BRAND

  • FUNQ
  • ランドネ
  • PEAKS
  • フィールドライフ
  • SALT WORLD
  • EVEN
  • Bicycle Club
  • RUNNING style
  • FUNQ NALU
  • BLADES(ブレード)
  • flick!
  • じゆけんTV
  • buono
  • eBikeLife
  • HATSUDO
  • Kyoto in Tokyo

STORE

MEMBER

  • EVEN BOX
  • PEAKS BOX
  • Mt.ランドネ
  • Bicycle Club BOX

トモ・チェセン 【山岳スーパースター列伝】#09

文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2013年12月号 No.49

 

山登りの世界を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
この人でいいのかなあ……と思いつつ取り上げる。謎の男、トモ・チェセン。

 

トモ・チェセン

この人をスーパースターといっていいのかどうかわからない。

しかし、ある世代のアルパインクライマーには人生を変えるほどの強烈な影響を与えた人物であり、取り上げる意味はあるかと思う。ここ数十年のヒマラヤ登山界最大の問題児、トモ・チェセンだ。

2013年10月、当時最強のアルパインクライマー、スイスのウーリー・ステックがすさまじいクライミングを成し遂げた。アンナプルナ南壁の28時間単独登攀。ヒマラヤ8,000m峰のなかでも難課題とされるこの壁をたったひとりで、ほとんどワンデイで登ってしまったのである。

それをしのぐようなクライミングを四半世紀も前に行なった(という)人物がいる。それがスロベニアのクライマー、チェセンである。

1989年、彼は標高差3,000mにおよぶヒマラヤ屈指の岩壁、ジャヌー(7,710m)北壁をひとりで登った。所要時間は40時間あまり。これだけでもうステックのアンナプルナ南壁級の偉業だが、その翌年、かのラインホルト・メスナーが「21世紀の課題」と呼んだローツェ(8,516m)南壁まで同じように登ってしまう。「怪物が現れた」と、ヒマラヤ登山界は騒然となった。

1980年代末のヒマラヤ登山は、メスナーが起こした無酸素登頂や単独登攀のブームが一段落し、目標を失って閉塞状況に陥っていた。そこに「高難度」と「スピード」という要素を付け加えて新しい方向性を身をもって示したチェセンに、クライマーたちは熱狂した。

当時、私は山登りを始めたばかりの小僧だったが、山岳雑誌に載った記事を、感動のあまり涙を流しながら読んだ覚えがある。

私だけではない。日本を代表するソロクライマー山野井泰史もそのひとりだ。「チェセンのような登山がしたい」とよく言っていたし、実際、その後の彼の登山スタイルはトモ・チェセンそのものだ。チェセンは一躍、世界のクライミング界のヒーローとなった。

しかし。

ある告発をきっかけにチェセンの運命は急転直下する。ローツェの登山報告に使われた写真が、別の登山家が撮影したものの盗用だったことが発覚したのである。

そういわれてあらためて記録を精査してみると、登山中の心情的な記述が中心で、現場の具体的な描写が少ない。「これは登ってないんじゃないのか?」という疑惑がもちあがった。

それに対してチェセンはあいまいな釈明をしただけで、以後、ぷっつりとヒマラヤ登山をやめ、母国に引きこもってしまった。

これでは、ソウルオリンピック100m走を驚異的な世界記録で制し、直後のドーピング発覚で金メダルを剥奪されたベン・ジョンソンのようではないか――。

次代を切り拓くスターから汚れた英雄に堕ちてしまったのである。

でも決定的な証拠がないだけに、いまでもチェセンを信じたいという人も少なくない。私もそのひとりだ。

あるとき、スロベニア出身の山岳ガイド、ツベート・ポドロガルにチェセンについて聞いたことがある。「ああ、チェセンね……」と複雑な表情を浮かべながら、こんなふうに語ってくれた。

「彼が言うことが本当なのかウソなのかは僕にはわからないけど、彼なら本当に登ったとしても不思議ではない」

人物としてはかなりの変わり者で、母国でも異端視されているそうだが、そのクライミング技術に他を圧倒するものがあるのは事実ということだった。

ヒマラヤをやめたチェセンはその後、スロベニアのスポーツクライミングナショナルチームのコーチに就任した。現在、スロベニアは日本やオーストリアと並ぶスポーツクライミング強国のひとつにまでなった。

そしてもうひとつ。

ローツェ当時の雑誌記事で、チェセンに肩車されて笑っていた小さな男の子。その子はいま、再びČesenの名を世界のクライミング雑誌に載せるほどの強力なクライマーに成長している。

 

ステックのこの登攀も、近年、その信憑性が疑問視されている。なお、ステックは2017年にエベレストで滑落死している。

 

トモ・チェセン
Tomo Česen
1959年スロベニア生まれ。1986年に、ヨーロッパアルプス三大北壁の冬期単独継続登攀を成功させてその名を知られるようになる。その年にはK2(8,611m)の新ルートも単独で開拓。著書に『SOLO』(邦訳『孤独の山』)がある。

SHARE

PROFILE

森山憲一

PEAKS / 山岳ライター

森山憲一

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com

森山憲一の記事一覧

No more pages to load