修験道の開祖、役行者によって建立された弘川寺へ初詣へ|筆とまなざし#405
成瀬洋平
- 2025年01月15日
毎年の大阪での初詣もまたひとつの旅である
年末年始は妻の父方の実家がある大阪で迎えた。この数年、正月を大阪ですごすことが多くなり、大阪で初詣をするようになった。岐阜では幼いころから決まって飯高観音という近くの観音様へ詣でるのだが、たくさんの寺社がある大阪では年ごとに違う場所に出かけている。有名な寺社が至るところにあって、たくさんの参拝客で賑わっている。そのことだけでも田舎と都会という生活環境の違いを感じさせられておもしろい。
今年は堺市の東、河南町にある弘川寺へ詣でた。恥ずかしながら弘川寺のことは知らなかったのだが、葛城山の麓ということもって修験道の開祖、役行者によって665年に建立された歴史あるお寺である。行基や空海もここで修行したとされる。
弘川寺は、そのような由緒と違って山の端にひっそりと佇む小さなお寺だった。初詣をする人はまばらで、数組の家族とすれ違っただけ。けれども、人気のないお寺でありながら境内はとてもしっかりと手入れされていて、その静けさとともに格式の高さが漂っている。差し込む明るい日差しが初春の暖かさを感じさせる。これほど居心地の良いお寺もほかになかなかないだろう。
弘川寺をさらに有名たらしめているのが、西行法師終焉の地だということだ。22歳で出家したのち、陸奥や四国などを長く旅して弘川寺にたどり着き、ここで生涯を閉じた。御堂を少し登ったところにある西行墳は西行の墓だと考えられている古墳で、西行の死後500年以上のときを経た1732年に発見された。小さな尾根の上にこんもりと土が盛られたその古墳には木々が生い茂り、いわれなければそうだと気づかないほど周りの自然に溶け込んでいる。その墓前には西行が詠んだ歌碑が建てられている。
「願はくば 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
西行は2月16日(旧暦の2月半ばは現在の春分の日に近い)に入滅された。やがて西行墳の周辺には西行を慕ってたくさんの桜が植えられ、現在は桜の名所としても知られている。
旅をしてその土地のことを見聞きし、少しずつ世界を認識していく。それでいえば、初詣もまたひとつの旅である。
著者:ライター・絵描き・クライマー/成瀬洋平
1982年岐阜県生まれ、在住。 山やクライミングでのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作したアトリエ小屋で制作に取り組みながら、地元の岩場に通い、各地へクライミングトリップに出かけるのが楽しみ。日本山岳ガイド協会認定フリークライミングインストラクターでもあり、クライミング講習会も行なっている。
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