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長谷川恒男 【山岳スーパースター列伝】#12

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2013年5月号 No.42

 

山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
1970年代に日本の登山家ここにありを世界に轟かせた天才クライマーが登場。

 

長谷川恒男である。

登山雑誌でさえも長谷川恒夫と誤記していることがよくあるが、男であるので間違えないように。これだけ有名な登山家であるのに、どういうわけか漢字を間違えられることが多い人物で、かくいう自分もいつも0.5秒くらい迷う。

試しにグーグルで検索してみた。結果、長谷川恒男31,800件。対して長谷川恒夫42,400件! なぜ夫になってしまうのかはわからない。昔、巨人に堀内恒夫という有名なピッチャーがいたのでそれにつられているような気がする。

通称はハセツネ。最近山を始めた人にはこちらのほうが通りがいいかもしれない。トレイルランニング国内最高峰の大会として知られた「ハセツネCUP(日本山岳耐久レース)」は、この人を記念して始まった。「長谷川恒男のように強い登山家、出でよ!」というわけだ。

だからこのレースはそもそも山ヤさんの大会だった。始まったのが1993年。当時の参加者はハイカットのトレッキングブーツを履いて30~40リットルのバックパックを背負って、人によってはツエルトやコンロやラーメンまで持って出走(というより出歩?)していたという。

さて、いまから30年以上前、長谷川恒男は日本の登山界でまさにスーパースターというイメージにふさわしい活躍をしていた。

国内だけではない。世界の登山界で個人名が知られるようになった日本人は、エベレスト女性初登頂を果たした田部井淳子をのぞけば、たぶん長谷川恒男が最初なんじゃないかと思う。それまでにも世界的な業績をあげた日本人はいたけれど、「○○登山隊」とか「××山岳会」として知られただけで、個人の存在が前面に出てくることはなかった。

1947年生まれの長谷川恒男の全盛期は1970年代後半。もっとも有名な業績は「ヨーロッパアルプス三大北壁冬期単独登攀」。アイガー、マッターホルン、グランドジョラスの北壁を「冬に」「ソロで」「3つ全部」登ったというもの。登山の本場ヨーロッパでは、この三大北壁は絶対的な価値と存在感を誇っている。

これらは、うちひとつを登っただけでもいっぱしのクライマーとして認められる岩壁なのだが、より条件の厳しい冬に、しかもひとりで、3つ全部登ってしまったのは長谷川恒男が初めてだった。

「冬にひとりで」というのは、ヨーロッパ登山界のカリスマ、ワルテル・ボナッティがすでに達成していたが、それはマッターホルンのみ。ツネオ・ハセガワの名が、ヨーロッパの登山界にどれだけの衝撃を与えたのか、想像できるというものだ。

その一方で、クセの強い人物だったこともよく語られている。もっとも有名なのは「第二登おめでとう」というやつ。谷川岳の一ノ倉沢滝沢第二スラブというルートが冬期未踏だったころ、先行していたパーティを途中で追い抜いて長谷川は初登攀を果たすのだが、登山終了後、そのパーティに先の言葉をかけたのだという。言われたほうからするとそりゃあムッとするでしょうよ。そこまでして自分の初登攀を誇示したいのかよ……と。

その後、長谷川は、1980年代にはヒマラヤ8,000m峰に足繁く通うがなぜか失敗が続き、1991年にカラコルムのウルタルⅡ峰という山で遭難死している。

私自身は、彼がもっとも輝いていた時代を知らない世代だ。でも、登山雑誌に「長谷川モデル」のピッケルの広告が載っていたことは覚えている。これがシビれるような逸品なのですよ。愛知の名工・二村に特注した日本刀のような鍛造ヘッドに短めのウッドシャフト。これを腰に下げて山に登っている自分を想像すると――ウヒョー、カッコええ!

1本5万円以上していたからもちろん買えなかったけどね……。出物があればいまでも欲しいと思っているのです。

 

長谷川恒男
Hasegawa Tsuneo
1947年~1991年。神奈川県出身の登山家。1973年にエベレスト登山隊に参加。1977年から79年にかけて、ヨーロッパ三大北壁冬期単独登攀を成し遂げ、世界にその名を知られるようになる。1970年代から山岳ガイドを職業としており、日本の山岳ガイドの草分け的存在でもある。1991年にパキスタンのウルタルⅡ峰で遭難死。

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PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

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