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Mountain Story vol.06 「伊豆三山」
Mountain Story vol.06 「伊豆三山」

ネルシャツに、カーゴパンツ。

アウトドア用の紫のバックパック。

昔、麻美が使っていたのもこんな感じだった。

懐かしくて、私はその人の後ろ姿を目で追っていた。

Mountain Story

深夜1時、仕事から帰ってきてコンビニの袋を開けると、鞄の中で受信音がした。

スマホを取り出すと、意外な名前が表示されていた。

 

麻美。何年ぶりだろう。
「元気? いま、テレビで山の番組を見てたら、懐かしくなっちゃった。ひさしぶりに行かない?」

アカウント写真には、小学生ぐらいの息子をハグする麻美が笑っている。

 

テレビをつけると、雪山が大きく映し出された。どこだろう。レポーターが「頑張ります!」とカメラに向かってガッツポーズしている。

 

麻美とは学生のころ、いろんな山に登った。サークルにも属さず、せっせといっしょに居酒屋でバイトして貯めたお金で、山行きの計画をした。いろんな山小屋に泊まったし、テント泊もした。お金がないなりに、あれこれ工夫して、楽しかった。

 

卒業後、麻美は広告代理店に就職して、あっという間に結婚。子どもを授かると、当然のように専業主婦になった。次第にセレブっぽくなっていく麻美と、フリーランスで制作の仕事をしている私とは、共通の話題が減っていく一方だった。

 

たまに麻美から電話が来ると、「勢いで結婚するものじゃないよ」とか「私って、夫の庇護のもとで暮らしてるんだよね」とか愚痴が出るようになった。しまいには「仕事しているのがうらやましい」と言うので、私は思わず「なら、働けば?」と返した。心のなかで。わかっている。麻美が聞きたいのはそんなことばじゃない。

結婚したばかりのころは、すごく幸せそうだったのに。

 

それ以来、麻美とは疎遠になった。

あれから10年。……ということは、あの男の子は、 もう小学4年生。

 

最近の麻美のタイムラインには、家の写真がいっぱい投稿されている。手料理のローストビーフ、ナッツやフルーツたっぷりのサラダ。高そうな店でお茶するようす。ドライフラワー。「定期ジェルネイル投稿」の写真。マダム向けの分厚い雑誌に出てきそうなものばかりだ。居酒屋で洗い物をしていたときの、麻美の割れた爪を思い出す。「ワセリンいいよ」と私が教えると「ベタベタするけど、たしかに効く!」と笑ってたっけ。

 

大冒険、というナレーションがテレビから聞こえてきた。

 

冒険、か。昔はワクワクする言葉だったのに、何も響いてこない。学生時代、万年金欠と言いながら、山にお金を注ぎ込んでいたのは、「冒険」。あれって、贅沢な生活だったんだなと、いまになって思う。
「ついに、氷壁が出てきました」というレポーターの声が大きくなり、私はリモコンの電源を切った。

 

数日後、「静岡とか、どう?」と麻美からメッセージが来た。
「朝早く出て、沼津の漁港で豪華な海鮮食べて、お昼に伊豆三山のどれかを登るの。標高500mもないから、楽に登れそう。帰りは高級温泉旅館に一泊。パーッと呑んで、遊ぼうよ!」

 

高級温泉旅館、って、どこ? いくら?

お金の心配をしている自分にも気が滅入る。こういうとき、軽く「麻美おごってくれるの?」と言えば、麻美は「もちろん、おごっちゃうよ」と言うのはわかっている。でも、それに飛びつく気にはなれない。
「今度のゴールデンウィークは空いてる?」と、またメッセージがきた。
「息子はサッカーの合宿、夫は仕事の出張だから、自由な時間ができるの。うちの車出すから、行かない?」

 

具体的な内容になってきたので、私は「ごめん」と打った。
「ゴールデンウィークも仕事で、しばらく時間とれそうにないんだよね」

 

本当は、仕事は休みだった。でも、お金のことばかり考える旅に出るのは、気が進まなかった。

返信はすぐにきた。
「そっか、わかった。 またそのうち、会えたらうれしいな。仕事、頑張ってね」

 

ゴールデンウィークの沼津の漁港は、にぎわっていた。

麻美の誘いを断りながら、私は沼津に来てしまった。ひとりなら気兼ねなく貧乏旅行もできる、と思ったけれど、やっぱり、麻美と話したことが気になる。実際私はこうして、沼津で「豪華な海鮮」を探している。

 

店ののぼりが、海風を受けてはためいている。

寿司、海鮮バーガー、海鮮の網焼きの立ち食い。路面店がずらりと並んでいる。日差しが強く、観光客が多い。家族連れ、カップル、若者たちのグループ。子どもたちの歓声が、コロナ明けを象徴している。

人混みのなかを歩いていると、通りの向かいの定食屋に並んでいる女性の登山ウエアに目が留まった。これから登るのか、降りてきたのか……。ネルシャツに、カーゴパンツ。アウトドア用の紫のバックパック。昔、麻美が使っていたのもこんな感じだった。懐かしくて、私はその人の後ろ姿をなんとなく目で追っていた。

 

最後尾にいるその人は顔を上げて、前にいる男の人に何か話しかけている。店の人が出てきて、指で2を示して、彼女と男性が中に通されていく。

帽子を取って、ショートヘアとふっくらした頬が見えた。

 

まさか……。麻美?

 

私は反射的に後退りした。ここで会ったら気まずい。でも、中に入っていく麻美のようすが気になる。すぐ前にいる男性と知り合いのようだ。チェーンネックレスに、ぴちぴちの黒パンツ姿。麻美の肩に手を回し、ポンポン、と頭を撫でている。

 

誰……?

店から出てくる客が話すのが聞こえてきた。
「さっきの人、ホスト?」
「だよね。女のことを姫、とか呼んでさぁ。まさかあの格好で山登りとか?」

ウケる、と笑う女性たちの声が耳に響く。

 

店の外には、もう並んでいる客はいない。どうする?と外のメニューを見ながら、若いカップルが話している。またすぐ列ができるかもしれない。

 

私は急いで通りを横切り、その店の引き戸を開けた。

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ランドネ 編集部

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自然と旅をキーワードに、自分らしいアウトドアの楽しみ方をお届けするメディア。登山やキャンプなど外遊びのノウハウやアイテムを紹介し、それらがもたらす魅力を提案する。

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