中央アルプス主脈、夏追い縦走の旅|千畳敷発の空木岳。恋する男のリベンジマッチ。
ユーコンカワイ
- 2021年07月07日
山は思い通りにいかないからこそおもしろい。そう、それはまるで恋の駆け引きと同じように。これはアルプスの夏に全力で恋をし、勢い余ってそのまま「時をかける中年」となってしまった男の魂の物語である。
文◉ユーコンカワイ Text by Yukon Kawai
写真◉宇佐美博之 Photo by Hiroyuki Usami
取材期間:2019年9月9日~10日、10月21日~22日
出典◉PEAKS 2020年6月号 No.127
指すは遥か彼方の空木岳。
アルプスの夏。美しく、そしてひたすら楽しいその世界は、登山者の心にある種「初恋」にも似た甘酸っぱい記憶を刻み付ける。ひとたびその甘美な時間を味わってしまった者は、以後そのときの情景を思い出すたびに胸がキュンッとなり、梅雨明けとともに「またあの燃えるような恋がしたい……」と悶え始めるのである。そして梅雨明けからの短い夏の期間、登山者たちはアルプスの各地で「夏山登山、下から見るか? 横から見るか? そりゃもちろん稜線からでしょ!」とばかりに、パッと光って咲いた花火のようにひと夏の恋を謳歌するのである。
そんな素敵な夏が終わろうとしていた去年9月。中央アルプスの玄関口、菅の台の駐車場で、とあるひとりの「夏に出遅れた男」の姿が確認された。彼はその年、多忙のあまり大好きな夏に一度もアルプスに行くことができず、ようやく行けると思ったらすでに季節は秋の入り口だったという悲しい男。疲労の色濃く車内で寝ていた彼は、突然「待ってくれ夏! 俺はまだ君のことが諦められないんだ!」とガバッと目覚めたかと思うと、「ふう、夢か……」と呟き、そのまま駒ヶ岳ロープウェイに乗り込んでいったのである。そう、これはそんな重度の夏煩い患者が、去りゆく夏を追いかけて中央アルプスを彷徨った恋の物語。きっとまだ終わらない夏がある。秋間近の山で「小さい夏」を見つける男の旅が、いま始まったのである。
SEASON.1 去りゆく夏を追いかけて。
男が選んだ舞台は「中央アルプス」。北アルプスや南アルプスに比べたら地味めな印象で、関東の人からしたらなにげに八ヶ岳のほうがメジャーだったりする。ビートルズで例えるなら派手な北アは「ポール」、硬派な南アは「ジョン」、明るく親しみやすい八ヶ岳は「リンゴ」といった印象で、中央アルプスは「あれ? もうひとりだれだっけ?」というジョージ・ハリスン的な存在なのである。しかしじつはジョージにも数々の名曲があるように、中アにだって多くの名峰が連なっている。
そこでの彼の計画は、初日を木曽駒ヶ岳山頂直下のテント場ですごし、2日目に宝剣岳を越えて遥か遠方の空木岳を目指し、駒峰ヒュッテに宿泊後、3日目に下山するというもの。2日目がかなりハードでロングな稜線歩きだが、一発で夏を取り戻すにはそのくらいアツい恋が必要なのである。
千畳敷駅に降り立った出遅れ男。目を細めて見上げた先には宝剣岳の雄々しい姿。夏がひしめくあの稜線上に行くには、まず乗越浄土までの急登を登らねばならない。運動不足の体に鞭を入れ、ブヒブヒ言いながらハイクアップ。しんどい区間だが、これを乗り越えた先に夏の絶景が待っている。やがて乗越浄土に到着すると、そこには夏の大絶景が……まったく広がっておらず、ガスガスの真っ白い世界だけが展開。ようやく浄土に着いて憧れの夏目雅子に会えると思ったら、そこには夏目漱石がいた的ながっかりさ。しかしお預けを食らうほどに恋は燃えるというもの。このあたりの恋の駆け引きを楽しめてこそ大人。最初から大快晴&大絶景でキャッキャしてたら青臭い10代のガキのデートと変わらない。慌てるな。明日からはたっぷり大人の稜線デートが待っている。そう男は呟くと、その足で駒ヶ岳頂上山荘のキャンプ地へ向かってテントを張った。そして、その場にテーブルクロスを敷き、おもむろにワインやらチーズやら生野菜やらの豪華食材を並べ始めたのである。このような一見やりすぎにも思えるひとりオン・ザ・リッジ・パーティーができるのも、ロープウェイでラクに荷物を持って来られるからだ。男はワイン片手にカナッペを食いながら、チャールズ・ブロンソンのような表情で「ううむ。ボーノ」とつぶやき、翌日の夏とのデートに向けて満足げに就寝した。
