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Mountain Story vol.02 「剱岳」
Mountain Story vol.02 「剱岳」

引っ越して、全部解消して、

私は、本来好きだったことを再開することにした。

まずは、山登り。

Mountain Story

浜辺に座って、波をぼんやり眺めていた。

日焼けで火照った顔を海風にさらそうとすると、
「なにしてんの。また焼けるよ」

 

彼の手が伸びて、帽子を私の頭に被せる。

一瞬で視界が遮られ、空気が止まった。

 

……やめて!

 

自分の声で、目が覚めた。

劔沢小屋を、雨が強く叩きつけている。よかった、だれも起こさなかったようだ。あちこちから寝息が聞こえてくる。

寝返りを打つと、枕に触れる右頬がじわっと痛む。昼間の日焼けだ。

何だったんだろう、さっきの夢は。

 

彼とは一年前に別れた。いまさら夢に出てくるなんて。彼は、山より海派で、よくいっしょに海へ遊びに行った。といっても、私が海に入ろうとしたり、砂浜に寝転ぼうとしたりすると、必ず「汚れるからやめなよ」とか、「日傘や帽子は持ってきなよ」とか「日焼け止めは必需品」と彼からの注意が飛ぶ。

 

彼との結婚話が出ると、家族や友だちが急に遠のいていった。
「可奈の周りの人たちって、可奈の幸せを応援していないよね? ひどいよ」

と彼は憤慨した。確かに、応援してくれる人は、ひとりもいなかった。私は、彼と幸せになってみせる、と意地になっていた。

 

でも、別れて気づいた。

自分が意見を言えなくなっていたこと。出かける場所も服装も、彼に合わせていたこと。どんどん息がしづらくなって、自分が何を考えているのかも、わからなくなっていたこと。

なんでそういう相手を、私は選んだのだろう。

 

引っ越して、全部解消して、私は、本来好きだったことを再開することにした。

まずは、山登り。

低山から始めて、少しずつレベルを上げて、十年ぶりに北アルプス北部の剱岳にやってきた。二十代前半のころのように、急な岩場もガンガン歩く……はずが、足がすくんでしまった。鎖や岩にしがみついたまま、動けない。どこに足を置いたらいいか、どこを手で掴んだらいいか、わからない。山の勘も技術も、完全に落ちていた。首には、日差しが容赦なく照りつける。

 

予定よりかなり遅れて、ようやく頂上に着くと、真っ青な空が広がっていた。

富山湾だ! と言う声が聞こえて、振り向くと、遠くの山と空のあいだに、青い線が見えた。

そうだ、剱岳は海が見える山だったのだ。

 

こんなに遠くまで来たのに、向こうに海がある。

なんだか彼が追いかけてくるような気がして、私は写真も撮らず、劔沢小屋に降りた。

顔と首がドクンドクンと脈打っている。昨日の日焼けが、全然引かない。

布団から体を起こして鏡を覗くと、顔がひどく浮腫んでいる。目は窪み、額が腫れている。眉間をぐっと押すと、皮膚がゆっくりと戻ってきた。

 

「さっきの子、顔真っ赤だったね」「大丈夫かな」と廊下で話しているおじさんたちの声が聞こえてきた。朝ごはんのとき、向かいに座っていた人たちだ。

肌まで弱くなったのだろうか。こんな状態、だれにも見られたくない。

でも……お手洗いに行きたくなってきた。

ネックウォーマーとニット帽で顔を隠して、マスクをかけて、ふらっと廊下に出る。

 

食堂の前で、山小屋の女性従業員に「大丈夫ですか?」と呼び止められた。

会釈してやり過ごそうとすると、女性が心配そうに、
「冷やしますか? 小屋の保冷剤でよかったら、使いますか? 痕に残ったら大変だし」

と続ける。そして、台所の奥から、小走りで保冷剤を持ってくると、「水分をいっぱいとって、代謝をよくして」と、はっきり、ゆっくり説明してくれる。以前、看護師さんだったのだと言う。私は体の力が抜けて、ニット帽を脱いだ。

 

だれもいない食堂で保冷剤を頬にあてながら、食堂に置いてあるスティックコーヒーの粉を紙コップに入れる。給湯器のお湯を注ぐと、湯気が顔を包み込む。コーヒーをかき混ぜてひと口すすると、胸にじわっと染み渡る。ふぅ、と息をつくと、うしろから、おじさんふたりの声が飛び込んできた。
「ありゃ、どうしたの真っ赤なその首!」
「顔もじゃないか?」
「呑みすぎたの?」

 

違います! と思わず振り返った。
「あらら……火傷Ⅱ度、ってところかな」
「ロキソニンクリーム、あったっけ」

 

私の醜い火ぶくれを見るなり、ふたりはポーチの中の薬を探しはじめた。湿布、飲み薬、塗り薬、いろいろぎっしり入っている。「なんでそんなにいっぱい?」という私の心の声が聞こえたのか、頑丈そうなおじさんが、「あ、俺、看護師なの、でこっちが医者ね」ともうひとりの小柄なおじさんを指して言う。
「ちゃんとマスクしてくださいよ。コロナ禍ですから」

 

キッチンの奥から、山小屋の主人が声をかける。ふたりは、あちゃ、という顔をして「すいませーん」とマスクをつける。
「届くかい? もう少し右のほうも、そう、そこそこ」と、ガタイのいい看護師さん。
「かわいそうにね、痛かったのね」と小柄なお医者さん。

うしろからふたりに見守られながら、私は、いただいたロキソニンクリームを首に塗り広げる。

 

強くなりたくて山に来たのに。カチコチに固まっていた気持ちが、ほぐれていく。
「山頂から富山湾見えた?」

はい、くっきり見えました、と私が答える。「いいなぁ」とふたりがハモる。
「海は海でも、山の上まで登って見下ろす海は、下にいる人たちにはわからないよね」
「しかも女性ひとりできて、本当に立派だよ。よく頑張った。勇者だ!」
「勇者、って」

 

うしろからの声を聞いていると、もうどっちがどっちだかわからない。私はくすっと笑って、振り向く。
「ありゃ大変、目も赤い。目も日焼けしたかな?」
「サングラスかけてなかったの?」

 

おじさんふたりのあったかい声に包まれて、私は笑いながら、目尻を指で拭った。

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ランドネ 編集部

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自然と旅をキーワードに、自分らしいアウトドアの楽しみ方をお届けするメディア。登山やキャンプなど外遊びのノウハウやアイテムを紹介し、それらがもたらす魅力を提案する。

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