日本三大霊峰の一座、立山登拝|山本晃市の温泉をめぐる日帰り山行記 Vol.9
山本 晃市
- 2024年11月28日
INDEX
温泉大国ニッポン、名岳峰の周辺に名湯あり!
下山後に直行したい“山直温泉”を紹介している小誌の連載、「下山後は湯ったりと」。『PEAKS No.169』では、下山後に富山市内の24時間営業の入浴施設「スパ・アルプス」で湯を楽しみました。
今回登ったのは、室堂から一の越~雄山神社~大汝山~富士ノ折立。
立山の歴史をたどりつつ、いわゆる「立山登拝」の道をメインに歩きました。
山直温泉の記事・情報は
『PEAKS 1月号(No.169)』の
「下山後は湯ったりと」のコーナーをご覧ください。
編集◉PEAKS編集部
文・写真◉山本晃市(DO Mt.BOOK)
ここは地獄か極楽か。天下の鋭峰剱岳と霊峰立山
噴煙舞う地獄谷の先、室堂平の東側に悠然とたたずむ立山。氷河をも有する雄大な山容は神々しくもあり、富士山、白山とともに日本三大霊峰の一座だ。
一方、天に突き出す鋼のように猛々しい剱岳。「岩と雪の殿堂」と呼ばれる岩峰は、まさに険しい岩稜と雪渓からなる一般ルート最難関の山である。
日本を代表する名峰、剱立山。
いずれも日本百名山であり、近接する両岳峰だが、山の素性と人々との関わりには、対照的な山容の如く、極楽と地獄といった両極ともいえる世界観があった。
生きながらにして“あの世”に行ける、立山
立山という独立峰は、地理的名称としては存在しない。正確には、山頂に雄山神社の峯本社がある雄山(おやま/標高3,003m)、最高標高の大汝山(おおなんじやま/標高3,015m)、その先にさらに連なる富士ノ折立(ふじのおりたて/標高2,999m)、これら3つの峰々の総称を立山、あるいは立山本峰という。富士ノ折立の北に位置する別山(べっさん)、雄山の南に佇む浄土山を加えると立山三山、大日岳や薬師岳など周辺一連の岳峰すべてを含めると立山連峰(狭義。広義では、黒部川西側に連なる飛騨山脈全域)となる。
山名の由来を尋ねると、奈良時代末期まで遡る。日本最古の歌集『万葉集』に「立山(たちやま)」を詠んだ歌が数首出てくる。「たちやま」は「太刀(剣)山」のこと。剱岳を指すとも考えられるが、当時は剱立山一帯の岳峰を立山(たちやま)と呼んでいたようだ。ところが立山信仰における登拝の場が現在の立山(雄山)であることから、剱岳ではなく立山のみに「立山」(あるいは「立山本峰」)の呼称が定着したのではないだろうか(歴史的には、検証が必要)。
開山は701(大宝元)年。佐伯有頼が立山権現の霊示を受けて出家し、慈興上人となり開山したと伝えられている。以後、信仰の山として修験者はもとより白装束の参拝者が全国から集った。また地元の村では、男子が16歳になった年に元服の儀式として立山登拝を行なっていた。槍ヶ岳開山や笠ヶ岳再興で知られる播隆上人(ばんりゅうしょうにん)もそのひとりだという。
もちろん現在も、老若男女問わず登拝する人が後を絶たない。
立山信仰の世界観を庶民にもわかりやすく描き表した「立山曼荼羅」という絵画がある。そのひとつ「吉祥坊本」には、山麓に芦峅寺(あしくらじ/立山登拝の拠点、玄関口)、途上に血の池地獄や閻魔王、さらに賽の河原を渡った先の上空に立山連峰が描かれている。立山の峰々は、まさに死後の世界そのものでもあった。
日本最後の未踏峰? 2番じゃだめですか……
一方、鋭い岩峰の剱岳は「地獄の針の山、登ってはならない山、登ることのできない山」と評された死者の山だった。そもそも登ること自体が困難を極め、「草鞋三千足を費やしても登り得ず」という弘法大師空海の伝説も残っている。
