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Mountain Story vol.07 「伊豆三山 Part2」
Mountain Story vol.07 「伊豆三山 Part2」

そうだ、私の選んだ山、だ。

私が、ここに来たかったんだ。

とりあえず、

歩いてみよう。

Mountain Story

「沼津といえば、やっぱ海鮮丼だよね」と笑うヒカルに、私は「だね」と短く返す。山登りの前にまず昼ごはんを、と思ったけれど、さほど食欲もない。

私たちはどう見えるのだろう。向かいに座るヒカルは、私より10歳も若い。ホスト同伴の山登りなんて、夫はもちろん、だれも何も知らない。

 

「麻美?」

名前を呼ばれてふり返ると、バックパックを背負ったまりこが立っていた。

 

……なんで?

声も出ずに驚いている私に、ヒカルが「お友だち?」と、歌うように入ってきた。

 

店員が気づいて、「3名様ですか、どうぞ」と、うしろから声をかけた。「座ったら? ね、いいよね」とヒカルが微笑むので、私は、うん、と答えた。職業柄、だろうか。こんなとき、ヒカルは、スマートに立ちまわる。

 

まりこは、少しスペースを開けて、私のとなりに座り、テーブル下にピンクのバックパックを押し込んだ。まだおなじのを使ってるんだ。大学1年の夏、いっしょにアウトドアショップに行ったとき、まりこが「これだけはこの色で」と濃いピンクを選んだのだ。あれから10年。雨蓋にあちこち傷がついている。そろそろ新しいの、買えばいいのに。

 

「これから、山?」とまりこが小さい声で言うと、ヒカルが軽く、「そう。麻美ちゃんといっしょ。最近、業界でも多いんだよね、ホストの同伴登山」と答えた。

まりこは、へぇ、と返しながらも、困惑しているのがわかる。

 

「ヒカルさ、悪いんだけど、海鮮丼食べたら、帰ってくれる?」

私が言うと、まりこは「そんな、私がおじゃまして。ごめんね」と言い、慌てて立ち上がろうとした。私はまりこを制して、ヒカルにスマホを見せる。今日の料金は支払い済みだ。ヒカルは画面を確認すると「サンキュー。了解」と言い、さっさとお昼ごはんを食べて、引き上げた。

 

「麻美、さっきの人……」

「出張ホスト。まりこは使ったことないの?」

「ないよ」

 

まりこに目を逸らされて、やっぱり私は「なんで一度断っておきながら、沼津に来たの?」と聞けずにいた。数年ぶりだった。夜中にたまたま山の番組を観て、まりこを思い出したのだった。どっか行かない? と学生時代のノリで言えば、ふたつ返事で「うん」と言ってくれると思っていた。でも、仕事で忙しい、と言われれば、そうだよね、と言うしかない。主婦の私には、まりこの「撮影の仕事」というのは、よくわからない。風景も思い浮かばない。私は、もう何年も前から、仕事の話は避けていた。

 

気まずい沈黙が流れた。

「どこかで食後のコーヒーでも飲む?」

私が切り出すと、

「山の上で、淹れるよ」

まりこがボソッと言った。

「山の上?」

「お湯沸かすのも、コーヒーも、持ってきてるよ」

 

「なにそれ。すごい」と言いながら、一瞬、鼻の奥がジンとした。「楽しみ」と加えながら、自分の言葉に驚いていた。「楽しみ」なんて、いつぶりだろう。

車で30分ほどで、発端丈山の登山口近くに着いた。国道沿いに車を停めて、外に出る。空はどんより曇っている。周りは民家ばかりだ。海風のせいか、玄関先の手すりや自転車が錆びている。

 

「いいな。車があれば、行きたいところどこでも行けるね」

まりこがふり向いて言う。行きたいところ、って……。この車で出かけていたのは、息子の送り迎えと、スーパーへの買いものぐらいだ。友だちと出かけるなんてことも、ない。だって、私は競争から降りたのだから。昔から、私は友だちとは「仲良くする」より、ただ、勝ちたかった。就職はまわりの子よりいい広告会社に決まり、同期のなかでは一番早く結婚して、息子も生まれた。早々とレースを完走し、いまは、妻と 母親、ふたつの役割をソツなくこなしている。楽しみといえば、ブログやSNSに「いまの私」の姿を書き込むことくらいだ。「いいね」をたくさんもらい、自信もついた。

 

でも、昨年くらいから何かがズレ始めた。夫の靴磨きをすると、「それ、またインスタにあげるんでしょ」と嫌味っぽく言われる。息子のランドセルの中身を揃えていると「自分でやるから触らないでよ」と言われる。なんでだろう。一生懸命やってるのに。

 

「いいよね、車。家族旅行も行きやすいでしょ。いいなぁ」

まりこはまださっきの話をしている。私はなんとか笑顔を取り繕って、「最近は夫も息子も忙しくて。別行動が多くなってきたかな」

と言う。

 

「そっかぁ。そうだよね。主婦だって、忙しいもんね」主婦だって忙しい、か。仕事しているまりこに言われると、「主婦」という言葉がしぼんでいるみたいに聞こえる。

 

いつの間にか、まりこも家族も、みんな、私の前を、歩いている。

 

昔はふたりで仕事の話もいっぱいしたのに。私は、おなじところに留まっている。

 

民家のあいだの細い坂道が山道に続いている。

まりこの歩く速度が、少しずつ上がってきた。私は、すでに息が上がっている。

 

「もう少しゆっくり歩かない? 私、新しい登山靴だから、靴擦れしちゃいそう」

まりこが、「えぇ、まだスタートしてもいないよ」と笑いながら、ふり返る。

 

と、まりこが立ち止まった。私のうしろを黙って見ている。

ふり向くと、家と家のあいだから、海が見えた。遠くに波がキラキラ光っている。

 

「なんかもう、ここでいいかな」

私が言うと、まりこが笑った。

 

「山頂はもっと景色がいいかもよ。麻美が選んだ山じゃん。行こうよ」

まりこが、背を向けて歩き出す。

 

そうだ、私の選んだ山、だ。私が、ここに来たかったんだ。

とりあえず、歩いてみよう。

私はまりこのあとについて、足を前にふみ出した。

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ランドネ 編集部

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自然と旅をキーワードに、自分らしいアウトドアの楽しみ方をお届けするメディア。登山やキャンプなど外遊びのノウハウやアイテムを紹介し、それらがもたらす魅力を提案する。

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