『群馬・奥利根の名クマ猟師が語る モリさんの狩猟生活』|PICK UP BOOK
PEAKS 編集部
- 2020年10月02日
reviewer 麻生弘毅
1973年生まれ、フリーランスライター。本書に触れ、山賊の親玉のようなモリさんの笑顔と、「譲り」という言葉の美しい響きを、痛切に思い出しました。著書に『マッケンジー彷徨』(枻出版社)がある
クマを撃つ、という所業。そして、人はなぜ生きるのか。
昭和29年、奥利根に生まれ、豊かな山野に育つ。クマを撃ち、山菜やきのこ採りを生業とする師匠から、山で生きる術とその心意気を学び、次世代へと伝える猟師・高柳盛芳さん一代記が本書『モリさんの狩猟生活』だ。
――おめえ、真剣にやれ。いくら鉄砲がよくたって半端な気持ちじゃ、クマは一生獲れねえぞって。俺が教えるんじゃねえんだ、おめえがクマから教わるんだって――
師匠の言葉を胸にクマを追う。残された足跡や糞を分析し、彼らがいま、なにを食べ、どこで寝起するか、その行動を読む。その推測に、体に刻み込まれた尾根や渓、その地形や季節と植生を重ね合わせてゆく。
クマ撃ちとは、そうして培った山の総合力が試されるという。だからこそ、数人で彼らを追いこむ「巻き狩り」や、冬眠穴を狙うのではなく、一対一で野性の駆け引きを味わう単独猟「忍び」を愛している。
――師匠はクマ獲りで食ってたけど、俺は仕事じゃなく趣味の狩猟を選んだ。そう決めた以上は、自分なりの美学っていうものにこだわりたいんだよ――
本書の見所のひとつが、クマ研究者である山崎晃司さんとの対談。40年にわたる猟師の経験則と研究者の理論がぴたりと重なるさまは痛快だが、生息数や駆除など、クマをめぐる状況の話になると、棒っ切れを投げるような語り口に、「山親爺」と呼び敬愛するクマへの感情があふれ出す――。
師匠は稲作の叶わない山村の出身で、クマを撃ち、ゼンマイを採り、炭を焼く、脈々とつづく山暮らしの末裔であった。子どもに米を食わせるため、学校に通わすために、金よりも貴重だった「クマの胆」を換金し、その肉を食うために、クマを撃った。血気盛んな青年時代にそうした師匠に出会い、クマを仕留めてこそ一人前であり、男の勲章だという気風のなかで腕を磨いてきた。しかし、モリさんのクマ撃ちは趣味であり、生きる術ではない。ならばなぜ、愛するクマを撃つのか。
以前、お目にかかったモリさんに、こんな話をうかがった。「山に入るときは、必ずきれいな下着を穿いていくんだわ」化学繊維も携帯電話もなく、いまよりはるかに性能の劣る銃でクマと渡り合った先人の猟は、つねに死と隣り合わせだった。
その精神力、生き様には学ぶべきところがある。そして、俺たちはそんな狩猟文化の継承者なんだ、と。そうして、山行きでは必ず持つという剣鉈を見せてくれた。それは祖父から父へ、そうしてモリさんへと受け継がれたひと振りだという。
「だから俺も、これはと見こんだ若い衆には、手元にあるいちばんいい刃物を渡し、クマ穴もマイタケの木も全部教える。それが俺たちの”譲り”なんだわ」
わたしたちはクマを撃たずに暮らしてゆける。だからこそ無限にある欲望のなかから、ひとつの石を見つけ出さんとあがいている。金や名声、未踏峰を目指そうとも、個人の希求という点において、そこに本質的な差はない。人は、生きるために生きている。
群馬・奥利根の名クマ猟師が語るモリさんの狩猟生活
- 高柳盛芳語り
- かくまつとむ文
- ¥1,600
- 山と溪谷社
本書は、ここに紹介した「クマ撃ち」だけでなく、刃物や山菜・きのこ採り、イワナ釣りなど、四季を通じたモリさんの野遊びに触れている。筆者・かくまつとむさんには『モリさんの野遊び作法』(小学館)という著書もあり、こちらもおすすめ。
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- BRAND :
- PEAKS
- CREDIT :
- 文◉麻生弘毅 Text by Koki Aso
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PROFILE
PEAKS 編集部
装備を揃え、知識を貪り、実体験し、自分を高める。山にハマる若者や、熟年層に注目のギアやウエアも取り上げ、山との出会いによろこびを感じてもらうためのメディア。
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