先述のとおり、現在でも一般ルート最難関とされる剱岳は、20世紀初頭、日本最後の未踏峰として注目を浴びていた。そして、日本地図最後の空白地点でもあった。
その状況下、近代登山のパイオニア、日本山岳会初代会長の小島烏水(うすい)、そして陸軍陸地測量部測量官の柴崎芳太郎による初登頂をかけた熾烈な争いが展開される。その模様は、新田次郎の『劔岳 点の記』、同書を原作とする映画『劔岳 点の記』にそれぞれ脚色したかたちで描かれている。
結果は、剱岳山頂に三等三角点を立てることを目的とした柴崎率いる測量隊による初登頂だった。1907(明治40)年7月13日のことである。
だが、測量隊の山行は初登頂ではなかった。
山頂付近に残置された人工物があったのだ。修験者が山頂で修法する際に用いる錫杖頭(しゃくじょうとう)と槍の穂(鉄剣)だった。近辺の岩屋には焚き火の跡もあったという。
測量隊による剱岳登頂という偉業は、初登頂ではなく「初測量」となった。とはいえ、この記録は日本山岳史にしっかりと刻まれている。そしてもうひとつ。当時、小島烏水が剱岳を目指したという正式な記録は残っていないということも付記しておく。
立山黒部アルペンルートを経て、天空の世界へ
黒部湖を挟んで立山連峰と後立山(うしろたてやま)連峰がそびえ立つ。立山黒部アルペンルートは、そんなロケーションを貫くように富山県立山駅と長野県扇沢を結んでいる。区間内はマイカー乗り入れ禁止。ケーブルカーやロープウェイ、バスを乗り継ぎ移動していく。
アルペンルートの最高標高地点は、2,450mの室堂平。立山駅から向かえば、1時間ほど。直登のような急斜面を登るケーブルカーでまずは美女平へ。ここで高原バスに乗り換え、美女平・天空ロードを走る。350mという日本一の落差を誇る称名滝や巨大な立山スギ、大小の池塘が点在する弥陀ヶ原……、車窓から目が離せない。さらに北アルプス一美しいといわれる薬師岳や霊峰白山、そして終点間際に剱立山の雄姿が現れ、途上の見どころに事欠かない。
高原バスの終着点、室堂ターミナルの先には、天空の世界が待っている。室堂平の周回散策路をめぐれば、日本では希少な氷河を有した山﨑圏谷、紺碧に輝く神秘的なみくりが池(日本アルプス一の水深15m)、おどろおどろしい白煙を噴き出す地獄谷など、「立山曼荼羅」にも描かれた壮大な景観を堪能できる。周回時間は、のんびり歩いても数時間ほど。高低差もほとんどなく、歩きやすい。ただし標高が高いので、夏場でも防寒具を携行したい。
室堂ターミナルから一歩外へ出ると、夏でもひんやりとした空気に包まれる。目の前にある立山玉殿の湧水をボトルにたっぷりと補給させていただき、室堂平の散策路を歩き始める。前方に佇む立山を見上げつつ、まずは現存する日本最古の山小屋、立山室堂山荘へ。ここから先が立山への本格的な登山道となる。小さな雪渓を渡り、祓堂をすぎると、緩やかな登山道が徐々に斜度を上げていく。さらに九十九折れを越えると、一の越山荘の建つ「一の越の分岐」だ。右(南)に行けば浄土山、左(北)に向かえば雄山。ハイシーズン、雄山への登山道は多くの人で込み合う。登り下りで登山道が分かれているので、ルールを守って登りたい。
雄山山頂への登山道は大渋滞になることもあるが、高度を上げるほどに雄大な景観が広がっていく。絶景を楽しみながら、のんびりと登る。
一の越からおよそ1時間、稜線を登りつめると、雄山神社峯本社の建つ雄山山頂だ。峯本社にお参りをして、ランチ休憩。神社で売っているカップ麺が大人気だが、いつものようにおにぎりをいただく。
