競輪とロードと2つの競技で活躍するオリンピアン窪木一茂【El PROTAGONISTA】
管洋介
- 2022年04月10日
苦境を乗り越え自分の力すべてを世界にぶつける
大学進学と夢をつづった運命のノート
窪木が日本大学に入った2008年当時、自転車競技部はインカレ団体総合26連覇(のち30連覇まで達成)を目指し、厳しい練習に明け暮れていた。
「僕は日大の封建的で厳格な上下関係のなかで過ごした最後の世代。下積み生活を送る1年生には脱落者も多かった。でも僕は走りでは先輩に負けたくないと思い、限られた練習時間に集中し反骨精神で打倒先輩に闘志を燃やしました」
大学生活が部活だけで終わってしまうのを嫌った窪木は勉強にも打ち込み、2年で100単位を取得。また休み期間や授業の合い間に飲食店や娯楽施設など多くのアルバイトを経験した。
「田舎から出てきての東京生活、練習と授業が終わったらいち早く外に出たかった。親に頼りきりではダメだと思ったし、少しでも社会に触れていたかった」
練習環境が限られた1〜2年だったが、高校時代に目をかけてくれた三浦監督はナショナルチームの遠征に窪木を起用し続けてくれていた。
28連覇を賭けた大学3年のインカレでは、ポイントレースと個人追い抜きで優勝。最終日まで中央大学に総得点でリードを許していたが、卓越したレースコントロールでメンバーを上位に送り込み、窪木は日大を逆転団体総合優勝に導く立役者となった。
この活躍で遠征のチャンスが増えると、当時世界でも上位に入る中距離トラックのトップ選手であった西谷泰治、盛 一大との勝負も多くなった。そして窪木の頭の中に中距離の複合種目であるオムニアムで五輪に出場する夢が浮かぶようになった。
「ノートに2016年のリオ五輪、翌年にヨーロッパでプロロード選手というシナリオをつづりました」
大学卒業後の進路を考えていた矢先、和歌山県庁の職員採用の声が掛かり社会人として選手活動の継続が可能になった。
「和歌山に住むことで、ロード競技は大阪の三浦さんのチーム、ミュール・ゼロに所属させてもらい、実業団レースのE3からスタートしました」
すぐに勝ち上がった窪木は三浦の口利きでマトリックスに途中入団し、2012年にプロデビューを果たす。また柿木孝之の指導のもとパワートレーニングを開始、現在のコンディショニングの基盤も作った。
リオ五輪への道、そして東京五輪の落選
2015年は全日本選手権ロードをはじめトラック3種目を制覇、2016年リオ五輪の選考を決着するワールドカップで橋本英也からリードを奪い出場権を獲得。その年にNIPPO・ヴィーニファンティーニとも契約し、ヨーロッパを主軸にするプロ活動も実現。リオ五輪では81点獲得の14位と、大舞台で世界との距離も確認できた。「卒業前にノートに書いた目標すべてを成しとげました。ですが今思えばここに東京五輪が入ってきて、安易にビジョンの延長をしてしまったことが僕の意志の弱さでした……」
先の東京五輪の選考で橋本英也に破れ落選を経験した窪木はそう振り返る。トラックの次はロードで五輪出場を!と意気込んだが、当初平坦だったコースが大きく変更され「これはちょっとキツいな……」と感じ始めていた。そして想像を絶するほど体力を削るヨーロッパのプロレース活動に、窪木の歯車は噛み合わなくなってきていた。
2017年からはチームの環境に依存せずに活動するため、管理栄養士、理学療法士、マッサー、バイオメカニック、そしてフィットネスアドバイザーを個人でつけて「チーム窪木」として揺るぎない環境を作ることで復調。五輪をターゲットにしたチームブリヂストンの再編にも参画し、目標を再びオムニアムでの東京五輪に切り替えた。そして2018年には全日本選手権トラック種目6冠を飾るなど最高の調子を作っていた。
「でも日本代表のトラックチームに中途で戻ったことで、当時のナショナル中距離コーチのイアン・メルビンとの意見の食い違いを生んでしまいました。自分が最年長でメンバーに入ったこともまたよくなかった……」
レースで会心の走りをしても、どこか認められない現状に悶える窪木。東京五輪への道筋は厳しかった。
「代表を争っていた今村、橋本との心の駆け引きも、同じチームに所属していることでよりシビアに感じていたのも事実。そして最終選考とされたワールドカップで結果を残せなかった」
しかし新型コロナで1年開催が延長され、窪木は「まだ諦めてはいけない!」と魂を込めて練習に打ち込んだ。
2019年夏、日本代表スタッフが再編され、クレイグ・グリフィンが中距離コーチに就任すると窪木にも追い風が吹いた。2020年3月の世界選手権では団体追い抜きで日本新記録を樹立。五輪代表に望みをつないだが、6月9日に橋本英也に内定が出た。しかしそのとき、窪木はすでに心の奥底でケジメをつけていた。
しかしそんな境遇にあっても窪木の挑戦は止まらなかった。2021年は競輪選手としてデビュー、ロードと両立させてさらに脚を磨いた。
2021年10月の世界選手権スクラッチ、3番手で迎えた最終2コーナー。アルカンシェルが見えた!と思った。
「ここで行くしかない!」
しかし思い切って右にかぶる選手を退けようとしたが、うまくかわされて体勢が崩れ5位に。だがここで窪木は、これまでにない大きな手応えをつかんだ。
「もっとイケる。もっと練習を積みたい! 自分の信じる力のすべてをぶつけたい!」
日の丸を背負うことを天命に走る窪木一茂の眼差しは今も熱く、なおも進化し続けている。
チームブリヂストンサイクリング 窪木一茂
PERSONAL DATA
生年月日/1989年6月6日 身長・体重/174cm・74kg
HISTORY
2005-2007 学法石川高校自転車競技部
2008-2011 日本大学自転車競技部
2012-2013 ミュール ゼロ/マトリックス
2014-2015 チーム右京
2016-2017 NIPPO・ヴィーニファンティーニ
2018〜現在 チームブリヂストンサイクリング
2021〜 日本競輪選手 119期生
RESULT
2006 ツール・ド・ラビティビ 区間優勝
2010 インカレ トラック2冠
2015 全日本選手権ロード優勝、トラック3冠
2016 リオ五輪出場 オムニアム14 位
2018 全日本選手権TT 優勝 、トラック5冠
2019 TOJ 区間優勝
2020 競輪養成所内 第2回トーナメント優勝
REPORTER
管 洋介
海外レースで戦績を積み、現在はJエリートツアーチーム、アヴェントゥーラサイクリングを主宰する、プロライダー&フォトグラファー。本誌インプレライダーとしても活躍
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