世代だ。

2017年に実業団レースE3でデビューしてからたった数戦でE1まで上り詰めてきた涼平の活躍に、「彼があの……!」と思わず唸った。細身の体格と白い肌に父の面影を重ねたが、それまで高校時代の藤田涼平の活躍は耳にしたことがなかった。

「僕が本格的に競技を始めたのは19歳。小さなころからロードバイ クがあたりまえにある環境でしたが、2000年に引退した父の現役時代の記憶はほとんどなく、僕自身が自転車競技にのめり込んだのは専門学校生のころでした」

意外な自転車歴だった。しかし、現在レースで活躍しポディウムに上がる彼の姿が、高校から競技で鳴らしたほかの選手とはどこか違い、初々しいことに合点がいった。

「ふつうの高校生活を送り、卒業して東京サイクルデザイン専門学校に入学しました。これは育った家庭環境からして、自転車を職として選ぶのが自然な成り行きだったからです。おそらく高校から自転車競技をしていたら、今の自分はなかったと思いますね(笑)」

在学中にみずからデザインし、フレームを溶接して組み上げたというミニベロを手に微笑む姿は、彼本来の個性を匂わせる。

「中学時代に一度はレースにも出たことがありました。ところが同じ年齢でもまわりは速い子ばかりで、背も小さかった僕は競争する気にもならなかったんです。それに、父の血筋からして自分も持久系スポーツに向いているかなと、部活で陸上中距離を選んだのも失敗。練習では一番遅く、いつのまにか帰宅部に……」

高校は同好会でクライミングに夢中になり、おのずと自転車競技からは離れていった。しかし自転車専門学校に進学後、自転車作りに没頭する日々を送るようになると、校内ではオリンピアンの息子として認識されるようになり、父の存在感がしだいに増していった。

「学校に通う生徒たちは自転車好きばかり。このころから再び父と週末にロードバイクで走りに行くようになりました」

父が毎年ゲストライダーとして招待される榛名山ヒルクライムにも挑戦。ここではなんと初参加にして680人中の25位で走り切る才能を発揮した。

そして、同じ専門学校生でレースに夢中になっていた岩村大樹と知り合ったことが、現在の人生を決定づけた。「当時、仲間うちで遊び感覚でライドを始めたんです。そのなかで本格的に実業団レースにも参加していた岩村君とウマが合い、いっしょにレースに出ようと……」

出典

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PROFILE

管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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