BRAND

  • FUNQ
  • ランドネ
  • PEAKS
  • フィールドライフ
  • SALT WORLD
  • EVEN
  • Bicycle Club
  • RUNNING style
  • FUNQ NALU
  • BLADES(ブレード)
  • flick!
  • じゆけんTV
  • buono
  • eBikeLife
  • Kyoto in Tokyo

STORE

MEMBER

  • EVEN BOX
  • PEAKS BOX
  • Mt.ランドネ

筆とまなざし#225「“深海岩”の”クラーケン”に注いだ、2時間の情熱」

一生登れないかもしれない。いや、きっと登ってみせる。すばらしく美しい日の夕刻にトライする、幸せな時間

体のコンディションを万全に整えて臨んだものの、4月になると気温が高くなってしまい、おまけに数日前に降った雨が湿度を高めて話にならないという日が続きました。日に日に高くなる気温と湿度。このシーズンを逃したら……このルートは一生登れないかもしれない。時々そう思わずにはいられませんでした。気持ちを張り詰めながら体のコンディションを保ち続けることはとても苦しいものです。それでも、土日と連続で登った週末、2日目に最高到達点をマークしたのは大きな収穫でした。疲れていてもチャンスをつかむことができるかもしれない。そして、午後になると日陰になりコンディションが良くなることがわかりました。

25日の日曜日。薄暗くなりかけた最後のトライで初めて核心を突破することができました。けれども、次のムーブも繊細で、以前から核心を越えても落ちる可能性があるなと思っていた箇所で痛恨のフォール。核心が突破できた喜びと決めきれなかった悔しさを感じながら帰宅した。

翌日は月曜日でしたが、この日はたまたま妻の仕事が早く終わり、16時には岩場に来られるというので、日没までの2時間ちょっとにかけることにしました。数日後から雨予報が続き、GWは山に行く約束なのでしばらく間が空いてしまう。体のコンディションと岩のコンディションが悪くなるのは目に見えていました。

その日はすばらしく美しい1日でした。澄んだ青空が広がり、新緑の木の葉が輝いていました。朝から気温が下がり、風が心地良く吹き抜けていきます。昼すぎに家を出て、岩場を散策しながらウォーミングアップ。ルートの下で横になって休んでいると、岩と木々の間から見える空がとても高く感じられました。こんな日に、夕方に少しだけでもクライミングを楽しめる。なんて幸せなんだろう。一生登れないかもしれない。いや、十年かかろうと二十年かかろうと、きっと登ってみせる。そう思いました。

しばらくすると妻が到着。アップをすませると17時のチャイムが遥か下の町から聞こえてきました。この日は乾燥しているはずが、さっきまで吹いていた風は止み、湿度が高くなってきてしまいました。指先に感じる僅かな湿気。けれど、残された時間はありません。

1便目は、あと一手で核心を越える、というところで左手が滑ってフォール。その瞬間、荒い結晶が右手薬指の腹を引き裂きました。今日はもうまともなトライはできないかと不安が頭をよぎりましたが、幸い血はすぐに止まり、テーピングを巻くとそれほど支障ななさそうでした。けれども、昨日の疲れが大きくて1便出したところでクタクタになってしまいました。

少し休んで18時すぎ。辺りが薄暗くなってきました。疲れは取れていないけれど、これ以上待っても体も回復しないし湿度も低くはなりそうにありません。最後に一回。液体チョークで指先を冷やして登り始めました。

疲れと湿度を感じ、一手目から感触は良くありませんでした。核心に入ったところで、いままで一度も切れたことのない左足のヒールフックが外れ、体が振られるのを両手で挟み込んで耐えました。この瞬間に「パチン!」とスイッチが切り替わったのがわかりました。右手は滑っていたもののなんとか耐えて左手のフィンガージャム。次のムーブに繫げるにはこの左手が重要でした。いつもは滑っていた左手が、このときは意外にも良い感触でした。「よし!いけるかもしれない!」。右足を米粒ほどのフットホールドに正確に乗せ、右手を2回デッドポイントで飛ばすと、核心の終わりを告げるホールドを捉えました。ここで落ちると岩に激突します。慎重に左足をスメアリングしてクリップ。1回ずつ手をシェイク。ここからが、昨日落ちたポイントです。このチャンスは絶対ものにしたい。慎重に指先をフットホールドにセット。右手に引きつけられる力が残っているか……。遠い左手に手を伸ばすと、かろうじて人差し指と中指の第一関節の半分がホールドを捉えました。まだ落ちていない。右足をあげ、右手をポケットにボトミング。気持ちの昂りからか足が正確さを欠いています。落ち着けと言い聞かせるものの、ここまで繋げてくると手もヨレ始め、おまけに指先も悴んで感覚がなくなってきました。落ち着いていけば落ちるところではない。レストをして指先を温め、甘いカンテをたどると終了点の横のガバを掴みました。そして三角形に尖った岩塔の上にマントルをして立ち上がりました。

この岩は深海岩と名付けていました。谷にひっそりと佇む姿が、海の底に鎮座するようだったからです。ルート名は「Kraken(クラーケン)」。北欧の伝説に登場する、巨大なイカやタコの怪物です。グレードは5.13+くらいだと思うのですが、よくわかりません。ボルダーの強い若者たちならすぐに登ってしまうでしょうし、いまどき特筆すべきグレードでもありません。けれども、ラインと内容は自信を持ってすばらしいと言いきれます。そして、このルートに注いだ情熱は、自分の人生のなかでとても大きなものでした。それは、既存ルートではなく自分で見つけたラインだったからなのはいうまでもありません。たかだか10mちょっとの岩。ほかの人なら見向きもしないかもしれません。その小さな岩に、自分の生活をかけ、苦しみ、もがき、喜び、満たされる……フリークライミングとは、なんてすばらしい行為なんだろう。どれだけ濃厚なものを感じられるかは、そこに注いだ情熱に比例するのでしょう。

後日、ふたたびこのルートの取り付きに行きました。その岩の基部に置いた「非公開プロジェクト」と書いた木片を裏返し「Kraken 5.13+」と書き記しました。三角形の岩の形が巨大なイカを連想させました。数日前までは恨めしかった瑞々しい新緑が、鮮やかに輝いて見えました。

SHARE

PROFILE

成瀬洋平

PEAKS / ライター・絵描き

成瀬洋平

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

成瀬洋平の記事一覧

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

成瀬洋平の記事一覧

No more pages to load