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世界に羽ばたいた三連勝|伝説のフレーム「三連勝」【後編】

実家にあったケルビム、ミユキとは対照的に実家を離れ、1973年東京の東大和に店舗「シクロウネ」を立ち上げた今野義。当初はメキシコオリンピックで井上三次が乗ったことで注目を浴び、軌道に乗った兄のブランド、ケルビムの販売店としてのスタートだった。
その後、独学でフレーム作りを学んだ義が、まず徹底的に分析したのはチネリだ。64年の東京オリンピック以降、日本ではチネリがほかのすべてのレース用フレームの判断基準だった。日本チームが採用したチネリの現物を多数所有していた義。理想的なフレームを再現するプロトタイプの開発と改良に2年以上を費やし、ついに「三連勝」というブランドが誕生した。

国内にとどまらず海外でも注目された今野義の三連勝

三連勝の快進撃

三連勝で勝利を重ねた稀代の名選手、滝澤正光。中野浩一などとともに競輪黄金時代を築いた

70年代末からの義の快進撃は、輪界でも有名だ。競輪の登録製造業者の免許を取得、そこで三連勝ブランドが生まれ、もとは年間300本ぐらいの製造だったが、80年代初めには輸出も開始、年間1500本以上の生産をするまでになったやがて義の工房は、競輪選手の駆け込み寺となった。レーサーを経てビルダーになった者は当時でも比較的少なく、選手は義の理論や話に夢中になっていった。今でこそあたりまえだが「先攻」「まくりタイプ」など競輪選手の走りの特徴をとらえ、そしてそれぞれの特徴を持つ選手に対して、すべてのパイプを調整した。これが石渡パイプによるスーパーストロングミックスだ。もちろんスケルトンも絶妙に変えられた。

滝澤正光が競輪全日本選手権で乗った実車

義のアドバイスに選手は従い、そして数々の栄冠を手にした。競輪界の怪物グランドスラマー、滝澤正光も三連勝で常勝し、競輪界での三連勝支持もうなぎ上りとなった。94年、アトランタオリンピックで競輪選手として初の銅メダルを獲得した十文字貴信が乗ったのも三連勝だ。

1983年全米パシュート優勝、デイブ・グリルス。三連勝と石渡製作所がサポートした。初期から手掛けていた独自フォルムのトラックモデルが実を結んだ傑作

伝説の秘宝、KATANA

三連勝には腕利きのビルダーが集まり、6名のスタッフが生産を支えた。初期メンバーでは、山口幸一が有名だ。後に渡米しアメリカナショナルチームのパシュートフレームに採用された「YAMAGUCHI」ブランドを作った。
また現在「M・マキノサイクルファクトリー」を主宰するビルダー、牧野政彦は、三連勝のチーフビルダーであり義のブランドの右腕だった一人だ。

高いスキルを持つビルダーたちによる分業体制で、クオリティーの高いフレームが大量に作られた。義自身は、生産部門とは別のところでシクロウネを管理し、プロトタイプ製作や、設計、デザインに集中できた。これが、三連勝がフレームデザインの分野で革新をもたらせた理由のひとつだろう。
さらに競輪選手からのフィードバックという信頼できる情報ソースを得て、より研ぎすまされたレーサーに進化していった。当時の最高級ロードフレームには「KATANA」というモデル名が与えられた。のちにオートバイメーカーの商標でこの名は使えなくなったが、日本に強い誇りとプライドを持つ、義のレーサーにふさわしい命名といえるだろう。

海外での義

海外の展示会でも注目された三連勝。相手がトップクラスでもものおじせず「スリーレンショー」と発音されると「ノーノー、サンレンショー」と必ず訂正した

当時を知る人は、日本の自転車=YOSHIであることが少なくない。三連勝といえば海外にもその名は知られている。当時も米国「バイシクリング」誌に広告を出し、米国ショーにも出品し注目を集めていた。全米チャンピオンのデイブ・グリルスも、三連勝で走った。

米国バイシクリング誌に紹介された義。日本の若き名匠としてフレームを称えられた。No・7のカタログには、バイシクリング誌の記事のコピーが使われている

義は、フレーム素材の販売も行った。買い手の多くはビルダーだが、大々的にこの分野のビジネスを開拓をしたのは義が世界初といえるだろう。
そして、CYC・デザインとしてみずからがデザインした魅力的なラグを数多く生み出した。ラグ生産も初期は日本製作だったが次第に台湾製作のロストワックス製へシフトしていく。今でこそスポーツ自転車生産の主流は台湾だが、シクロウネはいち早く台湾での自転車作りに着手した会社だ。

まだ台湾での自転車生産などが珍しい時代に、義は月に何度も台湾に足を運び、現地の生産者とディスカッションを繰り返した。台湾のロストワックス製造メーカーに多くの知識と技術を伝承したのは、まぎれもなく義だ。

義の発注により自転車産業に本腰をいれ、自転車部品の製造で立ちしていった台湾メーカーがいくつもあるそうだ。現在もロンシェンなど台湾製ラグのカタログに義のデザインしたラグが数多く存在し、三連勝タイプラグとして残っている。

CYC・デザインとしてフレーム材のデザインも多く手掛けた

義は、フレーム素材をはじめ、自転車ウエアやシューズ、ヘルメットやアイウエア、ハンドルやサドルなどコンポの開発、トレーニングマシンにフィッティングセット、工具、レーサーはもちろん子ども車まで、自転車に関わるほぼすべての製作に携わった。そして自社ブランド「三連勝」をコントロールしていった。日本の輪界において、そんな人物は後にも先にも義だけだろう。

義が国内で最初に作ったというМTB。バイクのパーツなどが使われている。自転車のトレンドにも敏感だった。後に三連勝は台湾生産のMTBも手掛ける

消えない存在感

「オレは自分のフレームを人にやったことなんて一度もないんだ」というのが義の口癖だ。超一流選手でさえフレームを買ってもらった。そんなこだわりゆえプロチーム供給はしなかった。

自分の信念は相手をねじ伏せてでも理解してもらおうとした。カンパニョーロの社長だろうがスペシャライズドの社長だろうが容赦はしない。あくまで対等に接し、商談後には夜の街でいっしょに酔っぱらって朝まで飲み明かす。
残念ながら、義は交通事故により一線を退くことになる。しかし、彼の情熱やプライドをかけた三連勝は人々の心に残り続けた。
そして、ニューヨークに端を発したピストブームで、幻のブランドとして希少性も相まって再評価を受け、いまもそのブランドは孤高の存在感を放っている。

幻の「三連勝」をその手に!復刻オーダーフレームを限定販売

三連勝のフラッグシップ「カタナ」。今野製作所によりこのモデルをオマージュしたフレームが限定再生産される

今野製作所により三連勝が復活。バイシクルクラブのECサイトでの10本限定生産の三連勝オーダーフレームが実現した。工房に残っていた当時のラグセットを使った貴重な限定モデルかつて三連勝のカタログにあったフラッグシップモデル 「カタナ(KATANA)」の仕様をベースに、復刻。今野義のポリシーも受け継いだ今野真一が作るサイズフルオーダーの三連勝はまさに一生物だ!

10本限定生産の三連勝オーダーフレームの詳細はこちらをチェック!

幻の「三連勝」をその手に!復刻オーダーフレームを限定販売|今野製作所

幻の「三連勝」をその手に!復刻オーダーフレームを限定販売|今野製作所

2021年06月21日

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ロードバイクからMTB、Eバイク、レースやツーリング、ヴィンテージまで楽しむ自転車専門メディア。ビギナーからベテランまで納得のサイクルライフをお届けします。

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