無事「立山登拝」をさせていただき、その後、稜線伝いに大汝山、富士ノ折立と立山本峰の残りふたつのピークへと足を延ばす。晴れていれば、稜線からの景観は抜群。北に別山、剱岳、西に大日岳、東に黒部湖、南を見渡すと浄土山、さらには薬師岳などなど、北アルプスの大パノラマを楽しめる。富士ノ折立からは、折り返して室堂へ。あるいは、富士ノ折立からさらに先に進んで大走りを下り、反時計回りに室堂へと戻るというルートもある。所要時間はさほど変わらないが、大走りはかなり歩きにくいので注意したい。
室堂ターミナルから立山本峰への往復は、無雪期で約5時間、距離約6km。天候に恵まれれば、天国気分のワンデイハイクを味わえる。
なお、本誌連載中の「下山後はゆったりと」では、下山後直行の温泉として富山市内の「スパ・アルプス」をメインで紹介したが、源泉の地獄谷を見下ろす標高2,410mに位置する、日本最高所にある天然温泉「みくりが池温泉」で汗を流すのもオススメだ。
男女別の展望内湯があり、白濁湯の源泉かけ流し。無加水、無加温の単純酸性泉。浴槽はふたつに仕切られており、それぞれに湯が注がれる。同じ源泉なのだが、窓に向かって左側の広めの浴槽がたいていぬるめで、右側の小さめの浴槽のほうが熱く感じる(男湯)。左側の浴槽に浸かる人が多いため、そうなるのかと思われる。
山行&温泉data
コースデータ 立山
コース:室堂ターミナル~立山玉殿の湧水~祓堂~一の越~雄山・雄山神社~大汝山~富士ノ折立~大汝山~雄山~一の越~祓堂~室堂ターミナル
コースタイム:約5時間
標高:3,015m
距離:約6km
下山後のおすすめの温泉 富山県/スパ・アルプス
- スパ・アルプス
富山県富山市山室292-1
TEL.076-491-5510
入浴時間:24時間営業
定休日: 年中無休
入浴料(日帰り):大人¥1,400 子ども\900(3時間/4:00~21:00の間)
※通常入館料金(4:00~翌1:00の間)大人¥2,000(翌1:00~午前11:00利用の場合は、追加料金¥900)
※土日祝は、各入館料金+\100
使用水:北アルプスの天然水
アクセス:立山駅より車で約30分
山直温泉の記事・情報は
『PEAKS 1月号(No.169)』の
「下山後は湯ったりと」のコーナーをご覧ください。
**********
▼PEAKS最新号のご購入はAmazonをチェック
SHARE
PROFILE
PEAKS / 編集者・ライター
山本 晃市
山や自然、旅の専門出版社勤務、リバーガイド業などを経て、現在、フリーライター・エディター。アドベンチャースポーツやトレイルランニングに関わる雑誌・書籍に長らく関わってきたが、現在は一転。山頂をめざす“垂直志向”よりも、バスやロープウェイを使って標高を稼ぎ、山周辺の旅情も味わう“水平志向”の山行を楽しんでいる。頂上よりも超常現象(!?)、温泉&地元食酒に癒されるのんびり旅を好む。軽自動車にキャンプ道具を積み込み、高速道路を一切使わない日本全国“下道旅”を継続中。
山や自然、旅の専門出版社勤務、リバーガイド業などを経て、現在、フリーライター・エディター。アドベンチャースポーツやトレイルランニングに関わる雑誌・書籍に長らく関わってきたが、現在は一転。山頂をめざす“垂直志向”よりも、バスやロープウェイを使って標高を稼ぎ、山周辺の旅情も味わう“水平志向”の山行を楽しんでいる。頂上よりも超常現象(!?)、温泉&地元食酒に癒されるのんびり旅を好む。軽自動車にキャンプ道具を積み込み、高速道路を一切使わない日本全国“下道旅”を継続中。