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シャモニ滞在にてミディ南壁にリベンジ|筆とまなざし#385

人気のレビュファルートにふたたびトライ。モンブランの色彩を目に焼き付ける。

シャモニでの滞在も残りわずかとなり、2日間晴れ予報が続く日を探した。やはりミディ南壁は登って帰りたい。アクセスしやすいため通常は日帰りのクライマーが多いけれど、ロープウェイ代が高いし絵を描きたいので最低2日間は確保したかった。

シャモニを発つ直前に絶好の好天に恵まれる予報になった。今回は避難小屋ではなくテントを持っていくことにした。日が当たっていると暖かいし、慣れ親しんだ空間は快適だ。そして周囲が開けている場所なので気持ちがいいし、のんびり絵を描くのにも適している。

早朝のロープウェイで一気に高度を稼ぐ。数日前から喉の調子が悪く、咳が止まらずに夜中に起きてしまう。若干の倦怠感。前回は妻が高山病になってしまったが今回はぼくのほうが体調が悪かった。身支度を整えてトンネルから外へ出ると、もうそこはアルパインエリアである。雪稜をたどり、取り付きへ下ると、ルートにはすでに数パーティーが取り付いていた。雪面にテントなどの装備をデポし、クライミングギアだけ持って取り付きへ向かう。グレードが手ごろで有名ルートということもあって、見るからにビギナーのクライマーも多い。ロープが絡まりまともにビレイできていないのだが大丈夫だろうか……。そして登るのも遅い。ピッチごと、あるいは登りながら長い時間を待たされることになった。

この日、レビュファルートに取り付いていたのはぼくらを含めて8パーティーだった。ぼくらは2度目ということもあってずいぶん登りやすく感じる。5ピッチ目から上は初見だが、多少ルートファインディングが必要なものの易しいピッチが続いた。いちばん大変なのは順番待ちだった。前のパーティーのみならず、その前のパーティーともいっしょになり、ひとつのアンカーに3パーティー、5人がいるという団子状態。先に行かせてくれる雰囲気もない。苛立ちは抑えられないが、逆にこの人たちとの交流を楽しもうと気持ちを切り替えた。前の男女のパーティーはパリからやってきたフランス人。ほとんど素人なのだが、それでも登りに来ているということが単純にすごい。その前のパーティーはスウェーデンのストックホルムからやってきた男性3人パーティー。こちらもビギナーっぽいけれどきちんとここまで登ってきている。

「フランス、日本、そしてスウェーデン。インターナショナルだね!」

スウェーデン人の彼が楽しそうにそういうと、乗りかかった国際船に身を任せるしかないなと思った。雪まじりのピッチを登ると、上部にはさらにたくさんの人がいた。レビュファルートの先行パーティー(見るからにおじいちゃんとおばあちゃんの二人組)のほか、隣のコンタミンルートからレビュファに合流しているパーティーもいたからだ。最終ピッチの取り付きへはピナクルを回り込むようにしてからチムニーを跨いで隣の岩に乗り移る。そこが少々怖い。短いクラックを登るとアンカーなのだが、パリの女性から「狭いからそこで待ってて」と言われてハンドジャムを決めたまましばし待機。10分ほど待ってようやくアンカーにたどり着いた。

狭いテラスの向こうは北面で、急に冷たい風が吹き付けてきた。それまでは半袖で登っていたがたまらずフーディーを羽織る。最終ピッチがもっとも難しくて6b。一般的にはA0(ヌンチャクを掴んで登る)で抜ける人が多く、先行パーティーもA0で登っていく。しかしやっぱりフリーだろう。核心は最初の数手だと踏んだ。6bならせいぜい5.10b/cくらいである。ただ、最終ピッチということと標高が3,800mということ、そしてこの壁自体のグレード感覚が下界より少し辛めのような気がするので数字以上に難しいと予想できた。

チョークをたっぷりつけて登り出す。ムーブの読みはあたり、カチを繋いでいく。遠く感じた左手は思い切って出すと止まり、右足を置いて右手をガバへ。その後は落ち着いてカンテをたどるとミディ南壁の頂上へたどり着いた。

ロープウェイ駅が真下にあり、多くの観光客の姿が見えた。ここから1回の懸垂で駅に下りロープウェイで下山できるのだが、ぼくらは一泊するので取り付きまで下降しなければならない。ちなみに、トラバースの多い同ルートを下降するのは難しいし、真っ直ぐ下ると取り付きとは違う雪面に降り立ってしまう。前回のように雪のなかをクライミングシューズで登らなければならないので、できれば登山靴をデポした取り付きに戻りたい。右隣のコンタミンルートを下降すれば取り付きに戻れると、前回同ルートをトライしているクライマーから聞いた。なんとかコンタミンに合流できるように下降ルートを考える。

ピークから懸垂一回。下のアンカーにいたのはコンタミンを登り、レビュファルートに合流したクライマーで、右下に見えるチェーンのアンカーがコンタミンのものだと教えてくれた。次の懸垂で件のチェーンアンカーへ。そこはカンテ状になっていて、どっち側がコンタミンなのかがわからない。様子を見ながら右側へ注意深く下る。顕著なクラックがあり、ところどころにボルトが見える。なんらかのルートがあるのは間違いない。ほぼ50mいっぱい、ラインから少し右に外れたところにしっかりとしたアンカーを見つけた。岩の形と雪面の形状から、ほぼ取り付きの真上にいることを確認する。さらに1ピッチ50mいっぱいの懸垂をすると取り付きのテラスが見え、次の懸垂でドンピシャで取り付きに戻ってくることができた。すでに日は陰り肌寒さを覚えた。

登山靴に履き替え、アイゼンを付けてデポしたバックパックのところまで戻るころには19時をすぎていた。10時に取り付いたので9時間もかかったことがわかる。半分以上は順番待ちだったが、それでも無事にこのルートを完登することができて単純にうれしかった。それにしても、ロープウェイの最終便は16時のはず。スウェーデン人の彼らはどうしたのだろう? 心配になると同時に日帰りで来なくて良かったと思った。

氷河にはすでにいくつかのテントが張られていた。平らな場所を整地し直してテントを張った。テントに潜り込むと喉の痛みはさらに悪化していた。食事を作って早めに就寝したが、翌日になっても体調は回復していなかった。隣の壁をもう一本登りたいと思っていたがクライミングは取り止め、ゆっくり絵を描いて下ることにした。

雪面の向こうにいくつもの針峰が連なっている。手前にそびえるミディは非常にクリアなオレンジ色だが、それらの山々はミルクを混ぜたように白っぽい。この色彩がモンブランの特徴なのだろうか。キャンバスとアクリル絵の具を持って来たのだが、その風景は水彩の方が似合うように思え、いつもの透明水彩で描いた。そしてその独特な色彩はミディでの思い出として、しっかりと目に焼き付けておきたいと思った。

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PROFILE

成瀬洋平

PEAKS / ライター・絵描き

成瀬洋平

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

成瀬洋平の記事一覧

1982年岐阜県生まれ。山でのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作の小屋で制作に取り組みながら地元の笠置山クライミングエリアでは整備やイベント企画にも携わる

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