筆とまなざし#255「『ROKKONOMAD』滞在記。この地のクライミング、登山文化に触れる」
成瀬洋平
- 2021年12月08日
「ワーク・イン・レジデンス」プログラム2週間目。芦屋ロックガーデンの散策へ。
六甲山にあるシェアオフィス『ROKKONOMAD』に滞在して1週間が経ちました。標高780mの山上にあり、麓が晴れていても山上は雪がちらついていたりと、天候はまさに山岳地帯。今日は冷たい雨が降っています。
神戸という大都市から車でおよそ30分足らず。急なぐねぐね道を上ると、平坦な六甲山町という小さな町に着きます。『ROKKONOMAD』はさらに入り組んだ細い路地を進んだ先にあり、大阪湾と神戸から大阪の街並みが一望できる場所にありました。
今回、この施設の「ワーク・イン・レジデンス」というプログラムに参加し、六甲に2週間滞在する機会を得ました。絵の制作とクライミングスクールという、自分の活動のふたつの柱を『ROKKONOMAD』を拠点に行なってみようというわけです。そして、この地のクライミングや登山文化に触れることも今回の滞在の大きな関心事で、その見聞をもとに制作やスクールを行ないたいと思っています。
六甲山は日本で最初に「ロッククライミング」が行なわれた場所と言われ、あちこちに花崗岩の露岩が点在しています。明治末期、神戸在住のイギリス人たちは、冬の六甲山で雪山登山や岩登りを楽しみ、やがて彼らと交流しながら倣う日本人も現れるようになりました。そのような登山文化のある神戸へ、朝日新聞神戸支局の記者として藤木九三が赴任したのは大正8年頃。それまでにも国内各地で登山を行なっていた藤木は、大正13年に仲間とともにロッククライミングを主目的とした社会人山岳団体「R C C(ロック・クライミング・クラブ)」を設立。芦屋市の北に位置する岩場を「ロック・ガーデン」と名づけ、岩登りのトレーニング場としました。
芦屋ロックガーデンの入り口に藤木のレリーフがあるというので、まずはその場所を訪ねることにしました。阪急芦屋川駅から山手へ向かって急な車道を登って行きます。右を見ても左を見ても、外車ばかりが並ぶ高級住宅ばかり。大正時代、ここでハイキングやクライミングを楽しんでいた人々も上流階級の人々だったのでしょう。ベンツとハイカーというギャップも六甲ならではだなと、カルチャーショックを受けずにはいられません。やがて住宅地が終わると急に森になり、庶民的なお茶屋のあるロックガーデンの入り口にたどり着きました。藤木九三のレリーフは、高座ノ滝の袂の岩壁に、岩と苔とに溶け込むように埋め込まれていました。
日曜日ということもあり、ロックガーデンは多くのハイカーで賑わっていました。国内で、大都市とアウトドアフィールドがこんなにも近い場所はほかに思い当たりません。そしてこんなにも市民が日常的にハイキングを楽しむ場所はなかなかないのではなでしょうか。独特の山岳文化が色濃く根付いている六甲。次々と急坂を登るハイカーのなかで藤木九三を知る人がどれだけいるのかはわかりません。けれども、藤木のレリーフは登山者を見守るように静かに佇んでいました。
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