<日本の岩登り黎明期の天才児> 南 博人 【山岳スーパースター列伝】#40
森山憲一
- 2022年10月11日
文◉森山憲一 Text by Kenichi Moriyama
イラスト◉綿谷 寛 Illustration by Hiroshi Watatani
出典◉PEAKS 2017年5月号 No.90
山登りの歴史を形作ってきた人物を紹介するこのコーナー。
谷川岳と穂高屏風岩。日本を代表するふたつの岩場最大の英雄はこの人といっていいだろう。
南 博人
2016年6月、日本の登山史に燦然と輝く巨星が85年近くにおよぶ生涯を終えた。日本でもっとも有名な岩壁といってもいい谷川岳衝立岩を初登攀し、穂高屏風岩の初登攀も実質的にこの人だといっていい。
日本の岩登りをまさに開拓した人物。名前を南博人という。
突然だが、PEAKSはこの歴史的人物の再評価に重大な貢献をしている。2010年10月号、現在も続いているインタビュー連載「Because it is there…」で南をとりあげたのである。
南は日本の登山史を語るうえで欠かせない人物だが、登山の第一線を退いたのちは、登山メディアに登場する機会は少なく、彼の現役時代を知らない私のような世代にとっては、いってみれば謎の男になっていた。
その2010年10月号、長い白髪とあごひげをなびかせたインパクト十分な南の姿を、これまた迫力十分なシルエットでとらえた柏倉陽介撮影の写真を覚えている読者もいるかもしれない。5ページにわたったこのインタビューは、登山雑誌としては本当に久しぶりに、南が自身について語った記事となった。
文句のない実績をもっていながら、どこか登山界の外にいたような南に、再び大きなスポットを当てたのが、創刊1年半ほどの新参雑誌だったPEAKSというのも興味深い事実だ。
南は亡くなる1年前にもPEAKSに登場している。フリークライミング黎明期の金字塔となる登攀を谷川岳で成し遂げ、その後、ふっつりとメディアから姿を消した、これまた幻のクライマー・池田功と谷川岳を訪ね、対談をしている。谷川岳の登山史を知る人にとってはテンションMAXにならざるを得ない驚きのキャスティング。
おそらく、南の本格的なメディア登場はこれが最後。結果的にだが、PEAKSは、登山史の巨人の最後の花道に最高の舞台を用意したともいえるのだ。
さて、この南博人という人物は、私が岩登りを始めるきっかけを作ったという重大な貢献もしている。谷川岳の開拓史を描いた『谷川岳』(瓜生卓造著/中公新書)という本を学生時代に読んだ私は、そこに描かれた谷川岳の岩場の妖しい魅力と、初登攀に文字通り命をかける当時の若者の熱さにすっかりアテられてしまった。
衝立岩の初登攀は本書のクライマックスを飾るシーンであり、その主役が南博人だったのである。4日間にわたる格闘の末に、衝立岩をついに登りきった南は、頂上で血のツバを吐く。その描写が登攀の壮絶さを見事に表していて、私の記憶に深く刻まれた。
有名な岩場の初登攀が新聞記事にもなったというこの時代。だれもが名を上げようと目を血走らせていた時代。南はそのトップランナーでありながら、それらとは一線を画す ”粋” を兼ね備えていた人物だった。
強引な手法でオーバーハングを乗り越していくことも辞さずという時代である。一方で南のルートは、動物的なカンで難所をひらりひらりとかわしていく、ルートファインディングの妙が光った。
きわめつけは穂高屏風岩雲稜ルートの初登攀。最後の難所に風鈴をぶら下げていったという。「風鈴の音が夏の岩壁に響きわたるのもオツなものでしょ」という南の言葉が伝わる。
私は幸いなことに、生前の南に一度だけ会うことができた。池田との対談でPEAKSに登場したころ、別件で写真を借りに自宅におじゃましたのである。 谷川岳の、いや、日本登山史の、いやいや、私のヒーローは、特徴的な白髪とあごひげをたたえ、ニコニコとした笑顔で私を迎えてくれた。
「ああ、血のツバねえ、確かに血が混じってました。僕は扁桃腺が弱くて、無理をすると血が出ちゃうんですよ」
えっ、血のツバは扁桃腺のせい――!?
鉄の時代を生き抜いた鉄の男は、拍子抜けするくらいに肩の力が抜けた軽やかな人物であった。メディアにあまり登場しなかったのも、こだわりがあったわけではない。
「いやあ~、こうして昔の写真をわざわざ借りに来てくれるなんてうれしいねえ」
岩登りの天才的な才能をもちながら、その価値を実態以上にひけらかすことはなく、むしろ、わかっていなかった節すらある。
84歳の野生児・南博人。彼は晩節を汚すことなく、ヒーローのまま去っていった。カッコいいとは、こういう人のことをいうのだ。
南 博人
Minami Hiroto
1931~2016年。北海道出身の登山家。1959年に、それまで登攀不可能視されていた穂高屏風岩東壁と谷川岳一ノ倉沢衝立岩を初登攀。1960年代にかけて、多くの岩場で伝説的なルートを拓く。東京・渋谷のアウトドアショップ「FUNCTION JUNCTION」の創業者。なお、南自身がモデルとなった新田次郎の小説『神々の岩壁』の影響で「みなみ・ひろんど」と読むと誤解されていることが多いが、本名は「みなみ・ひろと」である。 https://www.functionjunctiontokyo.net
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PROFILE
PEAKS / 山岳ライター
森山憲一
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com
『山と溪谷』『ROCK & SNOW』『PEAKS』編集部を経て、現在はフリーランスのライター。高尾山からエベレストまで全般に詳しいが、とくに好きなジャンルはクライミングや冒険系。個人ブログ https://www.moriyamakenichi.com