その見事な大人の男っぷりに感動したのか、去りゆく夏が少しだけ振り向いた。男が夜中に目覚めてテントから出ると、そこには満天の星空が広がっていたのである。しばし無言で見つめ合う夏と男。大人の恋に言葉は必要ない。やがて男はテントの中に戻ると、「夏のヤツめ……俺を誘っていやがる」と不敵な笑みを浮かべながら再び深い眠りについたのである。
美しいのは星空なんかじゃない。君と見つめ合うこの時間がシャイニングなのだ。
早朝、まだ薄暗い木曽駒ヶ岳の山頂に彼は立っていた。やがて夜の帳が徐々に上がり始め、雲海が柔らかな光に染まり出し、静寂を上塗りするように男の脳内にベートーヴェンの「歓喜の歌」がフェードイン。最高の朝が決まった瞬間だ。いったい今日はどんな素敵な時間を楽しめてしまうのか? ……そう男が浮かれてしまった瞬間、山腹から突然モクモクさんが大発生。カーテンを閉めるようにご来光が白いガスに飲み込まれ、先ほどまで優雅に流れていた歓喜の歌は一気に「運命」へと転調。あっという間に周囲は白い世界に包まれ、またひとつ男の前から夏が遠ざかってしまった。夏の恋心は気まぐれなのである。
一度身を引いてみるのだって、立派な恋の駆け引きである。
それでも夏を諦めきれない男は、一瞬の晴れ間を待ってから宝剣岳へと取りついた。宝剣岳は険しい岩の山で一般登山者には難しいルート。しかし、そのような試練を乗り越えた者にのみ、夏は山頂で最高の絶景を用意しているはずだ。そう信じて山頂に駆け上った男に待っていたのは、もちろん絶景ではなく「うん、やっぱりね」という白い絶望だった。しかし駆け引き上手な夏は男の気を引くために、ここで見事な恋愛テクニックを披露してきた。絶望の前で悲しみにくれる男に対し、ほんの少しだけ下界の景色が見える「チラ見せスポット」を用意してきたのである。それを見て、「ちくしょう、ある意味全開の絶景よりも奥ゆかしいぜ……」と、これはこれで興奮する男。銀座の売れっ子ホステスが使いそうなその手法にすっかり踊らされ、彼はその勢いのまま宝剣岳を突破。さらなる夏を追いかけ、ついに空木岳への稜線の起点、極楽平へと足を踏み入れたのである。だがやはりそこも極楽とはほど遠いガス祭り会場となっていた。翌日の天気予報も悪化の一途をたどっており、男はやむなくこの地点で「無理に追いかけないのが大人の恋だぜ……」と無念の撤退を決めたのだ。男は唇を噛みしめ、後ろ髪を引かれる思いで夏に背を向けて下山していった。
しかし、恋というものは追いつかないほどに加速し、去って行かれるほどに追う者は盲目になっていく。むしろ、彼の夏への想いは、よりいっそう高まっていったのだ。男は「夏よ。近いうちに必ずお前を抱きしめに俺は戻ってくる。I’ll be back」と吐き捨て、親指を立てながらロープウェイで下界に消えて行ったのである。
SEASON.2 夏の終わりのハーモニー。恋の行方は思わぬ結果に。
とはいえ再訪の都合がなかなかつかないのがリアルな大人の事情。結局その男が次に中央アルプスに来られたのは「10月下旬」だったというまさか。もはや夏の残像すら残ってない可能性はあったが、それでも男は夏山への恋心を捨てきれない。お預けを食らい続けた中年の一途な恋ほどいろいろこじれて厄介なものはないのである。だがその執念が実ったのか、極楽平からの稜線はガスもなく見事に突き抜けていた。山肌からはすっかり緑が消えて秋山になっていたが、それでも男は「ナイス夏山!」と叫んで無理やり自分を納得させる。ここからは北アや南アにも遜色ない、人も少なく静かな「夏山稜線歩き」が始まるのだ。
