消えることのない情熱を胸に 向川尚樹【El PROTAGONISTA】
管洋介
- 2021年11月01日
マンガでのめり込んだロードバイク
大阪府の南東、岩湧山と金剛山の麓に位置する河内長野で育った向川は、MTBで林道を駆けまわる少年期を過ごしていた。ある日、書店で偶然手に取った一冊の漫画「シャカリキ!」(作 曽田正人)が彼の人生を変えた。
自転車で坂を上ることに異常な執念を燃やす主人公のテル。彼が高校自転車部でライバルと出会いトップレーサーになっていくというストーリーに、自分の人生を重ね合わせた。
いても立ってもいられず訪れたのはバイシクルランドサカタニ。漫画の主人公と同じビアンキのクロモリバイクを手に入れ、その足で坂道へ向かった。
1997年、大阪は地元開催の国体に向け気運が高まっていた。堺市で行われるロードレースの横断幕が目に飛び込んだ。「高校に自転車部はない。どうやったら国体に出られるんだろう……」。大阪府の自転車競技連盟の電話番号を調べ直談判すると、折よく強化合宿への参加を許された。
国体メンバーを選出する3日間の強化合宿は実力順に分けられスタートした。はじめ下級に配属された向川。道がわからないので必死に先頭についていくと、翌日は一つ上のクラスに昇格。最終日には国体メンバーのそろうクラスで走ることを許された。己の力も知らずに挑んだ合宿、自分の想像以上の体力に驚いた。
「人にも恵まれました。国体に出るにはトラック競技が必須。他校の監督がたがトラックバイクを貸してくれて、大阪国体の少年選手に選出されたんです!」
そして迎えた国体ロードレース。戦略もわからずにアタックしたメンバーに飛びつくと8人のエスケープに合流、これが決定打となり6位でゴールに飛び込んだ。
これをきっかけに、母親の友人のつてでプロレーサーであった安原昌弘(現マトリックス監督)を紹介された。
「高校2年で安原監督に出会えたことで、当時国内トップだったシマノレーシングの選手たちとの冬場の練習に入れてもらえるようになりました」
オフトレーニングの成果はすぐに現れた。1998年の西日本チャレンジロードで初優勝、続く東日本チャレンジロードでは当時国内最強と言われた内田 慶、圓谷 崇についで3位に入賞。その走りは立命館大学自転車部監督、矢野 淳の目にとまった。
14年の経験を積んだマトリックス
立命館大学に進学するとトラック競技への対応も求められた。
「シャカリキの影響で大の平地嫌い。でもそんなことを言い訳にできない状況のなか、安原さんの助言を受け、56kgだった体重を筋トレで10kg増やしました」
結果、1年めの全日本学生クリテリウムで4位と頭角を現し、その後も100kmチームロードで準優勝するなど、苦手だった平地でも活躍が目立つようになった。
このころ日本ロード界では三浦恭資、安原昌弘らを中心にキナンが結成されていた。そこに向川と同世代の長野耕治が加入したことに刺激を受け、プロ入りを強く意識した。
大学卒業後は自転車の問屋に就職し、クラブチームで実業団レースに参戦。そして、安原から誘いを受け2006年プロチーム、マトリックスの立ち上げに参画する。
「キナンの主要メンバーが移籍し立ち上げたチーム。そこで安原監督が僕にチャンスをくれました」
三浦恭資、橋川 健らベテランの見習いからスタートしたプロ人生。翌2007年、向川は西日本チャレンジで優勝し着実な成長をみせたが、2009年はベテラン勢が抜けてチームは若手だけに。「このころ年齢的にはすでに中堅。入団当初に結婚した妻にも、30歳まではプロを続けたいと言って苦労させていただけに、一念発起してキャプテンになりました」
2010年はJプロツアー白浜クリテリウムで準優勝、ツール・ド・熊野で総合6位に食い込んだが、「プライドを賭けて成績を出すのがプロである以上、2位や6位では喜べなかった」。
自分はもうここにいるべきではない
2011年からマトリックスは外国人をエースに強化体制を整えた。そして向川に「社員兼選手」の声がかかる。
「30歳を越えていた自分に、競技を続ける環境を安原監督が作ってくれました」
以降、イベント業務に携わり会社を支える一方、外国人選手と若手選手のパイプとなってレースを走り続けた。マトリックスがランキングトップの常連になってもなお、縁の下の力持ちとしてチームを支えた向川。
「高校時代に安原監督に目をかけてもらって以来、マトリックスとともに僕も成長してきました。でも若手の目覚ましい活躍を間近に見て、40歳を迎えた自分は『もうここにいるべきではない』と思ったんです」
それでも競技を続けていくのには理由があった。
「20代後半から記録していたパワーデータを見直すと、じつは今も力が変わらないんです。まわりにこの数値を超える選手はたくさんいますが、自分が培ってきた経験で彼らの実力を凌駕することもある。35歳で転じた農業もまた地の力を鍛えたと感じています。仕事と両立して走る喜びを感じ、まだまだ競技活動ができるんじゃないかと……」
2021年3月 JCL開幕戦。オープニングセレモニーの壇上にVC福岡のジャージで現れた向川は新しい時代の幕開けに、大きく手を上げた。そしてレースではメイン集団のスプリント3番手で車輪を差し込んだ。9位のリザルトを残し、40歳を迎えてもなお、その存在感をシーンに示したのだ。
若き日の情熱を胸に“一生青春”とペダルを踏み続ける向川尚樹。VC福岡での新たな活躍が、見る者の心を熱くするに違いない。
REPORTER
管洋介
海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
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