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妥協なき信念をペダルに賭けて 入部正太朗|El PROTAGONISTA

2022年シーズンまで「弱虫ペダルサイクリングチーム」に所属、U23の若い選手が多いチームをリードしていたベテラン入部正太朗。2023年シーズンからは古巣のシマノレーシングに戻ったが、ワールドツアーからクラブチームへ移籍するなど波乱の選手生活だった。誰も想像しなかったその歩みのなかで、彼自身の実力も再び開花し隆盛した。

来日した強力な海外勢に対抗できた日本人、入部

2013年、日本のプロロードレース界に大きな波が押し寄せていた。前年のギリシャ経済破綻のあおりを受けてヨーロッパ経済が低迷。ワールドツアーチームの運営にも影響し、特にスペインではプロチームが激減、多くのプロ選手たちが活動の舞台を求めていた。同年プロコンチネンタル アンダルシアに所属していたホセ・ビセンテの来日を皮切りに、ジョン・アベラストゥリ、パブロ・ウルタスン、そしてツールで活躍したオスカル・プジョルなど名だたるワールドツアークラスの選手がJプロツアーに参戦。

彼らの異次元のスピードに日本のレース界は大きく揺さぶられたが、宇都宮ブリッツェンの増田成幸はホセと個人総合成績で争う接戦を繰り広げた。そしてもう一人。当時プロ4シーズン目、25歳でシマノレーシングの若きキャプテンとなった入部正太朗。25歳プロ4年目、シマノレーシングの若きキャプテンは、クリテリウムで力を発揮していた鋭い攻撃力に、ロングエスケープする力をつけて対抗馬として台頭。以降、日本きってのパンチャーとして活躍し続ける入部にプロタゴニスタはフォーカスした。

プロになってから学んだロードレース

入部はトラック中距離の展開力とスピードを買われ2012年にシマノレーシングに入団。
「学生時代ロードレースはよくて完走、最高成績も学生選手権7位という実力。シマノ入団当初は補給をとりにいくことすらうまくできない選手で、プロになってからロードレースを知るという状況でした」と振り返る。
プロ入りからの数シーズンは畑中勇介、鈴木 譲、阿部嵩之ら現在も活躍するトップ選手のアシストとしてレースを学び働いた。

ロードに苦手意識も持ちながらのプロデビューではあったが、初戦のJプロツアー下総クリテリウムではゴール直前の混戦でラインをさばききり鈴木 譲を優勝に導き、自身も5位に入賞。そのセンスと強さは光っていた。緩急のかかるトリッキーな展開では無類の強さを誇り、狭路に直角コーナーが繰り返される宮田クリテリウムでは2度の優勝を遂げている。

「みんなと溝を生みたくない。素直にならなくてはダメだ」

小学4年から中学3年までは野球に夢中だった。高校でも続けたい気持ちがあったが、父が競輪選手向けのフレームビルダーであったこともあり、自転車競技の名門校榛生昇陽へ進学

勝利への執着心が生む確執、そして恩師である父の死

2018年は入部の飛躍の年となった。ツアー・オブ・タイランドでは100kmのロングエスケープを決めUCIレース初優勝、続くツール・ド・熊野の山岳ステージでもかつてクイックステップやラボバンクに所属したマーク・デマールを一騎討ちのゴールスプリントで下し勝利を飾る。当時まだ28歳、入部の高い能力に注目が集まり、日本を背負って立つ存在と誰の目にも映っていた。しかし、彼が牽引してきたシマノレーシング内は揺らいでいた。

「ある日、シーズン序盤のレースでの話から後輩の横山君(航太)に、自分とメンバーとの間にすれ違いがあると告げられました」。自分が勝つための執着が強過ぎて、仲間の気持ちに寄り添っていなかった……。後輩からの勇気ある一言は、自分を俯瞰する機会になった。「みんなと溝を生みたくない。素直にならなくてはダメだ」。ツアー・オブ・ジャパンを前に、自分が変わりたいという気持ちから一人ずつ話す機会を持った。

しかしそれと同時期に、入部の心を動揺させていたもう一つの事態が重くのしかかった。体調を崩し入退院を繰り返していた父が5月3日に他界してしまう。フレームビルダーであり自分が自転車選手であることを一番に喜んでいた父との別れ。病院での最期の時間、口が動くだけで声にはならないが話していた内容は自分のレースのこと。父をみとるという受け入れ難い状況を抱えながらも、レースに向けてペダルを踏むしか道はなかった。

父の死から1カ月後、運命を変えた全日本選手権

2019年6月30日、全日本選手権のスタートラインに入部は立っていた。父の死を乗り越えるため、再び自分へ振り向いてくれたチームメートとの絆をカタチにするため、その心は決まっていた。「勝つしかない……。かつてなく燃え上がった勝利への執着心。違う見方をすれば死ぬほど追い込まれていました」。

レースはスリッピーな悪天候な状況でスタート、いつものように自分を守ってくれるチームメートの背中もこの日はプロの仕事を超えた心を感じたという。「チームメート一人一人が脱落する直前まで自分のために尽くしてくれました」。

227kmのレースも終盤、とうとう入部は単騎で勝負を託される。新城幸也の再三の揺さぶりにエース級の選手が脱落していくなか、入部は必死に耐え抜き新城とのマッチレースを渾身のスプリントで制した。天に向けたガッツポーズ! この日のためにすべてを自分のために準備してくれたスタッフ、監督、チームメート、家族に愛という表現で感謝の念を語った。

ナショナルチャンプとなった入部にはまた、新たな道が導かれた。
それは3大ツールにも出場するUCIワールドツアーチームのNTTプロサイクリングへの入団というビッグニュースだった。その後2020年2月のツール・ド・ランカウイで本格的にシーズンをスタート。片言の英語でコミュニケーションをとりながら渾身の力でレースを牽引、その働きぶりでまずひとつ信頼を得て日本へ帰国した。

狂わされた海外シーズン、訃報とともに失意の帰国

だが、新型コロナウイルスの蔓延がレース界を混乱させ始めた。日本滞在中もプロとして体を仕上げていたが、6月に練習中のミスで落車し左鎖骨、肋骨4箇所骨折、肺挫傷という大ケガに見舞われる。シーズン終盤の8月中旬にヨーロッパに渡るも力不足なうえにケガで走れない状況が続き、さらにはチームが解散するという情報で、先行きは暗転しだした。

「それでもチームが続くことを信じていましたがそうはならず、しかもプロチーム移籍にはすでにタイムリミットに。さらにここで追い打ちをかけたのは母の危篤の一報でした」。イタリアから飛行機に乗るという日に母の訃報を受け取り、失意のまま帰国を迎える。

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PROFILE

管洋介

Bicycle Club / 輪界屈指のナイスガイ

管洋介

アジア、アフリカ、スペインなど多くのレースを走ってきたベテランレーサー。アヴェントゥーラサイクリングの選手兼監督を務める傍ら、インプレやカメラマン、スクールコーチなどもこなす。

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