しかしこの稜線、地図に「アップダウンが多く非常に厳しいコース」と書いてある通り、デートコースとしてはいささかサディスティックな内容。がんばって登って夏に追いつきそうになっても、再び鞍部に突き落とされてはまた登るの繰り返し。妖怪ニセサンチョウ(山頂に擬態したただの丘)も大量に出現して男の精神をえぐってくる。日頃の運動不足もたたり、ヘコヘコになって何度もノックダウン。「くっ、俺はもう夏に追いつくことはできないのか……」とうなだれる男に、さらに追い討ちのようにガス祭り&強風パレードが襲い掛かってきたのである。体力と荒天、そして冷静と情熱の間で悩む男。結局、彼は泣く泣く空木岳への登頂を断念し、檜尾岳からの下山を決意。またしても夏に見放された男は、そのまま檜尾避難小屋へと文字通り避難した。こうして夏の……というか秋のジョージ・ハリスン上に、男の「Gently Weeps(すすり泣き)」が鳴り響いたのである。
諦めたから見える景色がある。山には勝利も敗北もないのだ。
だが、ここでの決断が結果的に吉をもたらすこととなった。まずその日は夕方から土砂降りとなり、あのまま無理に行動していたら厳しい状況に追い込まれていたという事実。そして翌朝、小屋の外に出た彼に待っていたのは「目を疑うような超絶大雲海」と、そこに浮かぶ「初冠雪の空木岳」、背後を振り返れば山頂冠雪・山腹紅葉・麓の緑樹が一堂に介する「まさかの三段紅葉木曽駒ヶ岳」の超絶景。撤退したからこそ味わえた奇跡だ。というか「冠雪」とか「紅葉」とか言っている時点でもはや1ミリも夏ではないが、もはやそんなことはどうでもいい。ある意味、この男は夏を追いかけ、秋から冬に至るまでの「中央アルプス~季節縦走の旅~」を歩き通したのだ。季節を股にかけて絶景を楽しむ。それもひとつの山旅の形。山は自由。そこには勝者も敗者もない。その人に合った技量や体力、そしてそのときの天候状況で臨機応変に楽しむのが大人の登山だ。計画通りにことが進まなくても、山にいるだけでそのすべてが宝物。無理は下策、楽しむが上策。ロープウェイがある中央アルプスは、そこを起点に各山のピークハント、稜線歩き、岩場登り、高山植物観賞など、その人のスタイルに合った楽しみ方ができるバリエーション豊富な山域なのである。
男は満足げに「やっぱり俺はお前に恋してるぜ」と呟き、そして「また来るぜ! アバヨ!」とカッコよく叫んだかと思うと、そのままヘコヘコの足取りで檜尾尾根から下山していった。きっと彼はまた戻ってくるだろう。そう、次こそ本当の夏を追いかけて。
>>>ルートガイドの詳細はこちらから
ユーコンカワイ
ピークハントにはまったくこだわりがないロマンハンター。「山の楽しみ方は人それぞれ」をモットーに、さまざまな視点から自由な山旅スタイルを発信している普通のおじさん。
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文◉ユーコンカワイ Text by Yukon Kawai
写真◉宇佐美博之 Photo by Hiroyuki Usami
取材期間:2019年9月9日~10日、10月21日~22日
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PROFILE
PEAKS / ライター・イラストレーター
ユーコンカワイ
旅とロマンを愛するフリーランスライター&イラストレーター&遊び人。最近では岐阜県山県市で地域おこし活動をしつつ、本質的な遊び方や生き方を模索している。個人ブログ「股旅ベース」で様々な情報を発信中。http://yukonkawai.com/
旅とロマンを愛するフリーランスライター&イラストレーター&遊び人。最近では岐阜県山県市で地域おこし活動をしつつ、本質的な遊び方や生き方を模索している。個人ブログ「股旅ベース」で様々な情報を発信中。http://yukonkawai.com/